2014年11月1日土曜日

白山神社と白山比咩大神こと菊理媛神と唐様と共に三代目を描いた「売家」の正体






菊理媛神、又は菊理媛命(ククリヒメのカミ、ククリヒメのミコト、キクリヒメのミコト)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。


日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書に一度だけ出てくるのみである。
【原文】
及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。
時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
【解釈文】
その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。
神産み伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(い ざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、そこで伊弉冉尊と口論になる。そこに泉守道者が現 れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言い、菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒め、帰って行った、とある。菊理媛神が何 を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。
この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン巫女)の女神ではないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる。
神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる。他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜り」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある。
なお、神代文字で記されているとされる『秀真伝』には、菊理媛神が、天照大御神の伯母であるとともにその養育係であり、また万事をくくる(まとめる)神だと記されている。

祭祀上の菊理媛

白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である白山比咩神社石川県白山市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている[1]
14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓白山妙理権現顕座。」とある。
文明元年(1469年)に吉田兼倶が撰したとされる二十二社註式には、「扶桑明月集云、・・・客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」とあり、『大日本一宮記』内には菊理媛が白山比咩神社の上社祭神として書かれている。
その後の江戸時代の書物において白山比咩神と菊理媛が同一神と明記されるようになった[2]
なお、神仏習合のなかでは白山比咩神は白山大権現白山妙理権現、または白山妙理菩薩とされ、本地仏は十一面観音とされた。

現在の白山比咩神社は、菊理媛神(白山比咩神)を主祭神とし、伊奘諾尊・伊弉冉尊も共に祀られている。


ってのは真実を隠すための方便でホントは・・・


吉弘 菊姫(よしひろ きくひめ、生年不詳 - 文禄4年11月4日1595年12月4日))は戦国時代末期から安土桃山時代武家女性。大友義統正室。父は大友氏重臣・吉弘鑑理で、吉弘統幸立花宗茂は甥に当たる。菊子姫という異名の他、洗礼名から大友ジュスタあるいは旧家の姓を取って吉弘ジュスタとも言われる。
義統との間に4人の子供を儲けるが、元来病弱な女性であったという。
天正15年(1587年)、舅・大友宗麟の命により改宗、洗礼名「ジュスタ」を授かる。この時に息子と二人の娘も受洗、息子は「フルゼンシオ」、娘は「サビイナ」「マキシマ」という洗礼名を授かる。[1]
文禄の役の時豊臣秀吉の命により上阪し、大坂城下の大友屋敷にて人質となる。しかし、文禄2年(1593年)、夫・義統(当時「吉統」)の改易により大坂を追放、夫の配所への同行も許されず、幼い子供3人を連れ旧領の豊後国を供もなく放浪する悲惨な目にあう。[2] その後、柳川城主となっていた甥・立花宗茂の元に身を寄せ筑後国下妻郡禅院村に屋敷を与えられるが、苦労がたたったため、程なく死去した。法号「尊寿院日正」、墓所は尊寿寺(福岡県みやま市)。


  1. ^ 「フルゼンシオ」が長男・義乗か次男・貞勝のどちらに当たるかは不明。
  2. ^ 次女・桑姫(マキシマ)は「幼いときから長崎にいた祖母・ジュリア(大友宗麟の後妻)に引き取られてその地で死去した」というイエズス会側史料もあり、改易をきっかけに一家離散した可能性もある。

要するに隠れキリシタンの姫なわけです。(爆wwwwwww


で、白山神社ってのはフリーメーソンなんたらじゃなくて「隠れキリシタン」神社、別名「モンブラン神社」なわけです。(爆wwwwwwwww










→枯松神社


→黒崎教会









→黒い煙

で、






















で、隠れキリシタンをヤバイ方面に導いてしまったのがパリ外国宣教会なわけです。(爆wwwwwwwwwwwwwwwww


7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

加賀、石川 金沢はテラ寺だらけ、一向宗の巣窟だった。

私は加賀と勝山のラインは外来種、在来種の別系統だとおもちょります。勘ですが。

その思想や地域の気質で、歴史の節目ではほぼ負け組にw

匿名 さんのコメント...

歴史ロンダリング
宗教ロンダリング
外来種が入ってくる前の日本てどんな国だったんだろう。
以前のエントリで日本より欧米の上流の人達の方が純度が高いと団長が仰ってたのも気になります。

匿名 さんのコメント...

西から東に逃れてきた多民族のるつぼで、在も外も無かったというか。
先に居た人が後から来た人に追いやられ、でも完全に追いやられるのではなく、後から来た方の神を取り入れ、マツリ、先に居た方の神を後ろのほうに混ぜる。
という感じで、ロンダリングは有史以前から行われていたのかとw

何せ、極めて東のワンダーランドですし。

匿名 さんのコメント...

>西から東に逃れてきた多民族のるつぼで、在も外も無かったというか。
>先に居た人が後から来た人に追いやられ、でも完全に追いやられるのではなく、
>後から来た方の神を取り入れ、マツリ、先に居た方の神を後ろのほうに混ぜる。
>という感じで、ロンダリングは有史以前から行われていたのかとw

同感ですねwユーラシアの東の端で先は太平洋しかないし、
ロシア~アラスカ方面は寒さでまず越えられなかったでせう
その結果、どうせこれ以上逃げられないなら逃げてきた者同士
これ以上争うのはやめて良い事も悪い事も折半して
我慢して暮らそうや(表向き)、でも輪に入れない者、和を乱す者は問答無用で追い出す、1人だけ抜け駆けは許さない(裏の顔)と
いう民族性になったのではないかと(笑w

ヨーロッパは明確な国境が少ないですから、
他民族との線引きが人種と宗教になったんでしょうね

匿名 さんのコメント...

>外来種が入ってくる前の日本
文字を持たずに、土器やはにわを作ってたんでしょう

ちなみに文字を持たない民族はいずれどこかに征服されて、征服した側の宗教・文字・言語をそのまま使うようになったので、文字を持たないままだと、スペインとかポルトガルとかオランダの領地になって、日本人はみんなキリスト教徒になってオランダ語でもしゃべってるんじゃないでしょうか?
南米のような状況だね

匿名 さんのコメント...

白山さんこの前お祓いに行ったばかり;;

一緒に繁く行った亡くなった祖母は大谷派。この前頼んだごぼさんはLexus乗り。

誰かが挨拶周りに来た時「あれ森の息子や」って母親が蛇蝎のごとく嫌った感じやったけど結局民主に入れてた。。

匿名 さんのコメント...

毛唐が古来の磐境(イワサカ)を磐座(イワクラ)に摩り替えた祟り

http://tokumei10.blogspot.jp/2011/12/blog-post_7054.html

段々これが解ってきたズラw