外出です。(w
大作せんせについては何かもうちょっと書いた気もするのだが見当たらない・・・
「池田大作」と「五つのお墓」の物語
創価学会の池田大作名誉会長が公の場から姿を消して1年が過ぎた。この大震災に際しても音沙汰なく、健康危機説の真実味は増すばかりだ。すでに水面下では大権力者の墳墓に関する話題が取り沙汰されているという。実は彼にゆかりの墓が5つもあったのである。
「池田先生の体調がおもわしくないんだ。先生の身にもしものことがあった場合、レーニンのように、ご遺体をミイラ化し、会員が永遠に祀れるようにしたい。八王子の地にレーニン廟のような〝池田廟〟を作り、聖地にできればいいんだが」
創価学会のドン、池田大作名誉会長(83)をミイラ化する……発言の主は、こう大真面目で語ったという。平成15年5月頃、ある元学会幹部が副会長クラスの人物から聞かされた話である。その元幹部が言う。
「この時期、池田名誉会長がーカ月ほど公の場から姿を消したことがあり、体調不良説が流れました。その頃、ある大幹部からこの話をされたのです。部外者から見れば荒唐無稽かもしれませんが、彼は真剣そのものの面持ちでした」
その池田名誉会長に1年前から健康不安説が流れているのは、各種報道でご承知の通りだ。
ある古参信者は、
「公の場に1年も出てこないため、〝脳梗塞の後遺症で車椅子状態。発語障害があり、認知症も進んで大幹部の顔も分らなくなっている〟と噂されています。いよいよXデーが近いとか……」
無理もない。東日本大震災という天災が発生したに、もかかわらず、陣頭指揮をとるどころか、何ら肉声メッセージさえ発信できていないのが現状である。今回の大震災で、御大の〝当事者能力喪失〟が明るみに出てしまったのだ。
公明党の事実上のオーナーであり、日本の政治に大きな影響力を及ぼす池田名誉会長の健康問題である。世間の関心が教団の後継間題に向かうのは当然だが、もう一つ重要なのが、万一、この大権力者が身罷った場合、どこにどう埋葬されるのか、という点。池田氏のお墓の話である。
異宗徒の墓
池田家にまつわる墓は全国で5カ所あるとされる。そのうち一番最初に作られた墓から話を始めよう。
東京都大田区大森。マンションや商店が並ぶ一角にその寺はあった。
平安時代に開創され、1100年以上の歴史を持つ密厳院。境内には、あの〝八百屋お七〟を祀ったお七地蔵なども安置されている。ちなみに大森は池田氏の生誕の地でもある。当地で海苔製造業を営んでいた父・子之吉(ねのきち)氏が昭和30年にこの密厳院にお墓を建立した。
「子之吉さんは、昭和20年、にビルマで戦死した長男の喜一氏を供養するためにうちに墓を建てられたのです」
というのは、住職の喜田啓照氏である。なお、池田氏は10人きょうだいの五男坊だ。「その翌年、子之吉さんもお亡くなりになり、このお墓に納骨されました。ですから、ここにはお二方のお骨が納められています。子之吉さんの死後は次男の増雄さんがお墓を継がれた。その増雄さんも逝去され、今ではお墓の所有者はその息子さんになっています」 ここが池田家のそもそものお墓であるが、奇妙な点がある。実はここは真言宗智山派の寺院。池田氏らが日頃、邪教としている異宗徒の墓地なのだ。
「このお墓の存在によって、浮かび上がってくる事実があります」
というのは、学会問題に通暁し、『池田大作金脈の研究』(第三書館)などの著書があるジャーナリストの野田峯雄氏だ。
「つまり、会員には〝親兄弟や友人を折伏して入信させろ〟と大号令をかけながら、自分は父親の子之吉さんさえ折伏できなかったということです」
野田氏によれば、池田父子の間には宗教を巡って激しい相克があったらしい。
池田氏が創価学会の第3代会長に就任した後の昭和40年代、この大森のお墓を巡ってある〝異変〟が起きた。
「まだ存命だった増雄さんが来られ、〝弟がああいう立場なので……〟と、お父さまと長兄の遺骨を分骨したい旨の申し出をされました。本堂で分骨したことを今でも覚えています」(前出・喜田住職)
池田氏の意向で、分骨が実施されたようなのである。
「この時、二人の骨は、学会が土地を提供し、日蓮正宗が開発・運営している東京・八王子の高尾墓園に移されました。子之吉氏の法名も『浄徳清道信士』から、『種田院法子日実居士』に替えられた。喜一さんの戒名もしかりです。要するに父親も長兄も池田氏によって、二つの全く異なった宗派の法名を持ち続けるという、実に奇妙なホトケさんにされてしまったのです」
と、前出の野田氏。それにしても、なぜ彼はこのようなことをしたのか。
「推測になりますが、本人にしてみれば、〝自分が家族も折伏できず、まとめられなかった〟といわれることは我慢ならない。お骨をそのままにしておくと、この事実が残るので、容認できなかった、ということではないでしょうか」(同)
いずれにせよ異教の宗派のお墓であるから、池田名誉会長が死後、ここに永眠することはまずあり得ない。 次に建てられた池田家の墓は、野田氏が語った、八王子市の高尾墓園である。
この墓園がオープンしたのは昭和38年。3000坪ほどの広大な土地を創価学会が日蓮正宗の総本山、大石寺に寄進した。ただ造成は日蓮正宗が行い、その後の経営も総本山が行っている。墓園を管理する常修寺の関係者が語る。
「この墓園には学会の初代会長、牧口常三郎氏や2代会長の戸田城聖氏らのお墓もあります。池田大作さんはその区画の周辺を学会用に押さえました。池田家の墓も牧口、戸田家のすぐ下に設置したのです」
前述したようにここには、池田氏の父、子之吉氏と長兄の喜一氏が分骨され、後には母、一(いち)さんや昭和59年に29歳の若さで急死した池田氏の次男、城久氏のお骨も納められている。池田氏もここに埋葬されていい筈だが、そうもいかない事情がある。なにせ、高尾墓園は日蓮正宗が運営している。本来、日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかった創価学会。それが巨大化し、〝池田教〟へと変貌する中で、宗門と激しい〝戦争〟を繰り広げたことはご存じの通りだ。その結果、平成3年、池田氏率いる創価学会は日蓮正宗から破門されてしまった。池田氏にしてみれば、その憎き仇敵の運営するお墓に入れる筈がないのである。
3つ目に紹介するお墓は古都、鎌倉の「鎌倉霊園」にある。昭和30年代に西武鉄道が開発したものだ。この地に、昭和49年、前述の増雄氏が年老いた母親、一さんと自分のためにお墓を用意した。なお、この鎌倉霊園は無宗派の墓苑である。
「増雄さんは老齢の母の面倒を見て、一緒に暮らしていました。その母親が昭和51年9月に亡くなり、鎌倉霊園で供養しようとした。この時、割って入ってきたのが、池田さんです。すでに学会の3代会長となっていた彼にしてみれば、母親を無宗派の霊園に埋葬ざれては周りに示しがつかず、たまったものではない。だから、葬儀の喪主は増雄さんでしたが、実質的には創価学会に取り仕切らせました。まだ蜜月関係だった日蓮正宗のお寺で、品川にある妙光寺において葬儀は営まれた。そして一さんの死の翌年、彼は、日蓮正宗総本山の大石寺に墓を建立。結局、一さんのお骨はその大石寺と高尾墓園、鎌倉霊園の3カ所に分骨されたのです」(学会ウォッチャー)
ともあれ、この増雄氏が建立した鎌倉霊園の墓も無宗派だけに、池田名誉会長の墳墓としての適格性を欠いている。
次にご紹介するのは、いわずと知れた日蓮正宗のお膝元。前述した総本山大石寺にあるお墓である。 富士山を望む、緑豊かな墓地にある池田家の墓は一際、豪壮なものである。「建立は昭和52年9月6日。これは池田氏の母親、一さんの命日です。したがって母親のお骨を分骨するために建立されたお墓ということが窺えます」
と語るのは、日蓮正宗の宗務院渉外部の担当者だ。
「墓石には、他に子之吉氏、喜一氏の名前も刻まれていますが、納骨されているかどうかは分りません。ただ、名前の記されている次男の城久氏はここに分骨されていると思います。池田氏は破門される直前まで総本山に参詣していました。その際にお墓参りもしていたでしょう。今もお墓はいつも綺麗に掃除され、樒(しきみ)もよく取り替えられていますよ」
本来、「学会VS宗門」戦争がなければ、こここそが大本命。ご本人も入るつもりで建てた墓だったと思われる。しかし、破門された今となっては、この墓に埋葬されることは100%ないと断言できる。
最後に紹介するお墓は、奈良・生駒の山間の町にある。日蓮正宗・法雲寺。ここに池田氏が墓を建立したのは、昭和58年のことだ。
「法雲寺の住職だった故・石川秀頴(しゅうえい)氏と池田さんは非常に親しい間柄だった。そうした関係から、池田さんが石川さんのお寺に約1000万円ものお金をかけ、墓を建てたと聞いています」(前出の学会ウォッチャー)
現在、墓には誰の骨も入っていないという。いずれにせよ、ここも日蓮正宗のお墓である以上、池田名誉会長が埋葬されることはあるまい。
こう見ると、池田氏は5つも縁(ゆかり)の墓地がありながら、そのいずれにも居場所がないことになる。大教祖様にすれば何とも寂しい限りで、哀れにすら感じられる。
〝聖地〟新設
では、池田氏にもしものことがあった場合、本人や家族はどこに埋葬することを望んでいるのだろうか。
ジャーナリストの乙骨正生氏の見立てを聞こう。
「私は、破門される前の池田大作氏が大石寺に登山したように、あるいはムスリムがメッカを巡礼するように、会員が巡拝するための新たな〝聖地〟を作ると思います。〝これが現代のご本仏である池田先生のご灰骨である〟として聖地を新設すれば、拝観料という形で金儲けもしゃすい」
では、それはどこに作られるのか。
「まず八王子が候補に挙げられるでしょう。八王子には大規模な会議など各種イベントを行う東京牧口記念会館がある。創価大学のキャンパスもあります。敷地は広大にあり、どこにでも作れます。また本部がある新宿区信濃町も考えられる。ここは全国の会員が〝信濃町詣で〟をしています。現在、学会はこの信濃町に壮大な新総本部を建設中。この中に〝池田記念堂〟のような部屋を作る可能性もある。そこに金の骨壷や池田像などを置けば、信濃町詣での信者も増えるでしょう」
もっと変則的な展開があるのではないかと予想するのは、元学会広報部副部長の小川頼宣氏である。
「学会には北海道から九州まで全国13カ所に学会墓苑があります。池田氏が亡くなった場合、まず信濃町の本部にお骨を置いて、そこで一周忌の盛大な回忌法要を行うでしょう。その後、本骨は高尾墓園など首都圏に置きながら、七回忌あたりから全国の学会墓苑に徐々にお骨を分骨していくというショーを始めると思います。各地に分骨しないと、彼と共に眠れると思って墓苑を購入した会員から〝騙された〟という不満が出かねませんから」 むろん、現時点でこれだと断定はできないが、いずれの予測も説得力があり、あり得そうである。
そんな中、最も現実性がないと思われるのが冒頭でお伝えした「ミイラ化による池田廟建設」だ。しかし元公明党委員長の矢野絢也氏も学会幹部から同じ相談を受けたと証言する。「私が公明党書記長をしていた70年代に、ある幹部から〝池田先生が亡くなられた後、ミイラにできないか。レーニン廟みたいなものを作りたいんだ〟と相談を受けたのです。当時は学会上層部で真剣に検討もされていた。ただ日本では法律的に不可能であることがはっきりし、そのまま立ち消えになりましたが」
スターリン、毛沢東、金日成……。冒頭の証言も併せれば、こうした独裁者が抱いた野望が、特異な宗教団体の基底でも何十年も保持され、燻(くすぶ)り続けてきたといえよう。しかも厚労省によると、現在の死体解剖保存法の下では、遺族が了承し、指定病院が行えば、遺体を標本化できるという。それを病院などの医療施設以外に安置することも、当該の都道府県知事等が許可すれば間題ないというのだ。名誉会長ミイラ化には実現性が出てきたわけである。
さて名誉会長の健康状況やお墓の間題について、当の創価学会の広報室は、
「この種の質問にはお答えしておりません」
と言うのみ。権勢をほしいままにした大権力者、池田大作名誉会長は自身の墓をどこにしようと考えているのか。教団の後継間題や行く末とも密接に絡むだけに、今後も注視を要するのである。
『週刊新潮』平成23年6月9日号
→昭和天皇サイド
で、汚腐乱巣を裏切ったので・・・
、、、(爆wwwwwwwwwwww
2 件のコメント:
>汚腐乱巣を裏切ったので
それでカルトの総本山が火病起こして
ソウカガーソウカガー言ってるんですね(爆w
とりあえず
フランス カルト 創価
でTwitter検索したらウヨサヨがTLから消えた件w
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