2014年5月31日土曜日

有馬街道(別名:湯山(湯乃山)街道)が唐櫃で没落

2014/5/30 19:48
神戸・有馬街道で通行止め 路面陥没の復旧工事
神戸市北区有野町唐櫃の県道(有馬街道)で見つかった路面陥没の復旧工事のため、市は30日午後10時ごろから、現場周辺の約900メートル(唐櫃駅前交差点‐有馬口交差点)を通行止めにする。31日午前6時までに解除される予定。
六甲北有料道路の唐櫃インターチェンジ‐柳谷ランプを迂回路に設定。柳谷ランプで乗り降りした車両の通行料金は無料となる。
市によると、通行止め解除後も、片側交互通行は継続。復旧完了は6月1日以降の見通し。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201405/0007007679.shtml

有馬街道(ありまかいどう)は、大阪や神戸から有馬温泉に至る街道の名称である。現在では兵庫県道15号神戸三田線の別称として使用される。有馬道(ありまどう、ありまみち)ともいわれる。

「有馬街道」「有馬道」と呼ばれた道は歴史的に以下の三つのルートがあった。
  1. 神崎尼崎市) - 伊丹伊丹市) - 小浜宝塚市) - 生瀬西宮市) - 有馬温泉
    別名「湯山湯乃山街道(ゆのやまかいどう)」。
    このルートは最も歴史が古く、有馬温泉へ行く天皇や貴族、武家が往来したとされる道。大阪の難波宮が起点だとする説もある。兵庫県道41号大阪伊丹線のごく一部(園田支所前交差点から猪名寺交差点まで)は旧街道がほぼそのまま舗装された区間である。京都からの道筋である西国街道から池田で分岐し小浜でこのルートに合流する道も有馬街道(有馬道)と呼ばれていたようである。また、羽柴秀吉三木城を攻める(三木合戦)折に、この街道を有馬温泉から三木まで延長整備したことにより、姫路から京都への最短ルートとして利用されるようになり、姫路 - 有馬温泉間も「有馬街道」もしくは「湯山街道」と呼ばれていた。なお、「湯山(ゆのやま)」とは有馬温泉の別名で、有馬温泉の場所が摂津国有馬郡湯山村であったことに由来する。
  2. 深江(神戸市東灘区)- 雨ヶ峠六甲山)- 有馬温泉
    別名「魚屋道(ととやみち)」。
    現在の神戸市道有馬住吉線で、魚問屋が有馬温泉の宿に魚を卸す際に1.の湯山街道を経由して運搬すると、時間がかかるのと継立による運搬費用がかさむため、六甲山を越えるルートで魚を運ぶようになり、道が出来たとされる。阪神電車深江駅の南側にある大日神社から西国浜街道と分岐している。
  3. 平野(神戸市兵庫区)- 天王谷 - 山田(神戸市北区) - 唐櫃(有馬口) - 道場(神戸市北区) - 三田三田市)。
    現在の兵庫県道15号神戸三田線。(神戸市兵庫区~神戸市北区皆森交差点間は国道428号と重複)
    明治7年(1874年)に、「天王谷越え」と呼ばれていた山道を、有馬郡役所があった三田まで整備した道。



→少年H


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(ひつ)とは、かぶせ蓋がついた箱である。古くから現在に至るまで収納用に多用されている。
「ひつ」は大和言葉であり、櫃をそう読むのは訓読みである。聖櫃(せいひつ)などは重箱読みである。櫃の音読みは「キ」である。
脚が付いていないものは倭櫃(やまとびつ)と呼ばれる。
倭櫃に対し、4本または6本の脚のついた櫃は唐櫃(からびつ、かろうど、かろうと)といい、宝物・衣服・文書・武具などの内容物を湿気から守るために用いられてきた。
も唐櫃と呼ぶ。ただし本来は「屍櫃」の意味である(屍をカラと呼ぶ現代語例として「なきがら」などがある)。このことから、墓石下の遺骨を納める空間(納骨棺)を、「かろうと」から「カロート」というようになった。


かんひつぎ))とは、遺体を納めて葬るための容器。木製の場合は木棺(もっかん)、石造の場合は石棺(せっかん)と称される。
俗に、中身が入っていないものを棺、遺体が収められたものを「柩」とする説があるが、遺体が収められたものを家から火葬場に送り出すことを「出棺」といったり、棺に「ひつぎ」の訓があるように、「かん」と「ひつぎ」の使い分けはほとんどない。









色々教えてくださり協力してくださった皆様のお陰です。

ほんとうにありがとうございました。(爆wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

1 件のコメント:

GABRIEL さんのコメント...

ウチは何故か倭柩な仕様のものばかりでしたけど何故かしら?

少し離れた地域に切支丹灯籠のある集落があり、藩の庇護を得た神社もありますが