訃報:野並豊さん91歳=崎陽軒会長
毎日新聞 2014年01月14日 11時14分(最終更新 01月14日 11時20分)
野並豊さん91歳(のなみ・ゆたか=崎陽軒会長、野並直文・同社社長の父)10日、肺炎のため死去。通夜は17日午後6時、葬儀は18日正午、横浜市港北区菊名2の1の5の妙蓮寺斎場。葬儀委員長は原範行・ホテルニューグランド会長。後日、しのぶ会を行う。喪主は長男直文(なおぶみ)さん。
看板商品「シウマイ」で知られる同社の2代目社長。社長時代に保存性の高い真空パックのシウマイを開発、発売した。
http://mainichi.jp/select/news/20140114k0000e060135000c.html
崎陽軒 - Wikipedia via kwout
餃子の次はやっぱシウマイですか・・・(w
株式会社ホテル・ニューグランド 代表取締役会長
原 範行氏
【はら のりゆき】
PROFILE
昭和4年、フランス・パリに生まれる。昭和28年、東京工業大学金属工学科卒業、日産自動車株式会社に入社。42年、退社。46年、原地所株式会社代表取締役社長。
58年、株式会社ホテル・ニューグランド代表取締役社長。平成15年、同代表取締役会長。横浜商工会議所副会頭、財団法人横浜観光コンベンションビューロー理事、社団法人日本ホテル協会元会長、三渓園保勝会理事、ほか公職多数。
原 富太郎(はら とみたろう、慶応4年8月23日(1868年10月8日) - 昭和14年(1939年)8月16日)は、実業家、茶人。号は三溪。美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜県岐阜市)出身。
略歴青木久衛の長男として生まれる。小学校卒業後、儒学者の野村藤陰や草場船山に学ぶ。その後上京し、東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務める。1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫・原 屋寿(はら やす)と結婚し、原家に入る。横浜市を本拠地とし、絹の貿易により富を築いた。
また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていた。
1915年に帝国蚕糸の社長、1920年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)の頭取となる。1923年の関東大震災後には、横浜市復興会の会長を務めた。しかし関東大震災後の復興支援のため私財を投じ衰微。
美術品の収集家として知られ、小林古径、前田青邨らを援助した。横浜本牧に三溪園を作り、全国の古建築の建物を移築した。三溪園は戦前より一部公開されていたが、戦後原家より横浜市に譲られ、現在は財団法人三溪園保勝会により保存され、一般公開されている。
子に原善一郎、原良三郎らがいる。
、、、(w
3 件のコメント:
ま た 長 崎 か(爆w
北海道警によると、15日午前、北海道余市町の余市港内で男性の遺体が見つかった。元JR北海道社長の坂本真一相談役(73)の可能性があるとみて確認を急いでいる。
JR北海道相談役が死亡か
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303919304579321981614338144.html?dsk=y
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140115-OYT1T00796.htm?from=ylist
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