津山・小3女児殺害から9年 有力な手掛かりつかめず
津山市総社、小学3年筒塩侑子(ゆきこ)さん=当時(9)=が下校直後、自宅で刺殺された事件から9月3日で9年となるのを前に、津山署捜査本部は30日、捜査状況を発表した。岡山県警は「最大の懸案」と位置付け、これまで延べ約4万6千人の捜査員を投入したが、犯人に迫る有力な手掛かりはつかめていない。
県警は2011年3月、凶悪事件の公訴時効撤廃を受け、未解決事件に専従する「特命事件捜査係」を捜査1課に設置。証拠や他事件との関連を洗い直し、現場から採取した毛髪、皮脂についてもDNA型を再鑑定した。
現在も鑑識課や津山署員を含め42人態勢で捜査。5月からは「初心に帰ろう」と、現場周辺での聞き込みにあらためて力を入れているが、有力な物証や目撃証言はなく、市民の情報提供もこの1年で4件にとどまる。
侑子さんは04年9月3日午後3時35分ごろ、1階洋間で胸など数カ所を刺され、制服姿で倒れているのを帰宅した家族が見つけた。死因は窒息か失血死の疑い。凶器は小型の刃物とみられるが発見には至っていない。
犯人像は絞り切れていないが、自宅近くの中国自動車道高架下で当日、下校中の侑子さんとみられる女児に薄ら笑いを浮かべる男が目撃されていたことが判明。捜査本部はこの男の割り出しが捜査進展の鍵とみており、3日には遺族とともに自宅付近などでちらしを配り、情報提供を呼び掛ける。(2013/8/30 14:30)
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013083012471726/
美作総社宮(みまさかそうじゃぐう)は、岡山県津山市にある神社。正式名称は総社。美作国総社で、旧社格は県社。
主祭神
大己貴命 (おおなむちのみこと)
相殿神
鏡作命 (かがみつくりのみこと) - 中山神社(美作国一宮)祭神
鵜茅葺不合命 (うがやふきあえずのみこと) - 高野神社(美作国二宮)祭神
美作国内の神
歴史
古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。
社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが始まりという[1]。ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない[2]。
奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える[1]。その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社・高野神社など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという[1]。鎌倉時代に入り国府は廃れたが、当社は美作三大社の一社として崇敬されたと伝える[1]。
確かな文献により当社の沿革が明らかとなるのは、永禄12年(1569年)、当地に進出してきた毛利元就により所領が安堵されて以降である[2]。その後は領主からの崇敬は篤く、江戸時代には津山藩主の森氏・松平氏から社領の寄進も受けた[1]。
明治維新後、近代社格制度において県社に列したほか、神饌幣帛料共進神社に指定された[2]。
、、、(w
0 件のコメント:
コメントを投稿