マジで非常にマズ~な真実をばらしてしまう気なんでしょうかねえ・・・誰かさんたちは・・・
だとすると朝日新聞さんに迫る非常にマズ~な危機ですなあ・・・(爆w
突っ込みどころ満載ですがとりあえず・・・
→
三五朗
site:tokumei10.blogspot.com 三五
→
ソウル大学
とか・・・(爆w
、、、(爆w
→イエズス会
→26th Superior-General of the Society of Jesus
、、、(爆w
オーストリアの貴族即ちハブスブルグ家・・・
朝日新聞さんもそろそろ全速力で走って逃げてええ!
・・・せんとあかんもしれんね。(爆w
39 件のコメント:
'...I also think it correct for the National Socialists in Prussia
,as the less dangerous place,
to show whether they are really in a position to cope with such high offices.'
At the time of writing,of course,
Adenauer knew perfectly well that if his view prevailed,
the new Minister-President of Prussia would be one of Hitler's principal adjutants,
Hermann Göring.
http://books.google.com/books?id=7mhpKYpugJsC&pg=PA202
CDU-Politiker Geißler: Siegessäule "dümmstes Denkmal" in Deutschland
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/cdu-politiker-geissler-nennt-siegessaeule-duemmstes-denkmal-a-839551.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0904X_Z00C13A1CC1000/
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130111/trd13011118180009-n1.htm
http://zigzag.blog.jp/archives/1005620447.html
アブラハム手嶋
Abraham Kaufman, a prominent Zionist in Harbin; Chiune Sugihara
sugihara harbin
「命のビザ」記憶遺産申請へ
ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人に日本を通過するビザを発給して6000人を救ったとされる外交官・杉原千畝の出身地、岐阜県八百津町はいわゆる「命のビザ」などについてユネスコの「記憶遺産」への登録を申請することになりました。
杉原千畝はリトアニアの領事代理だった第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人に日本を通過するビザを発給し、およそ6000人の命を救ったことで知られています。
杉原の出身地、八百津町では国を超えて多くの人の命を救った普遍的な人道的行為を示す貴重な資料だとして町が所蔵する「命のビザ」のほか、杉原の手記や、発給を受けた人の名簿、それに外務省とやりとりした公電など5種類の資料をユネスコの「記憶遺産」への登録を目指して日本ユネスコ国内委員会に申請することに
なりました。
八百津町の赤塚新吾町長は「町として、これを機に世界平和と命の大切さを発信していきたい」とコメントしています。
日本ユネスコ国内委員会はことし9月ごろ国内での候補の選考を行うということです。
06月18日 17時33分
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:XfWLB-BEzP0J:www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3085633341.html%3Ft%3D+&cd=30&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
Betar
Rudolf Kastner
敦賀港の歴史学ぶ発表会
第2次世界大戦中、迫害を逃れたユダヤ人が上陸した敦賀港の歴史などをテーマにした講演会が敦賀市で開かれました。
この講演会は敦賀市の歴史を研究している市民団体が、活動を始めて20年を迎えたのを記念して開き、敦賀市立博物館には市民など約40人が集まりました。
まず、第2次世界大戦中、迫害を逃れたユダヤ人が上陸した敦賀港について講演が行われ、「命のビザ」を発給した杉原千畝の功績などを紹介する資料館の創設に関わった古江孝治さんがユダヤ人の亡命のいきさつを解説しました。
このなかで、お金が足りないなどの理由で本来は上陸できないユダヤ人が最終的に入国できた事実に触れ、当時の日本政府が国際世論をおそれ、受け入れたのではないかと指摘しました。
このほか、大手百貨店「高島屋」の創業者で敦賀の出身の飯田新七をテーマに取り上げた講演も行われ、参加した人たちが郷土の歴史に理解を深めていました。
70歳の男性は「地元の自分たちでも知らない史実を再認識するのは大事なことだと思います」と話していました。
主催した日本海地誌調査研究会の繁田良三会長は「将来に自分たちは地域に何を残していけるのか市民とともに考えていきたい」と話していました。
09月20日 19時38分
www3.nhk.or.jp/lnews/fukui/3054291601.html?t=
記憶遺産候補に命のビザ
岐阜県八百津町出身の外交官、杉原千畝が第2次世界大戦中、ユダヤ人を救うために発給したビザなどの関係資料が、世界各地に伝わる古文書などを保護するユネスコの「世界記憶遺産」登録に向け、日本から申請されることが決まりました。
杉原千畝は、第2次世界大戦中リトアニアで副領事を務めていた当時、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、領事館に押し寄せたユダヤ人に、人道上の立場から外務省の指示に背いて日本の通過ビザを発給し、およそ6000人の命を救ったとされています。
国家を枠を越えて多くの人命を救った資料は「命のビザ」ともいわれていて、日本ユネスコ国内委員会は24日、八百津町が所蔵するビザなどの資料を「世界記憶遺産」として申請することを決めました。
理由について委員会は、杉原が果たした人道的な業績を示していて、世界的にも価値があるとしています。「記憶遺産」は世界各地に伝わる重要な古文書や貴重な映像などを人類の財産として保護しようとユネスコが登録するもので、杉原千畝の関係資料が登録されるかどうかの審査は再来年夏ごろに行われる予定です。
09月24日 15時02分
www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3085013241.html?t=
レオ・メラメド・シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)グループ名誉会長による安倍総理大臣表敬
平成26年7月1日
www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_000546.html
杉原千畝氏の出身地から喜びの声 記憶遺産候補に決定 :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO92019160U5A920C1000000/
2015/9/24 14:00
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会が記憶遺産の候補として故杉原千畝氏の資料を選定したことを受け、出身地の岐阜県の古田肇知事は記者会見し「うれしいニュースが飛び込んできた。杉原氏の人道行為の世界的な重要性が認められた」と語った。
杉原氏が生まれ育った岐阜県八百津町の赤塚新吾町長は「誠に喜ばしい。戦争の悲惨さや命の大切さを、杉原さんの人道的な行為を通して後世に継承していきたい」とするコメントを発表した。
一方、同じく記憶遺産の候補に選ばれた「上野三碑」の地元の群馬県文化振興課の担当者は24日、「本当にうれしい。16件の中から選ばれたのは名誉だ。世界に認められるよう、本申請も頑張りたい」と話した。〔共同〕
Betar Sugihara
【世界記憶遺産】「日本人は歴史修正主義」「訪日“爆買い”は許せない」 ネットにあふれる反日コメント、上海で次なる遺産申請も準備 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/world/news/151010/wor1510100049-n1.html
2015.10.10 21:10更新
中国国旗を手に、南京大虐殺記念館を訪れる子どもら=5日、中国江蘇省南京市(共同)
【上海=河崎真澄】中国版ツイッター「微博(ウェイボ)」や中国紙のサイトは10日、旧日本軍によるいわゆる「南京事件」資料のユネスコ世界記憶遺産登録を日本政府が批判したことに対して、「日本人はユネスコに反対する歴史修正主義者だ」「日本製品の不買運動を始めるべきで、中国人の訪日“爆買い”観光は許せない」などと感情的な書き込みであふれた。
共産党機関紙、人民日報系の環球時報(電子版)は同日、「全人類が日本軍国主義の野蛮な行為を歴史の恥辱を示す柱にクギづけにする」などと論じ、今回の登録を政治利用する意向をむき出しにした。
南京事件が起きたとされる12月13日は例年、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で追悼式典が行われている。昨年は初めて習近平国家主席が出席して演説を行ったが、今年は一段と反日色を強める恐れがある。
中国はさらに、戦前に上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民資料を世界記憶遺産としてユネスコに申請する準備を進めている。
ユダヤ難民は旧日本軍が上海の日本人居留区で保護した経緯があるが、中国はこうした事実をほぼ封印し、中国がユダヤ難民の保護に貢献したかのようにアピールする考えとみられる。
【歴史戦】中国、上海ユダヤ難民資料を記憶遺産申請へ 旧日本軍が保護の史実を隠蔽 「抗日戦勝70年」の一環に(1/2ページ) - 産経ニュース
http://www.sankei.com/world/news/150809/wor1508090004-n1.html
2015.8.9 05:00更新
「世界記憶遺産」として登録申請の準備を進めている中国上海市内の上海ユダヤ難民記念館(河崎真澄撮影)
【上海=河崎真澄】戦前に欧州を追われ、上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民の資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業が中国で進んでいることが8日、関係者の話で分かった。ユダヤ難民は旧日本軍が当時、上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いて保護した経緯があるが、中国側はこうした事情をほぼ封印し、「抗日戦争勝利70周年」の一環として、中国がユダヤ人保護に貢献したかのように国際社会にアピールする考えだ。
今回の申請作業を進めているのは、戦時中は摩西会堂(ユダヤ教会)と呼ばれ、現在は上海市虹口区当局が管轄している「上海ユダヤ難民記念館」。記念館が集めた難民の名簿や遺留品、旧日本軍が管理した隔離区(通称・ユダヤ難民ゲットー)に関する資料、難民から聞き取った証言などをまとめ、中国政府とともに登録を働きかけている。
申請作業と並行し、9月3日に北京で大規模な軍事パレードなど一連の抗日戦勝利70周年記念イベントを行うのに合わせ、記念館や「リトルウィーン」と呼ばれたユダヤ難民の住居やダンスホール、カフェなどが立ち並ぶ、当時としては自由を謳歌(おうか)したエリアの建築物改修を終える予定だ。
戦前の上海では、アヘン戦争(1840~42年)を経て英国などが設置した租界や、1937年の日中戦争の後にできた日本人居留区への上陸には必ずしも正式な書類は必要なかった。
元駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)氏が人道的な見地から発給し続けた「命のビザ」を手に、日本を経由して、当時は世界でも限られた難民受け入れ地だった上海に向かったユダヤ難民も少なくなかった。
42年、ナチス・ドイツが日本に「最終解決」と称してユダヤ難民の殺戮(さつりく)を迫ったが、旧日本軍はこれを拒否。43年に「無国籍難民隔離区」を置き、許可なく域外に出られない制限を加えてナチス・ドイツに説明する一方、ユダヤ人の生命を守った歴史がある。
日本がユダヤ難民を保護した理由として、上海社会科学院歴史研究センターの王健副所長は、「旧日本軍がユダヤ難民を当時の満州などに移住させて利用しようとした『河豚(ふぐ)計画』が背景にある」とみている。
中国は昨年6月、「南京事件」と「慰安婦」を世界記憶遺産に登録申請し、日本政府が反発している。
ユダヤ人救った外交官・杉原千畝たたえる NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151015/k10010270151000.html
10月15日 7時00分
ユダヤ人救った外交官・杉原千畝たたえる
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツから迫害されていたユダヤ人にビザを発給し、多くの命を救ったことで知られる日本の外交官、杉原千畝の業績を記念する行事がロシアで行われ、勇気のある人道的な行為をたたえました。
杉原千畝はリトアニアで副領事を務めていた1940年、ナチス・ドイツから迫害されていたユダヤ人に人道上の立場から、本国の指示に背いて日本の通過ビザを発給し、およそ6000人の命を救ったとされています。
外務省を退職したあとは、1960年代から70年代にかけて日本の貿易会社の社員としてモスクワに駐在し、「ウクライナホテル」に入っていた事務所で働いていました。
杉原が「命のビザ」を発給して、ことしで75年になるのに合わせて、14日、このホテルでロシアのユダヤ系住民の団体が主催して、杉原の業績を記念する行事が行われました。この中で、モスクワ駐在時代の杉原の下で働いていた川村秀さん(82)が講演し、「杉原さんは自身については多くを語らない武士のような人物だったが、ロシア語やドイツ語を流ちょうに話し、商談相手と直接、交渉に臨んでいた」などと思い出話を披露しました。
主催したユーリー・カンネルさんは「杉原さんは世界のヒーローだ。最もつらく、最も暗い時代にあって、みずからの命も出世も顧みず、他人の命を救った」などと述べ、勇気のある人道的な行為をたたえました。
高山の外国人宿泊客過去最多に
去年、岐阜県高山市に宿泊した外国人の数は、円安の影響や北陸新幹線の開業効果などもあって推定で過去最多の36万人に達する見込みです。
高山市によりますと去年1年間で高山市内のホテルや旅館などの宿泊施設に泊まった外国人は、推定で36万人に達する見込みです。
これは、おととしより8万人、率にして30%近く増えて過去最多になる見通しです。
このうち、中国からが1万9800人とおととしの4倍近くに増えるなど全体のおよそ60%がアジアからの宿泊客です。
また、目立ったところでは、イスラエルからが1万3400人とおととしの2倍あまりに増えています。
これについて高山市は、第2次世界大戦中、ユダヤ人にビザを発給して多くの命を救った外交官、杉原千畝の出身地、岐阜県八百津町にある杉原の記念館と高山をセットで巡るツアーが定着していることがあげられるとしています。
一方、去年1年間に高山市を訪れた観光客は推定で430万人あまりと過去最高になった平成19年とほぼ同じ水準になる見通しです。
高山市観光課では「外国人の宿泊者の増加は円安やビザの要件が緩和された影響もあるが、北陸新幹線の開業効果も現れている」と話しています。
01月04日 16時55分
www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3084404531.html?t=1451894157
www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3083294421.html
リトアニア千畝記念館に募金を
第2次世界大戦中迫害から逃れる多くのユダヤ人を救った岐阜県八百津町出身の外交官杉原千畝が当時勤務していた、リトアニアの日本領事館の古くなった建物を修繕しようと、岐阜県と八百津町が資金支援のための募金を始めました。
八百津町出身の杉原千畝は、第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人を救うため日本の通過ビザを発給し、およそ6000人の命を救ったとされています。
そのビザを発給したリトアニアの旧日本領事館は、杉原の功績を伝える記念館になっていますが、老朽化で修繕が必要になっています。
修繕には数千万円程度の資金が見込まれますが、寄付金や入館料でその資金を確保できる状況にないということで、岐阜県と八百津町は県民の、世界に誇る功績を広く知ってもらおうと、募金を集めることにしました。
募金は、1日からことし8月末まで県庁や、八百津町にある「杉原千畝記念館」など県内あわせて19か所に募金箱を設けて行います。
岐阜県の国際戦略推進課は「杉原の関係資料を世界記憶遺産として本申請する前に岐阜でできることをしていきたい」と話しています。
03月01日 15時20分
リトアニア日本大使が敦賀訪問
第2次世界大戦中、多くのユダヤ人を救った杉原千畝が「命のビザ」を発給した、リトアニアにある日本大使館の特命全権大使が敦賀港を訪れ、杉原の功績などを視察しました。
旧・リトアニアの領事館の外交官・杉原千畝は、第2次世界大戦中、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人にいわゆる「命のビザ」を発給し、約6000人の命を救ったことで知られています。
25日は、リトアニアにある日本大使館で去年から特命全権大使を務めている重枝豊英さんが杉原の功績を視察するため、かつてユダヤ人が上陸した敦賀港を訪れ、ユダヤ人を受け入れた当時の様子を今に伝える資料館、「人道の港敦賀ムゼウム」を視察しました。
重枝大使は、ユダヤ人難民が敦賀に上陸した経緯や杉原の功績を記した展示のほか、敦賀港に上陸したユダヤ人の名前が記された記録を見て「アルファベトをカタカナに直しきちんと記入されている」と話すなど興味深く視察していました。
重枝特命全権大使は、「杉原さんの活動は現地でも大変評価され、ビザで助かった人が敦賀に降りて、それぞれの人生をまっとうできた。
このことを日本中に発信していってほしい」と話していました。
07/25 19:59
www3.nhk.or.jp/lnews/k/fukui/3054258971.html
杉原さんとのことはドラマには出てこなかった。
東京新聞:故杉原千畝妻の遺言無効 東京地裁、四男請求認める:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016111701001704.html
2016年11月17日 20時21分
第2次世界大戦中、ナチスの迫害から逃れる多くのユダヤ人難民に査証を発行したことで知られる外交官故杉原千畝の妻で、2008年に94歳で死去した幸子さんの遺言について、ベルギー在住の四男伸生氏(67)が無効確認を求めた訴訟の判決で、東京地裁は17日、請求通り無効と認めた。
判決によると、遺言は幸子さんが入院していた01年12月に公証人が作成。全ての財産を長男(01年6月死去)の子ども2人に相続させ、長男の妻を遺言内容の執行者とする内容だった。
(共同)
2016.12.22 10:29
「命のビザ」にソ連の影 杉原千畝の活動を経済利益・軍事情報狙い“容認”か 露の歴史研究で判明
http://www.sankei.com/world/print/161222/wor1612220019-c.html
【モスクワ=黒川信雄】第二次大戦中に多くのユダヤ人を救った“命のビザ”で知られる日本人外交官、杉原千畝(ちうね、1900~86年)が進めたリトアニアからの救出劇の成功の背景には、ソ連領を通過するユダヤ人から経済的利益や軍事情報を得ようというソ連側の狙いがあったことが、ロシアの歴史研究家らの共同研究で分かった。
杉原は第二次大戦中にリトアニアで日本領事館領事代理を務め、ナチス・ドイツに迫害された数千人のユダヤ人が米国などに渡れるよう、日本の通過ビザを発給した。当時、日本政府は避難先の入国許可を得ていない外国人に通過ビザを発給しない方針だったが、杉原はそれに反してビザを出し続けたとされる。
ただリトアニアから日本に向かうには、当時のソ連領を通過する必要があった。ソ連がなぜ大量の難民の通過を容認したかについては、十分な研究はされていなかった。
この問題をめぐり当時のソ連指導部間の書簡や回想録、公文書館の資料、国営旅行会社の活動実態などに基づき共同研究を進めたロシア・ホロコースト・センターのイリヤ・アルトマン共同代表(61)は、ソ連当局がユダヤ人の自国領内の通過を承認した理由として、「経済的利益」と「海外情報網の構築」という2つの狙いがあったことを指摘する。
第二次大戦の勃発後、外国からの観光客が途絶えたソ連にとり、ユダヤ人難民は貴重な外貨収入源とみなされた。ソ連は極東に逃れるユダヤ人をモスクワに送り、ボリショイ劇場での観劇や高級ホテルへの宿泊などをさせた後に、シベリア鉄道で極東ウラジオストクに移動させた。
難民1人の“旅行代金”は200ドル程度だったと推定されている。当時の200ドルは巨額で、多くの難民は親類や慈善機関の支援などを受け、ようやく支払ったといわれる。
またソ連は当時、海外情報を得るための諜報機関整備が不十分だった。そのためソ連は難民らに情報収集活動への協力を働きかけていたという。
杉原の軍事情報収集能力をソ連が高く評価していた実態も明らかになりつつある。アルトマン氏によれば、ソ連が特に強い関心を寄せたのは、同国によるリトアニア併合(40年8月)後、杉原が赴任した独ケーニヒスベルク(現在のロシア・カリーニングラード)での活動という。
杉原は41年5月、現地に日本領事館を開設。バルト海沿岸での独軍の移動の状況などから独ソ戦争開戦(41年6月)のタイミングをほぼ正確に推測し、モスクワの日本大使館、駐独日本大使、日本外務省に電報で伝えていたためだ。
当時ソ連は日本の暗号を解読する技術を有し、日本側の情報はソ連側に筒抜けだった。杉原が日本などに宛てた3通の電報をめぐっては「ソ連の情報機関だけでなく、政界指導部にもおそらく知れ渡っていた」という。
さらにソ連は、日本がモスクワから極東に鉄道輸送していた外交文書を撮影するために列車内に専用設備まで設けていたといい、ソ連当局が日本の情報を極めて重視していた実態が浮かび上がっている。
ロシア・ホロコースト・センターは10月、モスクワで杉原の活動を顕彰する国際フォーラムを開催した。
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finland onodera makoto
>難民1人の“旅行代金”は200ドル程度だったと推定されている。当時の200ドルは巨額で、多くの難民は親類や慈善機関の支援などを受け、ようやく支払ったといわれる。
>慈善機関の支援
慈善機関の支援を受けることができた方々とその機会に恵まれなかった方々
JTB 杉原千畝
japan tourist beauro jewish refegees
www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3086493361.html
児童が杉原千畝の創作劇披露へ
第2次世界大戦中、「命のビザ」で多くのユダヤ人の命を救った岐阜県八百津町出身の外交官、杉原千畝の業績を伝えようと、1月末、地元の小学生たちが新しい創作劇を披露することなり、練習に励んでいます。
これは杉原千畝の「命のビザ」の関係資料が、ことしの夏にもユネスコの「世界の記憶」の登録に向けた審査が行われることから、例年、劇を上演している八百津小学校の6年生が中心に作りました。
1940年のリトアニアにタイムスリップした小学校の子どもたちと、ユダヤ人の子どもたちとの交流を通じて、杉原千畝の功績を紹介する内容で、子どもたちは12月から台本の読み合わせなど練習に取り組んでいます。
6年生の女の子は「私も周りの仲間を大切にした千畝さんの生き方をまねしてみんなで協力して劇に取り組みたい」と話していました。
また八百津小学校の納土良雄校長は「記憶遺産登録という町民の願いを、子どもたちが劇で伝えてくれると思います」と話しています。
劇は1月31日、岐阜市のぎふ清流文化プラザで上演されます。
01月02日 10時06分
アメリカで杉原千畝の「命のビザ」学ぶ講演会
4月21日 6時20分
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人にいわゆる「命のビザ」を発給した日本の外交官、杉原千畝の功績をアメリカの外交官らが学ぶ講演会が首都ワシントンで開かれました。
これは20日、アメリカ国務省やワシントンにある日本大使館などが開きました。
国務省は毎年この時期に、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストについて学ぶ催しを開いていますが、ことしは当時リトアニアに駐在し、ユダヤ人に日本の通過ビザを発給しておよそ6000人の命を救った日本の外交官、杉原千畝を初めて取り上げました。
講師には杉原千畝が発給したビザで日本を経由してアメリカに逃れ、その後、シカゴに金融先物市場を設立したことで知られるレオ・メラメドさん(85)が招かれました。
メラメドさんは杉原千畝が本国の命令に背いてでもビザを発給したことをたたえ、「すべての個人に何かを変える力があるという杉原千畝が残したメッセージを伝え続けたい」と述べ、良心にしたがって行動する大切さを訴えました。
会場には国務省の職員やワシントンに駐在する外交官およそ200人が集まりメラメドさんの話に熱心に聞き入っていました。
国務省のヤズギャルディ、ホロコースト問題特使は「杉原千畝は偉大な人道主義者です。われわれは彼を見習うべきだと感じました」と話していました。
www3.nhk.or.jp/news/html/20170421/k10010956241000.html
ワシントンで“命のビザ”講演会
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人に、いわゆる「命のビザ」を発給した日本の外交官、杉原千畝の功績をアメリカの外交官らが学ぶ講演会が首都ワシントンで開かれました。
これは、20日、アメリカ国務省やワシントンにある日本大使館などが開きました。
国務省は、毎年、この時期に第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストについて学ぶ催しを開いていますが、ことしは、当時リトアニアに駐在し、ユダヤ人に日本の通過ビザを発給して、約6000人の命を救った日本の外交官、杉原千畝を初めて取り上げました。
講師には杉原千畝が発給したビザで日本を経由してアメリカに逃れ、その後、シカゴに金融先物市場を設立したことで知られる、レオ・メラメドさん(85)が招かれました。
メラメドさんは杉原千畝が本国の命令に背いてでもビザを発給したことをたたえ、「すべての個人に何かを変える力があるという、杉原千畝が残したメッセージを伝え続けたい」と述べ、良心に従って行動する大切さを訴えました。
会場には国務省の職員やワシントンに駐在する外交官、約200人が集まり、メラメドさんの話に熱心に聞き入っていました。
国務省のヤズギャルディ、ホロコースト問題特使は「杉原千畝は偉大な人道主義者です。われわれは彼を見習うべきだと感じました」と話していました。
04/21 19:02
www3.nhk.or.jp/lnews/k/gifu/3085787381.html
地方創生相が千畝記念館を視察
07月19日 18時56分
山本幸三地方創生担当大臣は、19日、八百津町にある「杉原千畝記念館」を訪れ、観光客のにぎわいを地域の活性化につなげる取り組みなどを視察しました。
山本地方創生担当大臣は地域のすぐれた取り組みやニーズを把握して施策に生かそうと、各地を視察しています。
19日は第2次世界大戦中、「命のビザ」で、多くのユダヤ人の命を救った外交官、杉原千畝の功績を伝えるため、出身地の八百津町にある記念館を訪れ、金子政則町長らの案内で「命のビザ」の写しなどを見学しました。
八百津町によりますと、記念館には国内外から年間4万人から5万人が訪れているということですが、「命のビザ」の関連資料がユネスコの「世界の記憶」に登録されれば、さらに来場者が増え、地方創生の追い風になることなどを山本大臣に説明したということです。
視察を終えた山本大臣は「ぜひ、一度訪れたいと思っていた施設で、記念館を活用して杉原千畝の業績を世界に発信し、観光につなげる取り組みについて、応援できるところは応援したい」などと話していました。
www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/3085183531.html
杉原ビザで救われた女性が講演
08月05日 12時36分
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人にいわゆる「命のビザ」を発給した外交官、杉原千畝の功績について考える講演会が、4日夜、岐阜県八百津町で開かれ、杉原のビザで生き延びた女性が「功績を後世に伝えていかなければならない」と訴えました。
八百津町を訪れたのは、8歳の時、杉原千畝が日本領事代理を務めていたリトアニアでビザの発給を受け、家族とともに日本を経由してアメリカに逃れた経験を持つ、ニューヨーク在住の女性、シルビア・スモーラーさん(85)です。
シルビアさんは、4日夜、地元の人など550人を前に講演し、「杉原氏の極めて良識的な行動のおかげで私は今、ここにいて息子、そして孫もいる。2100通余り発給されたビザが救った命は、何人になるかわからない」とたたえました。
そして、「こうした決断ができたのは、杉原氏が良心に従う選択を積み重ねた人格者だったからであり、その功績は後世に伝えていかなければならない」と述べました。
講演のあと、シルビアさんは、町が、杉原千畝に関する資料をユネスコの「世界の記憶」に申請していることについて、「現在も難民問題は深刻な状況であり、登録されれば世界のリーダーに改めて問いかけるものになる。登録されることはとても重要だ」と話していました。
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千畝ルート 海外旅行会社へPR
10月28日 19時05分
第2次世界大戦中、「命のビザ」を発給し、多くのユダヤ人の命を救った外交官、杉原千畝ゆかりの地とユダヤ人上陸の地を結ぶルートをPRしようと、イスラエルやアメリカの旅行会社の担当者が招待され、28日朝、高山市の朝市を見学しました。
招待されたのはイスラエルとアメリカの旅行会社4社の担当者です。
杉原千畝の出身地、岐阜県八百津町から高山市、金沢市などを経由し、「命のビザ」の発給を受けてユダヤ人が上陸した福井県敦賀市を結ぶルートは「杉原千畝ルート」と名付けられ、地元自治体などが海外の観光客も呼び込もうと取り組んでいます。
旅行会社の担当者らは28日朝、このルートにある高山市の朝市で、地元で採れたリンゴなどを買い求め、雰囲気を楽しんでいました。
また、世界遺産に登録された「高山祭」の展示施設では、豪華な造りの屋台などを見学し、「とても立派で、すばらしいです」と話していました。
高山市海外戦略課の森由貴チーフは「千畝に関してはユダヤ人の関心が高いですし、日本の歴史や田舎の文化にも興味を持ってもらいたいです」と話していました。
tokai-news/20171028/5179521.html
ユネスコ「世界の記憶」に「朝鮮通信使」と「上野三碑」
10月31日 5時53分
世界各地に伝わる古文書などを人類の財産として保護するユネスコの「世界の記憶」に、日本が申請していた群馬県高崎市にある古代の石碑「上野三碑」(こうづけさんぴ)が新たに登録されることになりました。
ユネスコの「世界の記憶」は世界各地に伝わる貴重な古文書や映像などを人類の財産として保護する事業です。
ことしの審査の結果、日本と韓国の民間団体が共同で申請した、江戸時代に朝鮮半島から派遣された外交使節団「朝鮮通信使」に関する歴史的な資料と、日本が申請していた群馬県高崎市にある古代の石碑、「上野三碑」の登録が認められました。
このうち、朝鮮通信使は朝鮮王朝の国王が日本へ国書を渡すために派遣した外交使節団です。江戸時代には徳川将軍の代替わりなどに12回にわたって派遣され、当時の対馬藩が幕府の仲介役を担って受け入れの窓口となり、韓国南部のプサン(釜山)を経て対馬に入った使節団を江戸まで案内しました。使節団の規模は回ごとに違いましたが、多いときで儒学者や医師、画家などおよそ500人で構成され、日本人との交流に努めました。朝鮮通信使は、豊臣秀吉の朝鮮侵略によって途絶えていた交流を復活させただけでなく、鎖国政策をとっていた江戸時代の日本にとって、海外の珍しい文化に接する機会だったという見方もあります。
また、「上野三碑」は、7世紀から8世紀にかけて群馬県高崎市で作られた3つの石碑で、当時の社会制度や東アジアとの文化交流を示す貴重な史跡です。
一方、同じく申請していた第2次世界大戦中に日本の外交官だった杉原千畝がユダヤ人を救うために発給したビザに関する資料は登録されませんでした。
ユネスコの「世界の記憶」にはこれまで国内から、京都府舞鶴市のシベリア抑留に関する資料などあわせて5件が登録されています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171031/k10011205151000.html
「世界の記憶」に上野三碑
10月31日 06時08分
世界各地に伝わる古文書などを人類の財産として保護するユネスコの「世界の記憶」に、日本が申請していた群馬県高崎市にある古代の石碑、「上野三碑(こうづけさんぴ)」が新たに登録されることになりました。
ユネスコの「世界の記憶」は世界各地に伝わる貴重な古文書や映像などを人類の財産として保護する事業です。
ことしの審査の結果、日本が申請していた群馬県高崎市にある古代の石碑、「上野三碑」の登録が認められました。
「上野三碑」は、7世紀から8世紀にかけて群馬県高崎市で作られた3つの石碑で、当時の社会制度や東アジアとの文化交流を示す貴重な史跡です。
一方、同じく申請していた第2次世界大戦中に日本の外交官だった杉原千畝がユダヤ人を救うために発給したビザに関する資料は、登録されませんでした。
ユネスコの「世界の記憶」にはこれまで国内から、京都府舞鶴市のシベリア抑留に関する資料など合わせて5件が登録されています。
http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20171031/0002959.html
命のビザ 世界の記憶登録ならず
10月31日 19時31分
世界各地に伝わる古文書などを人類の財産として保護するユネスコの「世界の記憶」に、日本から申請していた岐阜県八百津町ゆかりの外交官、杉原千畝の、いわゆる「命のビザ」は登録されませんでした。
ユネスコの「世界の記憶」は世界各地に伝わる貴重な古文書や映像などを人類の財産として保護する事業で、ことしの審査は10月24日からパリで行われていました。
その結果、岐阜県八百津町が申請していた第2次世界大戦中に日本の外交官だった杉原千畝が多くのユダヤ人を救うために発給した、いわゆる「命のビザ」に関する資料は登録されませんでした。
八百津町の金子政則町長は「誠に残念だが、町としては今後も杉原千畝記念館を中心に『世界平和』と『命の大切さ』などを発信し続けていきたい」とコメントしています。
http://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20171031/5311481.html
東京新聞:「命のビザ」千畝の思い、風化防げ リトアニア・杉原記念館が老朽化:国際(TOKYO Web ...
www.tokyo-np.co.jp › ... › 9月の記事一覧
Sep 5, 2017 · 【カウナス(リトアニア中部)=栗田晃】第2次世界大戦中、外交官の杉原千畝(すぎはらちうね)(1900~86年)がナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人に「命のビザ」を発給したリトアニア・カウナス ...
杉原 千畝ハウス修復プロジェクト クラウドファンディング募集終了のお知らせ | 相模原市の外壁塗装・屋根塗装・防水の専門店 ...
https://ichi-you.jp › ...
Aug 5, 2017 · 東洋のシンドラーとも呼ばれる、杉原千畝が “命のビザ” を発行したリトアニアの旧日本領事館の修繕工事を行います。築80年の老朽化したスギハラハウスの屋根と壁を、実際に杉原千畝が命のビザを発行した時代と ...
杉原千畝ハウス修繕プロジェクト | 広島市の屋根・外壁塗装専門店 ...
gaiheki.bosui.net › お知らせ
杉原千畝をご存知でしょうか?第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスで、 ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人たちにビザを発給し、約6,000人のユダヤ人難民を救ったといわれ ...
【第六弾】杉原博物記念館(Sugihara House)修復プロジェクト|これまでの活動 ...
tokon-international.org › no006-lithuania
リトアニア杉原千畝記念館 修復プロジェクト. リトアニアにある杉原千畝記念館の修復プロジェクトの様子です。 ホーム > これまでの活動 > リトアニア杉原博物記念館(Sugihara House)修復プロジェクト ...
命のビザ”で有名な「杉原千畝ハウス」の修復【リトアニア】 | 豊田市より発信
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Sep 20, 2017 · 杉原千畝(スギハラ チウネ)とは日本の元外交官で、先の大戦中ナチスに迫害されリトアニアに逃げてきた ... この話を聞いて立ち上がったのが、日本のペンキ屋で作るボランティア集団 ”塗魂インターナショナル” の ...
日本の「ペンキ屋」、「命のビザ」旧領事館を修復:朝日新聞デジタル
www.asahi.com › articles
Sep 10, 2017 · リトアニアにある、外交官の杉原千畝(ちうね)(岐阜県出身、1900~86)が「命のビザ」 を発給した旧日本領事館。その老朽化した壁をボランティアで塗りなおそうと立ち上がった日本の「ペンキ屋 ...
東洋のシンドラー・杉原千畝が「命のビザ」を発行した旧日本領事館を修繕、存続したい - CAMPFIRE(キャンプファイヤー ...
https://camp-fire.jp › ソーシャルグッド
Jun 5, 2017 · 東洋のシンドラー・杉原千畝が「命のビザ」を発行した執務室のあるリトアニア共和国カウナス市の旧日本領事館は、いま、老朽化が進み、雨漏りするなどし ... 主に住宅の塗り替えを手掛けるペンキ屋を営んでおり ...
友の為に命を捨てる?
説得力なさ過ぎ。きもすぎて、鳥肌立つ。
それを言われて、はいそうしますという気持ちになど絶対にならない。
友に自分の為に命を捨てられなどしたくない。
自分の命の使い方は、おこがましいけれど、自分で決める。自分も、友も。
そんなことを知った風に、誰かからなど絶対に言われたくない。
命のビザのユダヤ人が敦賀を再訪
【2018年】11月20日 20時58分
第2次世界大戦中、外交官の杉原千畝が発行したいわゆる「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害から逃れて敦賀港に上陸したユダヤ人の男性が20日、77年ぶりに敦賀市を再び訪れました。
敦賀市を訪れたのは、イスラエル在住のユダヤ人、ベルティ・フランケルさん(80)で、杉原千畝の功績などを紹介する展示施設「人道の港敦賀ムゼウム」を見学しました。
フランケルさんは、1937年にポーランドで生まれナチス・ドイツによる迫害の中、杉原千畝が発行した「命のビザ」で迫害から逃れ、シベリア鉄道を経由して1941年、3歳の時に敦賀港に上陸しました。
77年ぶりに敦賀を訪れたフランケルさんは、ユダヤ難民を載せた船の写真や、難民が持ってきたという時計などを感慨深そうに眺めていました。
また敦賀で当時、ユダヤ難民に無償でリンゴが配られたというエピソードが紹介されると、フランケルさんは自分も上陸した時にリンゴを受け取ったと話し、「とてもお腹がすいていたのでおいしかったのを覚えている。一生忘れられない味だ」と思い出を語りました。
見学のあとフランケルさんは「敦賀に来た日は寒く雨が降っていたが、上陸してとても幸せな気持ちになった。敦賀という港町を忘れることは絶対にない。杉原千畝の功績は次世代にも語り継いでいく」と話していました。
fukui/20181120/3050000905.html
「敦賀ムゼウム」移転し展示拡充
【2018年】11月24日 12時38分
第2次世界大戦中に敦賀に上陸したユダヤ難民などにまつわる資料を展示する「人道の港敦賀ムゼウム」が展示機能などを拡充するために移転することになり、敦賀市は新しい施設の計画案をとりまとめました。
「人道の港敦賀ムゼウム」は、ナチスドイツからの迫害を逃れて敦賀に上陸したユダヤ人難民の写真などを展示する資料館で、第2次世界大戦中にリトアニア領事だった杉原千畝が、いわゆる「命のビザ」を発給したことで多くの命が救われたことなどを紹介しています。
敦賀市は「ムゼウム」の展示スペースが手狭になっていることや、2023年春の北陸新幹線の県内開業を見据えて今の資料館の近くに新しい施設の建設を決め、このほどその計画案をまとめました。
それによりますと外観は明治後期から昭和初期にかけて敦賀港にあった駅舎や税関、それに商船会社などをイメージしていて、あわせて4棟の建物からなっています。
広さは現在のおよそ4倍の1200平方メートル余りで、大型シアターや企画展示室のほか修学旅行生などに向けた研修室を設ける計画です。
総事業費はおよそ12億円で、敦賀市は、12月7日まで市民から意見を募った上で計画を策定し、2020年度中のオープンを目指すとしています。
fukui/20181124/3050000934.html
“命のビザ”記念館を救え|けさのクローズアップ|NHKニュース おはよう日本
https://www.nhk.or.jp › digest › 2017/10
2017/10/08 · 二宮「その舞台となったリトアニアでは、当時の日本領事館が『杉原記念館』として今も残されていますが、建物の老朽化で保存が難しくなっ ... 日本からやってきたペンキ屋のボランティア集団「塗魂ペインターズ ...
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