「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人がみな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼(きょく)蹐(せき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼(たの)母(も)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた
同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵(ちょう)児(じ)と云はねばならぬ」(※原文の旧字体は新字体に変更し、ふりがなは一部にとどめた)
、、、(w
11 件のコメント:
>漱石
あれれ、なんだこりゃw 涙目の人達が出てきそうですねw
千円札が夏目さん、一万円札が諭吉さん
が最強タッグだった。
諭吉さんから変わる時があれば、それは何かのメッセージww
紙幣になる人物には「ネトウヨ」をという、財務省(日本の紙幣は日本銀行券ですけど)の暗黙裏でも有りそうですね。
樋口ちゃんや英世はさてどうなのかな?(w
朝日の黒歴史が増えた・・これもツーチャンネルの所為(棒
この分だと・・
夏目漱石:借家跡に記念館設立へ 17年に生誕150年、東京・新宿区が募金活動
http://mainichi.jp/feature/news/20130629dde041040044000c.html
孫でエッセイストの半藤末利子さん
訪れたことがないのに夏目漱石ゆかりの地 [歴史]
http://pucchi.net/hokkaido/history/natsume_souseki.php
https://archive.org/stream/japaneveryday00lloyrich#page/280/mode/2up
慶應義塾でお勉強するニダ
夏目漱石来熊120周年
夏目漱石来熊120周年
おまけ
◆急速な内地化が進む
江戸幕府の大政奉還から、京都政権の東京遷都に至る明治維新は、蝦夷地改め北海道にとっても、一大転換期に当たった。幕藩体制下の松前地は本州とは別の、“外地”の世界で、主たる住民は和人と呼ばれた日本人とは別の蝦夷と呼ばれた先住民族アイヌだった。こうした蝦夷地の時代から、政治・経済の両面に加えて生活・風俗の面からも、急速な「内地化」が進められた。
つまり、蝦夷地という名の『異国』イコール「外国扱い」から、東京政府直属の『開拓地』とされたわけだ。1869(明治2)年8月15日に、蝦夷地を『北海道』と命名したということは、この島はもはや異国ではないといった意味での「日本の本土化宣言」である。
だから、各省大臣と同格の長官がいる開拓使が設けられた。しかしまだ開拓地だからと、なにかといえば本州とは違った、特別扱いの諸制度が実施される。
武士階級を廃止し、国民皆兵の理念から全国的に徴兵制を敷きながら、さしあたって本道だけ、その適用を除外した。まだいわゆる皇民化が進んでいない、との理由だった。学生だった夏目漱石が、東京から岩内に本籍を移した理由が、徴兵逃れだといわれるのは、その1つの例になる
写真1・岩内町の「文豪夏目漱石立籍地」碑
吹上町17浅岡家跡(昭和50年当時)
「文豪夏目漱石立籍地」の碑が後志管内岩内町の吹上町17浅岡家の跡地に立っている=写真1。漱石の戸籍が浅岡家に移されたのは明治25年4月5日で、浅岡は岩内にあった三井物産出張所の御用商人だった。徴兵逃れに戸籍を移したのは父親、家が絶えてしまうのを心配しての行為だという。のちに総理大臣になった浜口雄幸も、網走管内湧別町に戸籍を置いていたそうだ。
徴兵令の本道適用は、札幌に第7師団が創設された明治29年から。まず開拓が進んでいた道南の渡島・後志・胆振・石狩の四国を対象にし、2年後に全道に適用を拡大した。
www.otarucci.jp/kiseki/kiseki-01.html
夏目漱石来熊120年記念式典
明治の文豪、夏目漱石が120年前のきょう4月13日に初めて熊本を訪れたのを記念する催しが熊本市で行われました。
夏目漱石は、120年前の、明治29年4月13日に、熊本大学の前身、旧制第五高等学校に英語教師として赴任し、4年3か月を熊本で過ごしました。
きょう13日は、夏目漱石が汽車で到着した駅のあった熊本市西区の熊本市電、上熊本電停の近くで記念の式典が開かれました。
式典は、「おかえりなさい漱石先生」と題して県や熊本大学、経済団体などが開きました。
会場では、漱石が降り立った時刻とされる午後2時ごろ、夏目漱石にふんした役者が現れると、県のキャラクターくまモンが学生服姿で漱石の代表作「三四郎」の主人公になりきって、出迎えました。
式典には地元の保育園児も参加して、旧制五高生のいでたちで歓迎の踊りを披露しました。
続いて、漱石訪問120年をPRする市電の車両が街に出発しました。
このあと、関係者は熊本市の中心商店街に移動してパレードを行い、買い物客などに手を振ったりして漱石の熊本訪問とことし予定されているイベントをPRしました。
式典を見た熊本市内の70代の女性は、「漱石の作品をあまり読んでいなかったので、これをきっかけに読んで漱石のことをもっと知りたいです」と話していました。
04月13日 20時48分
www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/5003309401.html?t=1460552388087
漱石ゆかりの地に記念館建設 東京・新宿
4月11日 16時38分
文豪、夏目漱石が生まれ育ち、晩年を過ごした東京・新宿区で漱石に関しては初めてとなる本格的な記念館が建設されることになり、11日起工式が行われました。
夏目漱石は、およそ150年前の慶応3年今の東京・新宿区で生まれ、愛媛県で教師をしたりイギリスに留学したりしたあと、晩年を「漱石山房」と呼ばれた新宿の家で過ごし「三四郎」や「こゝろ」「道草」などの代表作を執筆しました。
新宿区は、漱石に関しては初めてとなる本格的な記念館を建設することになり、11日漱石山房の跡地で工事の起工式を開きました。起工式には漱石の孫や近くに住む人たちなどおよそ100人が集まり、工事の安全を願ってくわ入れを行いました。
新宿区によりますと、記念館には山房にあった「書斎」や「洋風の回廊」なども再現される予定で、漱石の作品が読める図書館やカフェも整備し、漱石の生誕150周年を迎える来年9月の開館を目指すということです。記念館の建設費には、ファンからの寄付も充てることにしていて、これまでに1500を超える企業や個人から寄付が集まっているということです。新宿区文化観光課の北見恭一学芸員は「漱石ファンをはじめ地域の人たちに、愛される記念館にしたい」と話していました。
www3.nhk.or.jp/news/html/20160411/k10010474971000.htm
武藤将吾 “くたばれ”坊っちゃん
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