→箱根富士屋ホテル
葉山を日本近代史の中で際だった存在にしたのはベルツ博士である。エルウィン・フォン・ベルツは明治9(1876)年に御雇い外国人として来日し、帝国大学で教鞭を執りながら、明治23(1890)年には天皇家の主治医となった。明治12(1879)年7月のベルツの日記に日本のある役人が海水浴場を設けようと計画しているため、その下見に江ノ島や七里ヶ浜に行ったとあり、すでに、この頃にはベルツが海水浴場として最適な地を探している様子がうかがえる。その後も、熱海や真鶴などへおもむいているが、ベルツ自身は明治22(1889)年には葉山堀内に別荘を所有していたことがわかっている。ちょうど、横須賀線開通の年である。葉山は海水浴地としても良好であるばかりでなく、北に山を背負う地形から、避暑避寒地としても適していた。また、何よりも富士山や江ノ島を一望することが可能な相模湾上の位置が、外国人にも、また、日本人にも好まれたと考えられる。
イタリア公使マルティーノもベルツとともに葉山の発見に貢献した人物だった。有栖川宮 熾仁親王は明治22(1889)年にマルティーノの別荘に滞在した後、明治24(1891)年に葉山に別荘を所有した。当時有栖川宮家の王子威仁は海軍大佐であり、明治26(1893)年には横須賀鎮守府海兵団長となっている。有栖川宮が葉山に別荘を設置したのは、軍人として葉山という立地が魅力的だったからだろう。有栖川宮に次いで、北白川宮も明治26(1893)年に葉山に別荘を設置した。そして、明治27(1894)年、葉山に御用邸が造られるに至り、葉山の別荘地としての地位は格別のものとなった。
葉山には明治20年代以降、貴顕紳士の別荘が相次いで設けられた。皇族の別荘としては既に見た、有栖川宮家、北白川宮家をはじめとし、東伏見宮家、小松宮家、竹田宮家などが葉山近辺に別荘を設けた。その他御用邸の地にふさわしく、葉山の別荘所有者には一流の著名人が名を連ねる。堀内には近衛家、細川家、井上良馨、高橋是清、一色には鷹司家、岩倉家、松平家、徳川家、井上毅、団琢磨、金子堅太郎、桂太郎、伊東祐亨など枚挙にいとまがない。
長井には最後の海軍大将井上成美が晩年を過ごした住宅が一部現存する。葉山以南の近代を象徴する重要な遺構といえよう。
→イエズス会
余談ですが・・・
→箱根
で、
以前日本を負け戦に導いた勢力の大本は旧皇族経由イエズス会・ヴァチカンのラインなんですよね。(爆w
で、
、、、(w
6 件のコメント:
>余談
和印 たちばな出版
site:tokumei10.blogspot.com 「霊的国防」
とか
ユダヤガーとかフリーメーソンガーとかシーアイエーガーとは
http://tokumei10.blogspot.com/2011/08/blog-post_27.htm
V派「イ」の会系の方々なんですね。
そういえば箱根の富士屋はレストランが帝国ホテルだったっけ
って豚肉話の時につけろやぁ なコメでしたねw
>負け戦に導いた勢力の大本は旧皇族経由イエズス会・ヴァチカンのライン
閏年なんで オリンピックラインとも言っていいっすかねw
米帝からみたら日本が直接ってなることはないんでしょ?英帝経由でないと話にならなぃんだし、何勘違いしてんの?の上に反米とか ぉぃぉぃ ってなポカーンの連続だったんだろうなぁ今迄、そして残念なのがこれからもがまだあるって事がね、
相馬誠胤 エルヴィン・フォン・ベルツ
Wiki で省略しないでほしいわ
Admiral Loveless
assistant chief of staff for intelligence for the Seventh Fleet
運んだり、貰ったり等々、醜聞連発で、どーしたんでしょうか?
有栖川宮 葉山 徳川誠
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