ロッキード裁判の裁判長絞殺 容疑で81歳の妻逮捕 「殺していない」と否認
2012.2.22 17:07
東京都文京区の自宅で昨年2月、ロッキード事件の裁判長を務めた元東京高裁判事で弁護士、半谷(はんや)恭一さん=当時(78)=の首を絞めて殺害したとして、警視庁捜査1課は22日、殺人容疑で妻の俊子容疑者(81)を逮捕した。同課によると「主人を殺したりはしていない」と否認している。同課によると、家族は「半谷さんと俊子容疑者には認知症の兆候があった」と説明しており、同課は責任能力についても慎重に調べる。
逮捕容疑は昨年2月5~6日、文京区本郷の自宅マンションで、恭一さんの首を絞めて窒息させ、殺害したとしている。
俊子容疑者は同月6日朝、別居する40代の長女に「お父さんが死んでいる」と連絡。長女が110番通報した。俊子容疑者は警視庁に「朝起きたら死んでいた。お父さんは糖尿病だった」と説明していた。
同課の調べでは、半谷さんは自室から頭部を廊下に出して、普段着姿のまま倒れていた。顔に不自然なあざがあり、司法解剖の結果、首を圧迫された窒息死だったことが判明した。
遺体発見の前日の5日深夜、半谷さんと俊子容疑者が激しく言い争うような声が聞かれていたほか、防犯ビデオを解析した結果、事件前後に自宅に出入りする人物がいなかったことが分かり、同課は、俊子容疑者が犯行に関与した疑いが強いと判断した。
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半谷恭一さんは昭和32年の東京地裁を振り出しに、同地裁部総括判事などを経て、平成7年に東京高裁部総括判事を最後に依願退職。退官後は公証人や弁護士として活動していた。
ロッキード裁判「児玉・小佐野ルート」の1審で裁判長を務め、小佐野賢治元国際興業社主を懲役1年の実刑としたほか、米側証人の嘱託尋問調書を初めて証拠採用するなど斬新な手法で注目を集めた。三越元社長の背任事件では控訴審を担当した。
半谷さんと俊子容疑者は2人暮らし。近所では2人ともまじめな性格で知られていた。ただ、同じマンションの住民によると、半谷さんは普段、食事も1人でコンビニエンスストアに買いに行っていたという。
同じマンションに住む主婦は「奥さんの姿はほとんど見かけず、本当に一緒に暮らしているのか不思議だった」と話した。
認知症と責任能力
認知症患者が罪を犯した場合、警察・検察は精神鑑定を実施。症状が進行し、自身の行為に対する責任を負う能力がない状態(心神喪失)と判断されれば不起訴になる。起訴された場合でも、裁判で責任能力が限定される状態(心神耗弱)や心神喪失が認定されれば、減刑または無罪の対象となる。殺人など「重大な他害行為」を行った患者が不起訴、無罪などになった場合、「心神喪失者等医療観察法」に基づく検察官の申し立てにより、審判を実施。地裁が「入院」などの命令を出し、必要な治療を受けさせる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120222/crm12022217100012-n2.htm
エライ逮捕まで時間がかかりましたね・・・(w
三越事件(みつこしじけん)とは、1982年(昭和57年)に発生した、老舗百貨店・三越に係わる一連の事件の総称である。
1982年6月17日、納入業者に対し商品や映画前売券等の購入を要請(押し付け販売)、協賛金や社員派遣を要請、種々の催し物への費用負担の要請につき独占禁止法第19条の不公正な取引方法(優越的地位の濫用)にあたるとした審決を受ける(公正取引委員会昭和57年6月17日同意審決)。大和運輸(現・ヤマトホールディングス)は創業以来三越の専属配送業者だったが、このような要求をされたことから1979年に絶縁している。
同年8月29日、「古代ペルシャ秘宝展」の出展物の大半が贋作である事が朝日新聞の報道により判明。
当時の社長であった岡田茂が、ジャーナリストの恩田貢に紹介され知り合い、寵愛した愛人の「三越の女帝」こと竹久みち(本名:小島美知子)の経営する「アクセサリーたけひさ」に不当な利益を与えていたり、自宅の改修費用に会社の金を流用していたりした問題まで出てきた。これに対して社外取締役であった三井銀行(現・三井住友銀行)の小山五郎らは岡田に辞任を求めたが岡田がこれを拒否したため、小山を初めとする三井グループ各社の幹部や三越内部の反岡田派は岡田の追い落としを図り始めた。
同年9月22日、取締役会で5つの議案の審議が終わった後、岡田は腹心の杉田忠義専務に議長を交代した。そして岡田に渡された議案には書かれていない第6号議案、岡田解任決議案が杉田から発議され16対0[1]で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。この時に岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となった(他の取締役から「キミ、会議は終わったのだよ」と声をかけられても「なぜだ……」と力なく呟き続けていたという)。
後任には岡田によって飛ばされた名古屋三越社長の市原晃が就任し、信頼回復に全力を尽くした。
後日、岡田と竹久は19億円の特別背任の容疑で逮捕され同罪に問われた。岡田には高裁で懲役3年の実刑判決が下り、上告中の1995年7月20日に死去し公訴棄却。竹久は最高裁まで争ったが懲役2年6月、罰金6000万円の実刑判決が確定し、栃木刑務所で1年6ヶ月服役。2009年7月24日に病気のため獄死した。
娘の幾美子は旧皇族竹田恒徳の二男恒治に嫁いだ。
TSK・CCCターミナルビル
小山五郎
小山 五郎(こやま ごろう、1909年3月25日 - 2006年3月2日)は、日本の銀行家。三井銀行(現:三井住友銀行)の社長、会長を歴任した。群馬県太田市出身。
三井グループの命取りになりかねなかったイラン・ジャパン石油化学(IJPC)の後始末で尽力したが、この件では旧制静岡高校の同窓だった中曽根康弘元首相の協力を取りつけたとも言われている。
三越、鐘淵化学工業(現:カネカ)の再建では黒幕的調整役として手腕を発揮、江戸英雄と共に三井グループの長老として崇敬されたが頑固な性格から、ケンカ五郎と呼ばれ、また、人斬り五郎、三井の首領(ドン)などともいわれた。
2006年3月2日、心不全のため東京都内の病院で死去。享年96。日本経済新聞はその訃報で、「火中の栗を拾う『剛腕』 - 戦後の三井をリード」と評し、また、旧日本興業銀行の中山素平・旧日本長期信用銀行の杉浦敏介らに続く死により、戦後金融界のドンはほぼ鬼籍に入ったと伝えた。
無類のプロレスファンとして知られ、どんなに多忙であってもテレビのプロレス中継を欠かさず観ていた。また、日本を守る国民会議顧問も務めた。
2009-12-02 16:02:30
三越池袋跡地、シンプレクス決済できず!?
テーマ:不動産時事ニュース
池袋駅前の三越跡地は現在、ヤマダ電機が国内最大店としてオープンしてますが、この跡地は三越からシンプレクス・リート投資法人が750億円で取得したもの。
9月30日に三越からシンプレクスに売却されたものの、現時点でも決済が済まされていないと。
ヤマダ電機からの賃料は三越に支払われているということで、リートの資金調達難が浮き彫りになっているのか。
シンプレクス・リート投資法人は未上場のリートです。
運用会社はシンプレクス・リート・パートナーズ。
この親会社シンプレクス・インベストメント・パートナーズで確かここはゴールドマンサックスとエートスが数年前に共同で買収したと思います。
750億円もの資金調達もおそらくゴールドマンから引っ張る予定だったんじゃないですかね。
シンプレクス・リートにとってはこの三越跡地が初の物件取得案件だっただけにここでつまずくとは・・・
実際に資金調達がうまくいかないのかどうかは不明ですが、三越側からは自社以外の地権者との権利調整に時間がかかっており来年1月末まで引き渡しが遅れるとのコメントが出ているようです。
権利関係の調整で決済が遅れることもあるので、単純に資金調達難ということではないかもしれませんな。
http://ameblo.jp/realestateinvestment/entry-10401807954.html
オリンパスの新経営陣会長、三井住友銀元専務の木本氏を軸に調整
2012年 02月 22日 10:23 JST
[東京 22日 ロイター] オリンパス(7733.T: 株価, ニュース, レポート)は新経営陣の会長に、主力取引銀行の三井住友銀行元専務の木本泰行氏を迎え入れる方向で調整に入ったことが分かった。複数の関係筋が22日、明らかにした。
木本氏は現在、三井住友フィナンシャルグループ(8316.T: 株価, ニュース, レポート)傘下の日本総合研究所社長を務める。オリンパスの経営陣候補を選定している経営改革委員会は、大株主のサウスイースタンなどが銀行出身者の招へいに反対の意向を示していることを踏まえ、慎重に検討。週内にも内定したうえで、4月の臨時株主総会で正式決定する。
新社長は、内視鏡などの医療事業を担当している笹宏行執行役員の昇格で調整している。
、、、(w
3 件のコメント:
>野崎
京都不動産投資合同
崇仁
レノ
村上ファンド
SBI
TSK(w
明らかに後付けな犯行状況と医学的理由ですね。
「2人とも認知症」で、妻が絞殺したならば彼女に以前から問題行動があった筈で。
となれば、通常はどちらかをデイ通所か施設入所させたりしますけどね。
お金に不自由なかったでしょうし。
恩田将葉-wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E7%94%B0%E5%B0%86%E8%91%89
>父は、『週刊文春』の創刊メンバーの一人。作家梶山季之率いる梶山軍団の軍団長で、昭和のトップ屋として知られた故恩田貢。祖父は、宮内庁昭和天皇侍従。『週刊文春』創刊号にて、皇太子と正田美智子のご成婚をスクープしたことで名を馳せる。
>晩年の大山倍達に信頼を得て、大山倍達に請われ極真会館所属の井上編集長を恩田が経営する株式会社ぴいぷる社に迎え入れ
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