2022年4月27日水曜日
北海道斜里町の知床半島沖で26人が乗った観光船KAZU1(カズワン)が遭難した事故から5日目。観光船の運航会社の社長が4月27日午後、事故後初めて記者会見を開きました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/388154291a936d8e8d99f14a59e750202dcfa35f
知床遊覧船の桂田精一社長は、27日午後4時49分、斜里町内の会見を開く部屋に姿を見せました。
桂田社長は冒頭、「この度は、お騒がせして申し訳ありませんでした」と土下座しました。
事前に配られた会見資料によりますと、事故があった4月23日の午前8時ごろ、「船長の豊田氏から午後からの天候が荒れる可能性があるが、当日午前10時からのクルーズは出航可能と報告あり。この時点で風と波も強くなかったので、海が荒れるようであれば引き返す条件付き運航とすることを豊田氏と打ち合わせ、当日の出航を決定した」
また同日午前8時30分、「当社の他の船長から当社の無線のアンテナが故障しているとの報告をがあり、すぐに業者に修理を依頼した。当社の無線の故障は、携帯電話や隣接する他の運航会社の無線でのやり取りも可能であるため、出航を停止する判断はしなかった」などとしています。
UHB 北海道文化放送
相棒10(2012年)第14話「悪友」あらすじ&ネタバレ マヌケな三人組が再登場!
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Aug 30, 2018 - ゲスト出演は金井勇太,三宅弘城,松本実,小柳友貴美,甲斐まり恵,明石鉄平,松沢蓮 他。 ... し床下に埋まっている現金を盗もうとして失敗し、右京らに逮捕された3人組の1人だった。 ... 池谷隆平 倒産した鈴川管工社の元社員、三人組の先輩かつリーダー格, 三宅弘城 ... 桂田良枝 喫茶店「くすの木」のパート従業員, 小柳友貴美.
2019年3月14日木曜日
Exit 幸子@須磨@「花の里」 and 辛作@姫路@「播磨屋」
http://tokumei10.blogspot.com/2019/03/exit-and.html
またソニーミュージック関係者ですな。(爆wwwww
イ家、、、(爆wwwwww
小柳 友貴美(こやなぎ ゆきみ、1958年4月9日[1] - )は、日本の女優。東京都出身[1]。旧芸名小柳 みゆき[2]。ウイーズカンパニー所属[3]。既婚(2001年 - )[要出典]。1977年、高校卒業と同時に「欽ドン劇団」に参加。
1982年、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』での「悪いOL」役で売れっ子になった(同番組で共演した生田悦子・松居直美と「よせなべトリオ」名義でレコーディングした楽曲「大きな恋の物語」もヒットした)。
『欽ドン!』への出演終了後は女優として活動。
1992年、小柳友貴美に改名(コサキンのラジオ番組で改名した理由を問われた際には「(みゆきだと)男運が悪い」と答えている)。
よせなべトリオ(よせなべとりお)
フジテレビ系「欽ちゃんのドンとやってみよう!(欽ドン!)」内の「良いOL、悪いOL、普通のOL」コーナーに出演した 生田悦子(良いOL:ヨシ山)、小柳みゆき(悪いOL:ワル山 、小柳友貴美)、松居直美(普通のOL:フツ山)にて結成。
生田悦子は、2018年7月15日、虚血性心不全で急死。享年71歳。
山、即ちマウンテン。フニクリフニクラ。
北の金ちゃんもドンと・・・(爆wwwwwwwwwwww
7 件のコメント:
桂田ポッターwwwwwwwww
この度は申し訳ありません だけで先手噛ましてたら
お騒がせして を挟むところが
自弁体質を端からぶちまけてるのと同じやんけ
ポッターには女将が付いてるとかじゃないと物足りないわ
他人事と捉えていながら自分事ととしての演出を頑張ってたねw
甘えた口調にオザーさん彷彿し、
ポッター見て以来、昔の近所にいた「桂」姓の爺も反芻できる機会に恵まれて
あの爺もハゲてたなぁ 志村けんハゲだったけど とか
金絡んだ時の暴言が凄まじく、金とエロネタの爺だった と走馬灯
氏姓の宿命に勝てない人のが多いね
衛生携帯積んでないまま出航するとか記者も事前用意した質問だけの
ノルマこなしだけしてないで誰でもいいからそこ突っ込んで訊けよ
アンテナ修理を当日してたことで修理し終えたものかしつこくするのもいないで
荒天覚悟でなぜ質問ばっかしてたらポッターの勝ちやんけ
ポッターとポッター爺の間に他人噛ませた事業継承だったこと
なら実質ずっとかづらだファミリーの意向で経営してたんじゃね?ってなると思うけど?ww
ハラスメントシフトの弊害っすかね
鬆⇔ダマ
数日予定変更で
お陰で記者会見Liveミタ
期待はしてなかったけど
内容相当酷かった模様DEATHね
途中でようつべ視聴しちゃった(苦
DGZプレイwwwwwwwww
笑わせて貰いましたがwww
効果なんてある訳ないしw
アンサイクロペディアの
エクストリーム謝罪選手権www
其処で優勝濃厚になっただけwww
内海用の船舶を外洋に転用したとか
漁船が帰港する気象変化があっても
外洋に出ちゃうとか無知って怖っ(苦
無線壊れたままとか何故
悪天候での救援はムズイし
海岸は岩壁DEATHヨ
そもそも外洋DEATHヨ
コースに港無しDEATHヨ
事業者も乗客も無知過ぎでは
興味深いツイートが↓
https://twitter.com/Boat_Mania_/
status/1518877701012332544
Boat_Mania/くれCV184/JO4MDW
@Boat_Mania_
知床 観光船の遭難
KAZU Ⅰって、昔、瀬戸田にいた、ほうらい汽船のひかり8号なのね。。。今治出身なので、私も見覚えあった。写真で見ても完全な瀬戸内仕様の船。外海走る船ではないです。まあ、バラスト積載、小型船舶用の救命浮器積んだりそれなりに改造して検査を受ける。
午後6:00 · 2022年4月26日·Twitter Web App
続き
で、小型船舶検査機構の検査が通れば、限定沿海仕様にはなるんだけど。基本は平水というか瀬戸内向けなんですよね。3mの波の中をやれる船ではない。しかも40年近く経っていればFRPの強度も永久ではないので、加水したりして落ちるし、また修理した箇所は、車のボディと一緒
続き
というか、モノコックのシャシーやボディが潰れたら元通りに戻らないのと同じで、元の強度はなくなります。これは、FRPの高速漁船を持っている漁師さんや、ある程度の観光船を運航している会社なら常識です。そりゃー見た目なら元通りに、もちろんなります。
続き
なので、アルミの高速艇や漁船を使用すればいいのですが、コストやメンテナンス性を考えるとFRPになるんですよね。メンテナンスがしっかりしていれば、アルミの旅客船はいいですよ。瀬戸内海汽船の瀬戸・和加なんかも相当年数経ってますが、現役です。30年以上経ってます。
業務用FRP艇でも、3ヶ月に一回は上架して船底塗料、タッチアップとか点検していれば、10年以上経ってもきれいです。今治市の、せと観光ボート せとひめ、ゆきひめ、せとゆきのせとシリーズとか。
アルミ艇、FRP艇一長一短ありますが、細目なメンテナンスが必要ということはかわりません。
やっぱり気になるのは、瀬戸内仕様の船を外海で走らせる危険性というか、んーなんて言うんでしょうね、感覚の問題なんですけど、乾舷も低いし、そんなに復元性能だって外海ほど必要ない船を
走らせるリスクというか、やっぱり感覚がわからない。
日本小型船舶検査機構も検査は、もちろん検査はやっていると思いますが、設計の基準とのバランスが少しずれてるような気がします。なので、幅狭く細長い遊漁船が沢山できたり、定員を増やす為の、出どもの不細工な観光船が出来たりする訳です。
この事故を契機に、以後色々なことが見直される筈でしょう。というか見直さないといけません。観光船、通船、作業船、遊漁船業者は混乱するし、小型船舶の行政を司る日本小型船舶検査機構(JCI)も大変になると考えます。
連絡手段だってそうです。アマチュア無線使用してたとか報道でありましたが、なんで、アマだったのか?おそらくですが、国際VHFの機器、免許、検査等の費用を考えるとアマに走ったんでしょうね。まあ、衛星船舶電話はあったようですが、こちらも電源が喪失していたら使えないし。
また、GMDSS機器を装備すればいいじゃんという声もありそうですが、結局そこに、かけられる費用の問題で運航会社であるとか船員さんの無線従事者免許の問題とか解決していかないといけないところは数多いかと思います。
レジャー用クルーザー等は定員12名程度に落として、膨脹式救命いかだを積めば小型船舶でも海外に行くこともできます(機関長必要)が、今回のような国内の外海に面した場所での観光船についても何らかの見直しが必要かと思慮します。定員落とすと、また団体のお客さんとかが乗れないことにもなりますが。
この事故は、本当に他人事ととても思えませんので書いてしまいました。父親も私も海の仕事。同じく生業としている方と同様に私も事故後いろんなことを考えてしまいます。救助に携わって頂いている海上保安庁を始め、各自衛隊、組織、関係者全ての皆様には本当に頭が下がります。
番組名違いますな
『欽ドン!良い子悪い子普通の子』
カツラダ船主君はもちろん(爆)
ほうらい汽船 瀬戸田町 レモン
瀬戸田町 生口島
生口氏 村上氏
ここ10年くらいサマナちゃんたちを観察してきて
ハゲのサマナ率、ちょー高いっすよ(^^)
フニクリ・フニクラ フニコラーレ Aus Italien Mount Vesuvius
斜里側では、第二次世界大戦前まで少規模な定置網漁業が営まれていたが、戦後は引揚者らによる漁場開拓が急速に進み
羅臼側では、1880年代から主に富山県からの移住者によってタラ漁を中心とした本格的な漁業開拓が始まった
ほー
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