1812年にナポレオン1世率いるフランス軍(大陸軍)がロシア帝国に侵攻した際(1812年ロシア戦役)には、カルーガは後方基地として大きな役割を果たした。カルーガはパルチザンの拠点となり、フランス軍の後方を襲った。ナポレオンはモスクワからの退却の際にカルーガ道を通ろうとしたが、ミハイル・クトゥーゾフはマロヤロスラヴェツの戦いなどで大陸軍の退却を妨害し、モスクワ侵攻の際にすでに焦土化され補給物資もないスモレンスク道を通らざるを得ないようにさせた。
第二次世界大戦では、1941年10月13日にドイツ国防軍に占領されたが[1]、赤軍の反攻により同年12月30日にはソ連側に奪還された。ドイツ軍の撤退時に多くの家屋が破壊されている。1944年には、赤軍が前線で捕虜としたポーランド国内軍の兵士らがカルーガの赤軍施設に収容されている。
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