タマホームとは、木造住宅の注文建築を行っている会社である[2]。キャッチコピーは“Happy Life Happy Home TAMA HOME”。「よりよい物をより安く」をモットーとする。
社名表記の“タマ”は、創業者の苗字の“玉木(たまき)”に由来する。
「羽犬塚」は古くから宿場町として栄え、その地名の由来は400年前から続くふたつの伝説にある。どちらも犬を塚に葬ったというのが由来で、天下統一を目指す豊臣秀吉の行く手を阻んだ羽犬が仕留められた説と秀吉の病死した愛犬が羽が生えたように素早かった説である。
近隣にある宗岳寺には今もこの塚が残されている。
羽犬(はいぬ)は、福岡県筑後市で語り伝えられている伝説上の犬である[1][2][3]。この犬は背中に一対の翼を持ち、自在に飛び回って暴虐の限りを尽くしていた[2][3]。羽犬は島津氏征討のために九州に遠征していた羽柴秀吉の軍勢をも手こずらせたが、秀吉軍は何とか退治に成功した[2][3]。秀吉は羽犬の強さに感じ入り、「羽犬塚」という塚を築いてその亡骸を手厚く葬ったという[2][3]。
別の説では、羽犬は秀吉の愛育する子犬であった[2][3]。羽が生えたように元気な子犬を秀吉は慈しんでいたが、子犬はこの地で死んだ[2]。気落ちした秀吉の様子を見かねた家臣たちは子犬の塚を建てて手厚く葬り、その塚が「羽犬塚」と呼ばれるようになった[2][4]。
筑後市内には羽犬塚が現存し、地名にもその名が残っている[2][3][5]。市内の数か所には羽犬をモチーフとした像が存在し、市のPRキャラクター「チク号」、「はね丸」は羽犬をモデルにしたものである[6][7][2][3][4]。
伝説に関する考察
写真家の青柳健二は、自著『全国の犬像をめぐる 忠犬物語45話』(2017年)で羽犬の伝説について考察している[2]。彼はネットでの下調べで、躍動的な羽犬の姿を見て魅了されたという[2]。
秀吉は鷹狩りを好み、鷹狩りに用いる犬は大事にされたものの野犬の方は殺されたという話があった[2]。さらにこの付近では犬を弓で射る「犬追物」が行われていたと伝わる[2]。宗岳寺に残る犬之塚は、そのような犬たちのための供養を行ったものかもしれないと青柳は推定している[2]。
伝説について青柳は「過去の事実がそのまま伝わることもあるだろうが、その話が地元の人にとって何か有益であれば(中略)変わっていくというのは考えられることだ」として現代に至っても刻々と変化を続けることに言及した[2]。その例として、犬の死因について筑後市のウェブサイトでは「この地で病気にかかって死んだ」、羽犬塚小学校前にある像の碑文には「敵の矢に当たって死んだ」という違いがあることを挙げている[2][4]。
そして青柳は「史実はどうであれ、羽が生えた犬というユニークな動物を生み出した人々の発想に驚くし、面白いなぁと思う。(中略)羽をつけて空に飛び上がる犬の像はまさに鳥と犬が合体したような姿だ。羽犬は鷹犬そのものではないかと思うのだ」と結んでいる[2]。
3 件のコメント:
キムタク タマホーム
略して
キムタマwww
TAMAネットワーク
国民民主党(笑)の玉木君もご親戚だったりするんすか?w><
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