2021年4月17日土曜日

故Breonna Taylorさんの母 BLMを詐欺だと糾弾

 

Breonna Taylor's mother slams Black Lives Matter in Louisville and calls the organization a 'fraud' saying 'they've never done a damn thing for us'

  • Breonna Taylor's mother called out Black Lives Matter Louisville and Kentucky Rep. Attica Scott, using the word 'fraud' to describe both in a Facebook post
  • Tamika Palmer gave credit to family, friends and local community activists for supporting her family in the year since her daughter's death
  • Her 26-year-old daughter was killed during a botched police drug raid last year
  • She aimed her criticism at Black Lives Matter Louisville and state Rep. Attica Scott, a Democrat who has pushed for legislation to ban 'no-knock' warrants 
  • Taylor was was shot eight times by police as they served a no-knock warrant on March 13, 2020 
  • In September of last year, the city of Louisville, agreed to pay Taylor's family $12 million in a wrongful death settlement 
  • Earlier this week it was revealed Black Lives Matter co-founder Patrisse Cullors had bought a $1.4 million home in the largely white district of Los Angeles
  • Cullors also bought three other homes since 2016 at a total cost of around $3m
  • On Tuesday the Black Lives Matter Global Network Foundation said it had not paid toward her homes and she had not been paid by BLM since 2019 


BLMとBreonna Taylorさん支持者の大阪なおみさんなみだ目!(爆wwwwwwwwwww

 

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

わかんないのに もしくは 
誰かにそそのかされて

中途半端に首突っ込むと
こうなりますwww

草木 さんのコメント...

てか

BLMがクズだと糾弾しませう
アンタの税金はすべてクズらに流れています

匿名 さんのコメント...

テロ資金をたくさん出してる
日本のなんとか産業のお掃除ですかねー(棒)

https://www.asahi.com/articles/ASP4L43LNP4LUHBI00L.html

気候変動サミット、中国が参加に前向き 米中が共同声明
2021年4月18日 12時56分
 気候変動を担当する米バイデン政権のジョン・ケリー特使と中国の解振華・事務特使は17日、気候変動で「米中が互いに協力していく」とする共同声明を発表した。22日から米国主導で始まる気候変動サミットについても「楽しみにしている」とし、中国も参加に前向きな姿勢を示した。
 共同声明によると、ケリー氏と解氏は15、16の両日、中国・上海で会談し、気候変動問題について議論した。米中は安全保障や人権問題で激しく対立しているが、声明では「気候危機に取り組むため、両国は互いに協力する」と記した。
 バイデン政権は中国を含む40カ国の首脳を22、23日のサミットに招待している。米中両国は「11月の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)に向け、目標を高めるというサミットの目標を共有する」とした。
 また、発展途上国での再生可能エネルギーへの移行を支援し、気候変動に強い農業や低炭素な輸送技術でも協力していくことなども確認した。
 ケリー氏は今月、アラブ首長国連邦やインド、バングラデシュを歴訪。中国での会談後、韓国を訪れた。ケリー氏はツイッターで訪韓したことを明らかにし、「米韓の気候変動での協定は不可欠だ」とする見解も公表した。(ワシントン=合田)

GABRIEL さんのコメント...

> 気候変動サミット、中国が参加に前向き 米中が共同声明

あらあらwww
阿Q系ヤヴァイのではw

てかGOD派からは
日本と阿Qは区別されない
日本マジ卍ヤバすぎではw


中国共産党系企業あるけど
海外企業との合弁会社とか
海外企業の現地法人とかある訳で

彼らの考え方を鑑みると
海外企業の所為にしてきそうな(苦笑
場所を提供したらこうなりましたとか

匿名 さんのコメント...

日本のむかーしむかしのおんじような騒動


石徹白騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石徹白騒動(いとしろそうどう)は、江戸時代中期の宝暦年間に美濃郡上藩(現岐阜県郡上市)が管轄していた越前国大野郡石徹白村(現岐阜県郡上市)で発生した大規模な騒動であり、騒動の中、石徹白の約三分の二にあたる500余名が追放され70名以上が餓死した。別名、石徹白社人騒動。

(中略)

平安時代から鎌倉時代にかけ、白山信仰の隆盛に伴い、美濃側からの白山登山ルート上に位置する白山中居神社は、長瀧寺とともに発展を見せていた[11]。そして石徹白は白山中居神社の社領のような形となり、住民は全て神社に属し社人と呼ばれていた。社人はオトナとも呼ばれた12名の頭社人、平社人、末社人の三階級に分けられ、頭社人が神社や石徹白の重要事項を合議で決定する体制が形作られていった。頭社人は基本的に世襲制であったが、筆頭の神主のみは一年交代制であったと伝えられている[12]。

(中略)

神主世襲制と吉田派と白川派

石徹白での騒動が激化する中で争点となったのが、神主である石徹白豊前が世襲神主であるか否かという点と、石徹白は吉田家の支配であったのかそれとも白川家の支配であったのかという点であった。騒動の張本人である石徹白豊前は世襲神主であることを主張するとともに、ことあるごとに吉田家の権威を利用して己の主張を貫こうと試みたが、反豊前派は神主はあくまで合議の上で決められるものであり、世襲制ではないと主張し、また石徹白は吉田家ではなく白川家の支配にあると主張した[22]。

宝暦8年(1758年)12月に言い渡された評定所の判決では、この二点に関しては石徹白豊前の主張が認められ、石徹白豊前は世襲神主の地位にあり石徹白は吉田家支配にあると裁定された[23]。しかし吉田家支配であったか白川家支配であったかについては、石徹白騒動での反豊前派の主張が、吉田家の権威を笠に着る石徹白豊前に対抗する方便ばかりであったとは考えにくく、また古文書を分析した結果からも、石徹白豊前を出した神主家が騒動以前から吉田家の門人となっていたと考えられるものの、社人の中には白川家の門人となっていた例も確認でき、石徹白騒動以前は吉田家の門人も白川家の門人もいたものと見られている[24]。

(中略)

立腹した根尾甚左衛門は、石徹白六ヶ村の有力社人を郡上八幡に呼び寄せた。そして先に片重半助が示した書状は吉田家の命によるもので、日本全国の神社は吉田家の支配に服するべきものであるのにもかかわらず、その吉田家の命に逆らうとは不届きであるとし、改めて承認の印を押すように命じた[42]。しかし石徹白の有力社人らは、石徹白の白山中居神社の社人はかねてから白川神祇伯に門弟として従っているのであって、今さら吉田家の支配を受けるべきと言われても承服できかねると主張し、改めて文書捺印を拒絶した。そこで郡上藩寺社奉行の根尾は社人らに宿預けを言い渡し、拘束した[43]。

石徹白社人の頑強な抵抗が続き、有力社人らは郡上八幡に拘束され続けた。そのような中で郡上八幡の浄土真宗寺院である安養寺の住職、辰了が、石徹白社人側と郡上藩寺社奉行側との仲裁に入り、宝暦3年(1754年)5月初旬、書状捺印の件はひとまず棚上げとすることとして、50日余り拘束されてきた社人らはようやく解放され、石徹白に戻ることができた[44]。

吉田家からの下知状

石徹白豊前は宝暦4年(1754年)1月、三名の部下を引き連れ再上京し、吉田家を訪れた。吉田家で豊前は、東本願寺での恵俊の尋問時に豊前を非難した上村治郎兵衛を、石徹白から追放処分にするよう要請したが、吉田家から「神道家は追放などということはすべきではない」とたしなめられた。しかし豊前はこれで諦めることなく要請を繰り返し、宝暦4年(1754年)2月、吉田家から正式な下知状を交付させることに成功した[45]。

吉田家から石徹白豊前に対して下された下知状には、「石徹白における神祇道を守るため、もし吉田家の意向に逆らうものがあれば、神職を免ずるべきである。諸事神主(石徹白豊前)の指図を受けるように」。との内容が記されていた[46]。この下知状の中でまず吉田家は石徹白の社人支配の意向を明白に示した点が注目されるが[47]、石徹白豊前が吉田家の権威を背景に石徹白の支配を推し進める根拠となり、中でも最も問題となったのが「吉田家の意向に逆らうものがあれば、神職を免ずるべき」の部分を、石徹白豊前は「吉田家の意向に逆らうものがあれば、追放すべき」と、自らにとって都合が良い拡大解釈を行い、実際、豊前に反対する人々を次から次へと「吉田家の命により」石徹白から追放していき、最終的には大騒動へと発展することになった[48]。


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