2018年11月5日月曜日

平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子が不倫→No8と離婚

1992年、14歳の時にバルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得したスポーツコメンテーターの岩崎恭子さん(40)が5日、自身のブログを更新。2009年に結婚した元ラグビー日本代表・齊藤祐也氏(41)と今月3日に離婚したことを発表した。また、この日、インターネットニュース「SmartFLASH」が報じた50代男性との“不倫”については「私がこの男性と恋愛関係にあったことは概ね相違ありません」と認め「多くの皆様の信頼を裏切ってしまったことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪した。この男性とは交際を解消した。

 「いつもお世話になっている皆さまへ。突然のご報告になります。本日一部報道にもございましたが、私、岩崎恭子は、2018年11月3日をもって、齊藤祐也さんとの婚姻関係を解消させていただくことになりました。いきなりのご報告で大変申し訳ございません」と発表。

 「以前より両者合意の下、別居生活をしておりましたが、別居後も2人でじっくり話し合い、お互いの気持ちを確認して出した結論です」と離婚に至る経緯を明かし「これまで結婚生活を共に過ごしてくださった齊藤祐也さんには、感謝の気持ちしかありません」と心境をつづった。

 不倫報道については「報道内容の詳細までは確認できておりませんが」と断りながら「私がこの男性と恋愛関係にあったことは概ね相違ありません」と認めた。

 11年3月には第1子女児を出産しているが「離婚協議中であったとはいえ、一人の見識のある大人として、一児の母として、大変軽率で恥ずべき行動を取ってしまったこと、またお相手のご家族にも多大なるご迷惑をおかけしたこと、そして何より、日頃より応援してくださっているファンの皆さまやスポンサーの皆さまなど、多くの皆様の信頼を裏切ってしまったことを心よりお詫び申し上げます」と反省し、謝罪。

 「このような事態を招いてしまったことは、ひとえに私の弱さと甘さが原因だったと思っています。また、メディアを通じて人に伝えるという活動をしている人間として決して許されるべきことではなく、大きな過ちを犯してしまいました。今回の件を深く反省すると共に、お相手の男性とはお付き合いを解消させていただきました」と男性と別れたことを報告。

 「今後は、誠意を尽くし、私自身、二度とこのような過ちがないよう、自らの責任を果たしていく所存です。この度はお騒がせをして誠に申し訳ございませんでした」と謝罪の言葉を繰り返し、締めくくった。
2018年11月05日 13:50
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/11/05/kiji/20181105s00092000221000c.html




岩崎 恭子(いわさき きょうこ、1978年7月21日 - )は、静岡県沼津市出身の日本の元競泳選手、指導者。専門種目は泳ぎ。スポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会事業・広報専門委員、日本水泳連盟競泳委員・基礎水泳指導員(水泳インストラクター[1]
1992年バルセロナオリンピック金メダリスト。競泳史上最年少金メダル獲得記録保持者であり、日本人全種目の金メダリストの中でも最年少記録保持者。

沼津市立第五中学校から日本大学三島高等学校を経て日本大学文理学部心理学科卒業。 水泳を始めたのも、姉が水泳を習っていて、自分も水泳を習いたいと言って水泳を始める。姉が目標であり、姉の背中を追い続ける。 1992年、バルセロナオリンピックでも当初は岡林くみこが期待の星であり岩崎は全くの無名の選手であり全くのノーマークであった。岩崎自身もバルセロナオリンピックの前、「決勝に残れればいい方だと思います。」とテレビで語っている。当時の世界記録保持者のアニタ・ノールとタイムの差が大きく開いてあったため、岩崎本人もまさか自分が金メダルが取れるとは夢にも思わなかったという。
1992年バルセロナオリンピック競泳女子200m平泳ぎで金メダルを獲得し、記録は2分26秒65だった(当時の五輪新記録&自己の生涯ベスト記録)。競泳女子200m平泳ぎでの金メダルは、1936年ベルリンオリンピック前畑秀子以来、日本人として56年ぶり史上2人目の快挙達成だった(日本女子選手で競泳種目の五輪金メダリストは、1972年ミュンヘンオリンピックの100mバタフライ青木まゆみ以来20年ぶり3人目)。また、競泳では史上最年少(14歳6日)の金メダル獲得(2018年11月現在も競泳最年少記録)で、日本選手としての五輪メダル獲得の最年少記録でもあった。金メダルを獲得したレース直後にインタビューで岩崎は「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」と語り、一躍時の人となった[2]。その他出場種目ではメドレーリレーでは7位入賞、100m平泳ぎでは13位だった。
同年の第43回NHK紅白歌合戦では、光GENJIの『リラの咲くころバルセロナへ』の曲紹介でゲスト出演した(光GENJIの諸星和己は沼津の隣である富士市の出身)。 バルセロナ五輪で岩崎自身もよもやの金メダルを取ったことにより、日本全国から注目されストーカーや嫌がらせの電話がたくさん来ることにより、「金メダルなんか取らなければ良かった」と酷く後悔するようになった。そのことにより、やる気も出ず練習にも身が入らなくなっていく。「練習をサボっていい結果が出なければ注目されないだろう」と考えるようになった、と岩崎もテレビで言っている。 その後、姉が水泳を辞めてしまったが、金メダルをとったことによる自分へのストーカーや嫌がらせの電話を目の当たりにしたせいで姉の夢を壊してしまったのでは、と苦悩した時期もあった。それでも岩崎の姉は、「恭子のせいじゃないよ」と庇っていたという。
1996年アトランタオリンピックにも出場、200m平泳ぎは10位、100m平泳ぎは予選落ちに終わり五輪2大会連続でのメダル獲得はならなかった。
1998年伝染性膿痂疹を発症した影響から[3]20歳で競技選手を引退。その後もテレビなどで競泳のコメンテーターとして活動中。尚2000年シドニーオリンピック400mメドレーリレー銅メダリストの田中雅美は同級生(1979年1月生まれ)で、平泳ぎ種目のライバルながら現役時代から大変仲が良く、現在テレビでもしばしば岩崎と共演するなど親交が続いている。
2002年アメリカ合衆国ミッションビエホに海外指導者研究生として留学[4]
2004年、岩崎の出身地である沼津市の観光PR隊「燦々ぬまづ大使」(14期生)に任命される。
2005年1月、自身初の写真集を発売、2月に日本赤十字社の幼児安全法支援員並びに日本水泳連盟の基礎水泳指導員の資格を取得。
2009年4月、元ラグビー日本代表の斉藤祐也豊田自動織機)と結婚[5]
2010年、第1回ユースオリンピック(開催地:シンガポール)競泳日本代表コーチとして担当[4]
2010年11月1日、自身のオフィシャルブログ「ことばのしずく」にて「第一子妊娠」を報告、2011年3月28日に長女を出産[6]
2014年6月6日、日本マスターズ水泳協会理事に選出[7]2018年4月10日、ふじのくに観光大使に選出[8]2018年11月3日、離婚。[9]




斉藤 祐也齊藤 祐也、さいとう ゆうや、1977年4月28日 - )は、東京都出身の元ラグビー選手。ポジションはナンバーエイト(No8)、フランカー(FL)
東京高校1年からラグビーを始め、2年時には高校日本代表に選出されウェールズ遠征に参加。全国高校選手権大会(花園)にも初出場を果たす。ポジションはNo8。3年時には全国大会への出場は成らなかったが、再び高校日本代表に選出されイングランド遠征に参加。
高校卒業後は明治大学に進学。1年生からLOでレギュラーに定着し、1996年度全国大学選手権優勝。2年からはNo.8に転向、4年時にはチームの主将を務めた。
大学卒業後は海外でのプレーも検討したが、複数のオファーの中からサントリーを選んで入社。日本ラグビーフットボール選手権大会連覇など社会人でもタイトル獲得に貢献。
2001年にはサントリー単独チームでウェールズ代表を破る金星を挙げている。
2002年には、フランス1部リーグ・USコロミエに移籍。フォワードとして日本人初のプロ契約選手となった。
2003-2004年シーズン、神戸製鋼とプロ契約。ジャパンラグビートップリーグ初年度の優勝に貢献した。
2005-2006年シーズンを最後に一度は現役を引退。
2007年豊田自動織機に入社し、現役に復帰。
2009年、トップリーグ昇格に貢献。
2009年4月に、バルセロナオリンピックの金メダリスト岩崎恭子と結婚することを発表。夫人との間に2011年2月に長女が誕生[2]
2011-2012シーズン限りで現役を引退した。[3]
日本代表では2001年の台湾戦で初キャップを獲得し、これまでにキャップ14を獲得した。
マツダに所属する斉藤健也は実弟。

「スポーツマンNo.1決定戦」での成績

  • 2004年にスポーツマンNo.1決定戦に初出場。MONSTER BOX 16段、SPIN OFF準優勝、THE GALLON THROWでは2001年に大畑がマークした5m75cmに並んで、アメフトの河口正史と共にNo.1に輝き、総合6位入賞を果たした。

  • 2007年にパワーバトルNo.1決定戦のみに出場。SPIN OFFでは初戦で2連覇中の石田力哉との対戦となるも、高身長とパワーを活かして石田の連覇を阻止する活躍を見せるも、準決勝で朝青龍に敗れた。しかしTHE TUG-OF-WARではSPIN OFFで対戦した石田力哉に初戦で敗れ、THE GALLON THROWでは自己記録更新を賭ける6m00cmまでノーミスで進むも、成功する事が出来ず。それでも全選手中総合4位タイと大健闘を見せた。

、、、(爆wwwwwwwwww

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