2016年8月18日木曜日

松本一郎さん死去、85歳 駐留米軍を違憲と指摘の元裁判官さん死去、85歳 駐留米軍を違憲と指摘の元裁判官

松本一郎さん死去、85歳 駐留米軍を違憲と指摘の元裁判官
2016年8月18日 朝刊


伊達判決の被告(右)と54年ぶりに再会した松本一郎さん(左)=2013年10月18日、東京都北区の自宅で
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駐留米軍を憲法九条違反と指摘した一九五九年の東京地裁判決「伊達判決」の原案を書いた元裁判官で、独協大名誉教授(刑事訴訟法)の松本一郎さんが十六日午後零時四十三分、老衰のため死去した。八十五歳だった。福岡県出身。通夜は十八日午後六時から、葬儀・告別式は十九日正午から、いずれも東京都港区元麻布一の二の一二、賢崇寺で行われる。喪主は長男の妻あけみさん。

五四年に中央大学法学部卒業後、判事補に任官。米軍立川基地の拡張計画に反対した学生らが基地内に入り、七人が刑事特別法違反の罪で起訴された「砂川事件」の一審判決を、伊達秋雄裁判長(故人)らとともに担当し、全員に無罪を言い渡した。退官後は弁護士となり、七〇年から独協大学法学部の専任講師。教授、法学部長などを経て九二年から副学長を務めた。
◆「憲法大切に」強い思い

「当時は憲法違反の判例がほとんどなかった。僕の前に道はない、という心境だった」。伊達判決の原案を書いた当時の心境について、松本さんは二〇一三年四月、取材に対し、東京都北区の自宅で穏やかな口調で振り返った。任官して三年目の若手が判決に名を残す伊達裁判長と議論を重ねた。深夜のバーで何度も論破され、けんか腰になったこともあったが、原案はほとんど直されず法廷で言い渡されたという。

伊達判決は、最高裁に全員一致で退けられた。「全員一致とは思わなかった。司法に愛想が尽きた瞬間だった」。裁判官を辞めた理由を苦々しげに打ち明けた。

伊達判決を破棄し、東京地裁に差し戻した田中耕太郎最高裁長官は、判決前に米大使側に見通しを伝えていたことが、近年米国立公文書館で見つかった米側文書で明らかになっている。「司法が政治に口を出さない判例ができ、今も続いている。それが米側の意向を受けて始まったとしたら、日本に三権分立、司法の独立性はない」と憤りを隠さなかった。

陸軍幼年学校時代に、空襲で焼ける熊本の市街地を見た経験から「戦争は絶対にだめだ」と声を震わせ、「戦力不保持をうたう九条を中心に、憲法は大切にしないといけない」と語気を強めた。戦争を知る世代の言葉だけに、ひときわ重く響いた。 (大平樹)

<砂川事件と伊達判決> 1957年7月、米軍立川基地の滑走路延長計画に反対した学生団体などが、基地内に侵入し、刑事特別法違反罪で7人が逮捕・起訴された(砂川事件)。59年の東京地裁で出された伊達判決は、米軍に基地を提供することで、日本が「直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ」危険性を指摘。駐留米軍は「憲法九条によって禁止されている戦力の保持に該当する」と指摘して、全員に無罪を言い渡した。国は最高裁に跳躍上告して、判決を破棄し、東京地裁での差し戻し審とその後の最高裁判決で罰金刑が確定。一部の被告は2014年に再審請求し、東京高裁で争っている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016081802000128.html






賢崇寺(けんそうじ)は、東京都港区元麻布にある曹洞宗の寺で、二・二六事件の青年将校の墓があることで知られる。

歴史

寛永12年(1635年)、鍋島藩初代藩主鍋島勝茂疱瘡で亡くした息子の鍋島忠直を弔い建立した。当時江戸府内では寺院の新立が禁じられており、仙波氏菩提寺だった高輪正重寺を買収し、現在地に移すという手続きを取った。忠直の戒名「興国院殿敬英賢崇大居士」から興国山賢崇寺と号した。
以降鍋島家菩提寺として、歴代当主の遺骨が納められたが、明治には国許春日山に神道墓所ができ、十一代鍋島直大青山墓地に埋葬されるなどしている。
東京大空襲では境内のほとんどを消失し、本堂は昭和47年(1972年)4月、鐘楼は昭和50年(1975年)4月に再建された。
境内には鍋島ハイツという当時としては高級マンションがあったが、現在では建て直され、都内屈指の高級マンションとなっている。
住所が東麻布になっている。

鍋島家関連の墓は31基あり、全て五輪塔である。当初葬られた鍋島忠直、その父で初代佐賀藩鍋島勝茂、勝茂に殉った重臣30名、忠直の兄で小城藩初代藩主の鍋島元茂、9代藩主の鍋島斉直やそれらの妻が葬られている。10代藩主鍋島直正の墓もあったが、平成11年(1999年)春日山に移された。
二・二六事件で受難した「二十二士」も葬られている。これには死刑となった19名に、自決した野中四郎河野寿の2名、相沢事件で死刑となった相沢三郎が含まれている。当初は遺体の引渡しすらままならなかったが、栗原安秀の父勇が自ら当寺に入門し、墓建立に奔走した。毎年2月26日7月12日に合同慰霊祭が執り行なわれる。現在の墓碑は、昭和27年(1952年)7月12日第十七回忌法要時に建立された。
鍋島家以外でも佐賀県関係者の墓が多い。有名人では元佐賀藩士の久米邦武、その息子で洋画家の久米桂一郎、佐賀藩出身の政商松尾儀助、祖父が佐賀藩士だった市村清、佐賀県生まれの宮地嘉六戸川幸夫、父が佐賀県出身の蒲原有明などがいる。
明治43年の七里ヶ浜沖ボート遭難事故で犠牲になった逗子開成中学校生徒12名も葬られている。

平成27年(2015年)9月24日に胆管がんのため54歳の若さで亡くなった女優・川島なお美の墓がある。平成28年(2016年)年6月10日、夫・鎧塚によってデザインされた墓が建立され、納骨された。墓には生年のワイン「ロマネ・コンティ」や女優帽が象られ、下には「YOROIZUKA」の文字やダックスフントの絵が彫られている。





、、、(爆wwwwwwwwwwwww


2 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

葬儀はマリンバの音色で送ってあげませうw

GABRIEL さんのコメント...

鍋島藩で代々商人だと
宣ってた と あ るヒト
バイトだからって人の
何方かのバイト先で
免許証不正使用して
大変マズイ
てか逮捕