2016年1月29日金曜日

米J・エアプレイン創設メンバーのP・カントナー氏が死去




[ロサンゼルス 28日 ロイター] - 米ロックバンド、ジェファーソン・エアプレインの創設メンバーだったポール・カントナー氏が28日、多臓器不全のため74歳で死去した。サンフランシスコ・クロニクル紙が報じた。今週、心臓発作を起こしていたという。

カントナー氏は1965年、歌手のマーティー・バリン氏らとジェファーソン・エアプレインを結成。サイケデリックブームの中、「あなただけを」などのヒットを飛ばした。72年に解散した後で同氏が結成したジェファーソン・スターシップは、96年にロックの殿堂入りした。

カントナー氏には2月に行われるグラミー賞で生涯功労賞が贈られることになっている。

http://jp.reuters.com/article/jefferson-airplane-kantner-idJPKCN0V70AY




Kantner was born in San Francisco, California, the son of Cora Lee (Fortier) and Paul Schell Kantner. Kantner had a half-brother and a half-sister by his father's first marriage; both were much older than he. His father was of German descent, and his mother was of French and German ancestry.[2] His mother died when he was eight years old, and Kantner remembered that he was not allowed to attend her funeral. His father sent him to the circus instead.[1] After his mother's death, his father, who was a traveling salesman, sent young Kantner to Catholic military boarding school. At age eight or nine, in the school's library, he read his first science fiction book, finding an escape by immersing himself in science fiction and music from then on.[1][3][4] As a teenager he went into total revolt against all forms of authority, and he decided to become a protest folk singer in the manner of his musical hero, Pete Seeger.[4] He attended Saint Mary's College High School, the University of Santa Clara, and San Jose State College, completing a total of three years of college before he dropped out to enter the music scene.[1][5]


スターシップ / KBCバンド / 再結成ジェファーソン・エアプレイン 1985-1990

この時期はレコードセールスの要因もあって、特に日本では「スターシップ」についての情報しか入らず、長いジェファーソンの歴史で単に最後のバンド がスターシップだった、という認識が強い。しかし、1985年以降の数年間は、スリックやトーマスを看板とするスターシップと、カントナーを中心とした KBC/再結成エアプレインに分裂していた。

スターシップ

やがて、レコード会社やプロデューサーが求めるような、MTV時代に生き残るためのスタイルを受け入れようと考えたスリック/トーマスがバンドの方 向性を握るようになる。バンドの変容は進み、あるライブでは女性バック・コーラスを配置する案まで出て、これにカントナーは激怒。また、最も勢いに乗って いた後進バンドジャーニー前座を 務めるという提案もあったが、かつて一緒にツアーをした時に比べ極度に安い報酬を提案されたために拒否、という話も残っている。このような経緯から、もは や主導権が取れなくなったカントナーは、もう1枚アルバムを制作した後に解散するという意思を表明するが、他メンバーは存続を要求。1984年、結局カントナーが単独で脱退し、残ったメンバー達にバンド名「ジェファーソン・スターシップ」を使わないように訴訟を起こす。(公判中、一時スターシップ・ジェファーソンと名乗って公演を続けたといい、事態の混乱を物語っている)1985年の判決の結果、両者とも使えないことになり、折衷案として「ジェファーソン」をはずして「スターシップ」となり、新たにRCAと4枚のアルバム制作の契約を結んで再出発した。

バンドは当時先端のエレクトロ・ポップを全面的に取り入れ、マーティン・ペイジによるシングル「シスコはロックシティ(We Built This City)」(これは邦題だけで実際は特定の街を歌ったものではない。)は、エアプレイン時代から通算してもシングル初となる全米1位(1985年11月16日付 - 23日付)を獲得。アルバム『Knee Deep in the Hoopla』も成功を収め、エアプレイン以来果たせなかった日本公演も実現している。


、、、(爆wwwwwwwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

毛虫頭とテレフォンヘッド