http://antikimchi.seesaa.net/article/45776742.html
の続きですが・・・
総連側代理人の元日本弁護士連合会会長、土屋公献弁護士が監査役をされてる岡田新一設計事務所はハーヴェストンと2000年、2005年、2006年と複数取引されてるわけですが・・・
ハーヴェストンさんの資材は
99年にハーヴェストクラブ蓼科アネックス
06年にハーヴェストクラブ那須
http://www.harveston.jp/list.html
で採用されてるんですね。
で、ぐぐると・・・
ハーヴェスト
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&q=%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
で、後はこのあたりでぐぐると
野村證券 株買占め
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&q=%E9%87%8E%E6%9D%91%E8%AD%89%E5%88%B8%E3%80%80%E6%A0%AA%E8%B2%B7%E5%8D%A0%E3%82%81&lr=
総連側代理人の元日本弁護士連合会会長、土屋公献弁護士が顧問されてる元「必殺仕事人」の「何でも屋の加代」こと鮎川いずみさんの化粧品会社の関係者の方々との繋がりがおぼろげに見えてきてしまうような・・・(w
それと武富士との繋がりは元大蔵省銀行局長、で後に野村総合研究所理事長の徳田博美あたりだと思われますが・・・
画廊「サロンドボナ」の土屋香胡こと土屋春子さんが
土屋公献弁護士の親戚ってホントですか?(爆w
後は面倒臭いので下記の資料参照(w
●磐梯リゾートと大蔵官僚●
その疑問を解くためのヒントとなると思われるのが、
今年正月に毎日新聞が展開した
キャンペーン報道である。
この報道が告発しているのは、福島県の磐梯リゾートにたかった大蔵官僚OBたちである。
キャンペーンは1月3日付朝刊の1面トップ記事から始まる。まずはお読みいただこう。
《以下引用》
大蔵OB関与の公費投入リゾート計画 水増し請求や丸投げ--福島・磐梯町
リゾート法(総合保養地域整備法)第1号に指定された福島県の「磐梯清水平リゾート」計画に大蔵官僚OBらが深く関与し、親族も含め多額の報酬を得たり、事業費の水増し請求がまかり通っていたことが2日、毎日新聞の調べで分かった。開発会社会長を務めた元大蔵官僚には15分の株主総会に出席するだけで6年にわたり年間3000万円が払われ、別の大蔵OBの親族が監査役を務める設計会社は調査費など7000万円近くを水増し受領していた。開発会社は総事業費の8割近い785億円の負債を抱えていることも判明、関係者から責任追及の声があがっている。(31面に関連記事)
リゾートは磐梯町が56%出資する第三セクター「磐梯清水平開発」(社長・鈴木政英町長)が基盤整備を、民間企業が出資する開発会社「磐梯リゾート開発」が建設を担当。福島県がこれまでに18億6400万円を融資している。
磐梯リゾート開発は徳田博美・元大蔵省銀行局長が代表発起人となり、吉瀬維哉・元大蔵事務次官が設立直後の1988年3月から6年近く会長を務めた。徳田氏も一時取締役だった。複数の元役員の証言によると吉瀬氏は、年1回の株主総会に15分ほど出席することが「仕事」で年間3000万円の報酬を得ていた。
また、毎日新聞が入手した内部資料によると、磐梯清水平開発は89年9月に設計会社「パンニヤプランニング」(当時本社は東京都千代田区)に1億8000万円で設計を発注した。ところがパンニヤ社は6500万円を差し引いた金額でそのまま下請けに出す「丸投げ」をしていた。
パンニヤ社は磐梯リゾート開発の二代目の社長を務めた本橋栄一氏が経営。徳田氏の長女で現職大蔵官僚の妻が90年から約3年間監査役に就き、月約50万円の報酬を得ていた。
磐梯リゾート開発の初代社長だった打林亨氏は「本橋氏の社長時代には工事費が2、3割水増しされていた」と証言。徳田氏は「発起人にはなったが、実務にはかかわっていない」と話している。吉瀬氏は「ぼくは名誉会長みたいなもんだから、役員会にも出ていない」と言い、3000万円の報酬については「大した額ではない」と話す。
《引用終わり》
この記事で登場する大蔵官僚OBは吉瀬、徳田両氏だけだが、続報ではもっと大物が登場する。
翌4日付朝刊で毎日は「預託金100億円、返済不能に 大蔵OBが発起人--磐梯リゾート拠点のゴルフ場」という記事を掲載した。
問題のゴルフ場は94年7月にオープンした「メローウッドゴルフクラブ」。「首都圏から2時間ちょっとで素晴らしい自然の中で施設面でもサービス面でも非常にクオリティーの高いリゾートライフが楽しめる」(吉瀬氏の雑誌発言)というキャッチフレーズで、会員権は、1口6500万円の高値で売り出した。
しかし利用可能とした別荘などの建設が進まなかったため、販売を中止。230人の会員から集めた入会金と預託金約180億円は工事費などに流用したため、返還請求に応じられない事態になっている。
●大蔵のドン、長岡氏も登場●
このゴルフ場の設立代表発起人も吉瀬、徳田両氏。それだけでなく、発起人には長岡実・国家公安委員▼松下康雄・前日銀総裁▼田中敬・横浜銀行相談役など歴代の大蔵事務次官経験者が名を連ねたというものである。
この磐梯リゾートのメーンバンクが住信。毎日が掲載している鈴木政英磐梯町長の話では、当初は町と取り引きがあった富士銀を考えていたが、徳田氏が「是非」というので住信に変えたという。
大蔵官僚OBの世界には、その時期ごとに「大蔵のドン」といわれる人物が存在する。現役のときに次官を、退官後は東証理事長をつとめることがその条件とされ、森永貞一郎(その後日銀総裁)―谷村裕―竹内道雄各氏の順に引き継がれた。現在ドンの地位にあるのは長岡実氏だといわれる。
こうしてみると、磐梯リゾートによって浮かび上がってくるのは、大蔵官僚OBの「主流」と、住信の密着ぶりであろう。
結果的には、住信は磐梯リゾートで大やけどをした。同行がそのために融資したのは671億円。その全額が不良債権化しているのである。
住信は今年1月29日の取締役会で、任期途中のトップ交代を決めた。早崎博会長は相談役、新良篤社長は取締役相談役に退き、新会長に村上仁志専務が、新社長に高橋温専務が、それぞれ昇格するというのである。
この人事がなければ、今年4月には早崎博会長が信託銀行協会の会長に就任することになっていた。新島社長が会長に昇格した場合も信託銀行協会会長行はめぐってくる可能性が強かった。
1月末というタイミングでこの人事を発表したのは、信託銀行会長行となることを峻拒したという意味を持つ(ちなみにこの人事の実施日は3月2日である。発令日を30日以上も遡って、会長・社長の交代を決定・発表するというのも異例である)。
この異例のトップ交代劇の背後には、磐梯リゾートの責任問題があったのではないかというのが、一般的な観測である。
長銀は極めて深刻な状況下に置かれている。
まず第一に、興銀、長銀、日債銀という長信銀は、金融債の発行を普通銀行には認めないというわが国特有の「長短分離」制度の下でこそ存在意義があった。80年代以降の金融制度改革によって長短の垣根は低くなり、長信銀の存在基盤は揺らいだのである。
しかも長銀はバブルに踊った乱脈経営のツケを抱えている。
前号でも触れたが、金融機関救済のための公費支出の問題が最初に出たのは95年の「二信組救済問題」であった。この「事件」の主役「イ・アイ・イ」と高橋治則のメーンバンクは、長銀だったのである。
このどうしようもない長銀について、大蔵省は住信に頼み込んだ。現役の組織としての大蔵省だけでなく、長岡実氏以下のOBの力も借りて、文字どおり総力をあげて住信を口説き落とした――。単なる推測ではあるが、こういうことがあったからこその、住信による長銀救済合併であるはずだ。
http://www.gevata.com/D9809.HTM
● 元大蔵省銀行局長、徳田博美とワールドメイトhttp://www.worldmate.or.jp
��M深見教祖をコントロールする女霊能者・『植松愛子(旧姓徳田愛子)』について。
��『植松愛子(うえまつあいこ・昭和9年生まれ)』
��1978年親類縁者を利用し、東京都杉並区南荻窪に(株)三十鈴(現・(株)ミスズ)を設立。
��その親類の中には元大蔵銀行局長で後に野村総合研究所理事長に転じた「徳田博美」もいる。
��設立当初の事業目的は、学習塾経営や健康器具、食品の販売のみであった。
��しかし90年に深見東州(本名半田晴久)の父「半田利晴(故人)」が社長に就任。
��このあたりから問題の健康器具訪問販売を始めた。その後、同社は深見一族の同族会社へ変貌していく。
◇ 3つ気になる点がある。1つは「問題の健康器具販売」とは何かトラブルがあったのか?
��つはWM信者被害を考えるうえで、WMはつまるところ、よくある同族経営会社だった。一族の利益を追求する会社にすぎない。
しかも最初の資本を出したのは植松愛子の離婚した旦那側(徳田姓)の親族だった。
それを、年下の可愛い男である深見(半田)。その父親半田利晴が分け前を要求して乗り込み、半田一族がうるおうようにしていった。
植松愛子が離婚後も改姓しなかったのは本人弁では姓名判断上。だそうだが(宝島30)名義問題があったのでは?徳田一族の人脈も失いたくなかったのだろう。
��つ目が、WMの女教祖は、徳田博美の一族に嫁していた過去。
◇ 元大蔵省銀行局長・徳田博美はサラ金大手「武富○」の顧問をしていたことから、武富士の本社応接室で金銭トラブルをめぐり女画商と口論になり画商は元銀行局長を訴えるに至ったと報じられている。(文春1998・2・26日号)
また同時に別の活字媒体でも追及され、岩瀬達哉「疑惑のリゾート、大手銀行が約680億円もの不可解な融資」として(現代1998・2月号)詳細なリポートがあげられている。
不良債権処理を議論・実行する際、はずせない実例である。
もう随分前のことだが、文春に登場する画商「サロン・ド・ボナ」のママは、後に徳田博美のことで騒がれた時と名前が違っていた。
文春では土屋春子と書いてあるが、WMじゃないが、姓名判断にでも凝っていたのか、昭和59年前後は、土屋香胡であった。しかも土に点がついた変字であった。
◇「サロン・ド・ボナ」は銀座のボロビルにあった。フロアーは何か異様な感じであった。
新興の画廊だったが、ポリシーやコンセプトを持って開く画廊が新興勢力としてたくさんあった頃なのに、一歩足を踏み入れた印象はそういうものとは無縁。作品も悪い。何をやりたいのか空気として伝わってこない展示。
しいて近いものを挙げれば、ヨーロッパのシュガー・ペインティングを並べ、仕入れ値よりかなり高額で売る素人相手の売り立て会場の雰囲気に似ていた。
サロン・ド・ボナでこれが目玉かと思ったのはただひとつ。
「焔仁(ほむらじん)」という、藤山愛一郎がパトロンであった日本人洋画家の作品。
文春記事で、『精算のため、焔(ほむら)の絵を2千万で徳田がひきとるかどうかで、件の武富士応接間のトラブル』とあるが、もし1点2千万としたら、当時実物を見た印象では、おかしい。そんなに格の高い画面でもなかった。よくある中途半端な抽象画だった。
ただ、ママが非常に肩入れしているのは一目瞭然であった。
��千万格の作品といったら、レオナルド藤田や梅原龍三郎クラスの価格。おかしいに決まっている。
だから銀行局長、徳田博美と土屋香胡は、こうやって滑稽な値をつけては、絵のブローカーまがいをやっていたのではないかと想像する。ミニ許永中みたいだ。顧客は間違いなく買い損だ。
◇ 徳田銀行局長のサイドビジネス=絵画斡旋業の中心であったと思われるサロン・ド・ボナ。
では、B級ばかりを商っていたかというと、徳田が顧問を務めていた「武富○」に横山大観「燿八紘」をはじめ11点11億を納入したとある。
すると、このクラスを扱うには、竹下金屏風の八重洲画廊や、フジ・インターナショナルアートのようなところとでも(必ずしもその名前というのではないが)お付き合いがないと新興勢力はまず手出しが難しいと思う。
まして日本画であったら尚更。常識で、トラブル画商は贋物をつかませる確率も高い。武富○の「燿八紘」では、納入業者の信用がスキャンダルで失せただけに、武富士○の前の所蔵者が付記されないと、絵の信用はイメージダウンだろう。
いずれにしても、絵の来歴prov.は、展覧会歴やサインと同様、作品の格付けに欠かせない要素である。
ワールドメイトのダークなイメージが付きまとう話である。
7 件のコメント:
どこから横山大観の絵を11枚も仕入れてきたの。
ほんものだったらこりゃ大変だ。
どこから引っ張ってきたんじゃー。
武井保雄がいくら徳田に借りがあるからって
贋作買うくらいなら11億くらいくれてやるだろう。
料亭や傘屋の息子は金融関係のトップにつけるとノーパンしゃぶしゃぶにいりびったたり
ノーパン親父と化すので要注意。
そのころの東急の大株主は稲川会の石井進。
西垣内堅佑 ワールドメイト顧問弁護士
tst
まあ年金も、北海道の加ト吉関連生協関連のミートホープも、この徳田銀行局長、田谷、中島
某日銀総裁S二名もおんなじやな。
年金は自治労と津島を初めとする奴らの財布で、
加ト吉とミートなんたらと農水利権屋と横路利権と。
田谷、中島は高円寺の西口と同じジャンルで
税務署に分類されてますね。
徳田は野村が往生するくらい交際費を使ったそうな。
田谷君もいまだに銀座で菱のY君と飲んでますカー。
ゴールドコースト、ソレントの別荘での出来事
��さん覚えてる。
このエントリーで米もなく不気味な沈黙状態はなんじゃ。
しっかし、朝鮮総連本部で極左集団のドンと元公安が私的な利益と外交でつるんでるんだからみんな明らかにせいや。
日銀総裁Sやめたら宮内との関係ぞろぞろ出るかも。
サルバドール・ダリ コレクション|諸橋近代美術館
dali.jp/
磐梯会津高原に位置する諸橋近代美術館。サルバドール・ダリの絵画・彫刻・版画などの作品約340点は世界屈指の所蔵数を誇ります。磐梯山を臨む、美しい庭園に囲まれた美術館です。
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10年以上前駅のホームで困ってらっしゃったご婦人を電車まで案内しましたら、その方からお名刺を頂きました。土に点のついたお名前のお名刺でした。
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