の続きですかね・・・(w
森羅万象に命や神霊が宿るとする、古神道の一つである神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)という山岳信仰と仏教が習合し、さらには道教、陰陽道などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教である。
小角は修験道の開祖として山伏に崇められている。
この山伏とはそもそも何者であるのか。
どこからやって来て、山に伏すようになったのか。
修験道とはいったいどのように成立したのだろうか。
野外で火を燃やすのは修験道だけである。
修験道は「火の宗教」である。
山伏はなぜ火を神聖視するのか。
小角の謎を解くには、修験道の謎を解かねばならない。
修験道は紀伊半島中央部に位置する大峯山脈で誕生した。
奈良県吉野郡である。
サクラで名高い吉野山に蔵王堂があり、山上ヶ岳頂上に大峯山寺がある。
ここが修験道の中心部である。
吉野山から山上ヶ岳にかけての山並みを金峯山(きんぷせん)という。
地下には黄金が埋まっているという。修験道とは「黄金信仰」である。
本尊の金剛蔵王権現は黄金の守護神である。
山伏はいったい山中で何をしていたというのか。
コロンブスは金峯山の黄金を探すため、大西洋を西に航海した。
カリブ海の島を日本であると信じ血眼になって黄金を探している。
大海人皇子は吉野で挙兵して天武天皇に即位した。
古代最大の内乱である壬申の乱の勃発である。
このとき、吉野には小角が山伏軍団を率いて君臨していた。
果たして、大海人と小角の邂逅はあったのか。
小角軍団は大海人軍の一員として参戦したのかどうか。
大海人は吉野に八ヶ月間潜伏した。
しかし『日本書紀』は、大海人が吉野のどこで、何をしていたか語らない。
その空白の八ヶ月間を記す巻物が吉野山の修験道寺院に秘蔵されている。
私は本書の執筆にあたり、その巻物の閲覧を許された。
そこには修験道の誕生に関わる秘密と未知の離宮が記されていた。
『日本書紀』が語らない「もう一つの日本史」である。
吉野にやってきたのは、天武天皇だけではない。
神武天皇は吉野の豪族と会談した後、大和朝廷を開いている。
神武と吉野の豪族を引き合わせたのは小角の先祖に当たる人物である。
後醍醐天皇は山伏軍団を擁して吉野山に南朝を開いた。
南朝はここを戦闘基地にして60年も戦う。
持統天皇は生涯に34回も吉野を訪れている。
このとき、小角は吉野で健在であった。
歴代天皇はなにゆえ吉野を目指したのか。
小角の魅力は「謎の人物」であることだ。
修験道も吉野も謎に満ちている。
忍者のルーツは小角にさかのぼる。
安倍清明の陰陽道も小角にたどりつく。
空海は吉野で修行したあと真言宗を開いた。それだけではない。
マジック、サーカス、曲芸、芸能、占い、医術、薬学、果てはごろつき、腕貸し、
博打打ちまで、社会の裏も表も起源は小角か、その辺にたどり着く。
小角の正体を知ることは「日本のカラクリ」を知ることになる。
役行者―修験道と海人と黄金伝説: 前田 良一
(本書 はじめに より)
役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。修験道の開祖とされている。後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになった。
実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/役小角
→飛鳥(あすか)時代
重要なキーワードの一つですね。
アスカ監査法人@AIJ投資顧問関連とか色々・・・(爆w

