長崎に原爆が投下された原因の一つですかねえ・・・(爆w
ソウル大司教区聖地巡礼団:長崎の教会群、世界遺産登録へエール /長崎
毎日新聞 2013年04月06日 地方版
韓国・ソウル大司教区の長崎聖地巡礼団(団長=チョン・ドンフン主任神父)が5日、県庁に中村法道知事を訪れ、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界文化遺産登録を後押しする意向を示した。
巡礼団はカトリックの神父ら51人で、4〜7日の日程で県内を回る。5日は世界遺産候補の出津教会(長崎市)などを巡礼した。6日以降は二十六聖人記念聖堂や島原城を回る予定という。
チョン神父は「長崎の教会群は保存状態も良く、世界遺産に登録されて当然だと思う」とエールを送り、中村知事は「15年にはぜひ登録を実現したい。ご理解とご協力をたまわりたい」と笑顔を見せた。【大場伸也】
〔長崎版〕
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20130406ddlk42040471000c.html
明洞聖堂
明洞大聖堂(みょんどんせいどう)或は韓国カトリックソウル大司教区司教座聖母マリア無原罪のおんやどり明洞大聖堂[1]は、韓国ソウル特別市にあるカトリックの司教座聖堂。韓国で最初に作られたカトリック教会である。韓国のカトリック信徒にとって精神的シンボルともいえる重要な聖堂である。
李氏朝鮮時代に北学派(북학파)のグループが清に留学中にカトリックと初めて接触を持ち始めたが、その後李氏朝鮮が開国し、フランス人宣教師が到着したことで本格的に朝鮮半島における布教が進んだ。先祖崇拝(제사)と貴族制度の否定は多くの人々の共感を得る一方で、当局からの弾圧を招く原因ともなった。
明洞聖堂の建築はフランス人司祭エウジェニー・コステ (Eugene Coste) の計画によって進められ、1883年に用地を購入、1892年に高宗臨席のもとで起工式を行った。 しかし日清戦争やコステ神父の死などの影響によって予定が遅れ、完成は1898年5月のこととなった。最終的に献堂式が行われたのは1898年12月8日、聖母の無原罪の御宿りの祭日であった。
当初は鐘峴聖堂(종현성당)という名で呼ばれていたが、1945年の日本から独立を機に現在の「明洞聖堂」という名称に変えられた。