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2010年6月28日月曜日

やまと新聞と有田芳生双方ともアレな件

反統一教会が売りなのに統一教会が支持してる民主党から出馬はダメダメでしょうに。
とは言え、そんなを有田芳生氏にウンコなげしてるやまと新聞ってのも十分アレなわけで・・・
カルト内派閥争いみたいなもんですかね。(w

反対派閥によると元祖やまと新聞とは・・・




間違ってる該当箇所だけ削除・訂正すれば良い話が、自分たちサイドの都合の良い情報に摩り替えようとしてるところがアレでつね。そもそも現やまと新聞と旧やまと新聞の関係もはっきりしないわけで同じ系列だという保障も何も無いわけで、更に、

安倍内閣のとき、ようやく「やまと新聞」は「国会外でも活動してよし」との お墨付きをもらった

なんてほざいてる時点でドン引きなわけですが・・・
いったい誰のお墨付きですか?(爆w

やまと新聞社
〒165-0026 東京都中野区新井1-12-14


株式会社ファーストアクセス
〒165-0026 東京都中野区新井 1-12-14 秀光ビル6F

※協同組合向け業務用ソフトウェア開発・販売・業務代行
・ETCマイレージ割引制度に 関する業務
・ETC大口多頻度割引制度に関する業務
外国人研修生制度に関する業務


協同組合トーコーネット ワーク
〒165-0026 東京都中野区新井1-12-14 秀光ビル6F

ベトナム人の研修生受入事業、ETC関連事業
<許 認可>農林水産省指令9関生第274号

ゲーム音楽・声優専門工房 アトリエピーチ
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秀光建設株式会社
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様々な右翼団体を転々 [編集]

児玉は最初社会主義に傾倒したが、その後超国家主義に転じ、玄洋社の頭山満に私淑した。1929年には赤尾敏によって創設された急進的な右翼団体「建国会」に加わった。すぐに昭和天皇に直訴しようとして捕まる。この天皇直訴事件で半年投獄された。

その後、津久井龍雄の急進愛国党を経て1931年に大川周明の全日本愛国者共同闘争協議会に参加。そこで国会ビラ撒き事件や井上準之助蔵相脅迫事件を起こし投獄された。

1932 年に釈放され、満州に渡り、笠木良明の大雄峯会に参加。同年、帰国すると「独立青年社」を設立。頭山満の三男頭山秀三が主宰する天行会と共に、陸軍特別大演習に随行する斎藤首相や閣僚を暗殺し発電所を破壊して停電を起こし皇道派のクーデターを誘発しようと計画。その天行会・独立青年者事件が露見して、3年半の懲役刑を受けた。その後、笹川良一が結成した右翼団体·国粋大衆党(後の国粋同盟)に参加。

1938年、海軍の嘱託となり、1941年から上海で児玉機関を運営し、それをきっかけに黒幕へのし上がっていく。

60年代初期には15万人以上の会員がいた日本最大の右翼団体全日本愛国者団体会議(全愛会議)を支える指導者の一人であった。天野辰夫や橘孝三郎、小沼正、佐郷屋留雄、笹川良一、三浦義一らがいた。全愛会議はスト破りや組合潰しを暴力で行った。顧問には日本国粋会、松葉会、義人党などの親分がいた。1961年、この全愛会議内に児玉に忠実な活動グループ青年思想研究会(青思研)が誕生した。日乃丸青年隊の高橋正義を議長とし、下部組織には住吉会系の元組長や東声会の町井久之が代表を務める組織があった。60年代終わりには青思研を全愛会議から脱退させた。新潟県の山中で軍事訓練を行い、児玉は訓練後、「君達各人が一人一殺ではなく一人で百人を殺してくれることを望む」と会員に語った。青思会は日本最大の行動右翼として児玉に反目する者を恐れさせた。

1967 年7月、後に統一教会系の反共団体・国際勝共連合の設立につながる、「第一回アジア反共連盟(世界反共連盟の地域団体)結成準備会」が笹川良一の肝煎りで、山梨県本栖湖畔にある全日本モーターボート競走連合会の施設で開催された。この時、市倉徳三郎、統一教会の劉孝之らが集まったが、児玉も自分の代理として白井為雄を参加させた。

1969年、青思研より独立した右翼団体日本青年社(前身は楠皇道隊)が結成。これはヤクザと見分けが付かない任侠右翼の始まりであった。


それにしてもアベシンゾ~は脇が甘すぎる。(爆w