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2013年4月8日月曜日

水のミトラ図

ってのが特定の方面にとっては非常にマズ~な事実なわけでしょ。(爆w

で、やっぱアムール寅ですかねえ?(爆w


 兵庫県の西宮市大谷記念美術館は、江戸中期を代表する画家円山応挙(まるやまおうきょ)の大作「水呑虎図(みずのみとらず)」が八十五年ぶりに見つかったと明らかにした。「応挙が脂の乗っていた四十代に描いた幻の虎図で、価値が高い発見」という。

六日から同館で始まった「とら・虎・トラ」展に出品されている。

水辺で前方をにらみながら水を飲む虎を描いた絵は一七八二年作で、縦九六・五センチ、横百四十一センチ。一九二八年に大阪美術倶楽部で売りに出た後、所在不明だった。

今年、大阪・道頓堀の飲食店「大阪名物くいだおれ」(閉店)の創業者だった故山田六郎氏の遺族から同館に連絡があり、倉庫にあった掛け軸を調査。署名などから「水呑虎図」と判断した。

応挙の襖絵(ふすまえ)で知られる大乗寺がある兵庫県香美町出身で、応挙作品を好んだ山田氏が購入したものとみられる。

江戸期の絵画に詳しい「MIHO MUSEUM」(滋賀県甲賀市)の岡田秀之学芸員は「肩をぐっと盛り上げた姿勢など、応挙の虎でも特色のある作品」と指摘する。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013040702000102.html




円山 応挙(まるやま おうきょ、旧字表記では圓山應擧、享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。[1]

経歴

本姓は藤原、後に源、姓は円山、名は岩次郎、後に主水。夏雲、雪汀、一嘯、仙嶺、僊斎、星聚館、鴨水漁史、攘雲、洛陽仙人と号す。石田幽汀の門人。享保18年(1733年)、丹波国桑田郡穴太(あのお)村(現・京都府亀岡市)に農家の次男として生まれた。穴太は、西国三十三所の札所寺院である穴太寺があることで知られる。少年時代のことはあまり詳しくわかっていないが、遅くとも10代の後半には京へ出て、狩野探幽の流れを引く鶴沢派の画家、石田幽汀の門に入っている。




→池田大作