あらゆる投薬法で「七転八倒」「遺骨は青く」 熊本・ハンセン病療養所で「虹波」人体実験 園長の目の前で…入所者が証言 菊池恵楓園
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戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に「虹波[こうは]」と呼ばれる薬剤が投与され、9人が死亡したことを示す文書群を同園が初めて開示した。同園で治験が始まったのは1942年末。静脈注射や筋肉注射、座薬などあらゆる投与法が試された。入所者の長州次郎さん(95)は、紫色の錠剤を一日3錠飲まされた経験を入所者自治会機関誌「菊池野」などにつづっている。 厚生労働省の「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」の聞き取りによると、43年に入所した長州さんは終戦まで虹波を服用させられた。 飲み始めると月に1回は胃がけいれんし、数日は食事を取れなかった。夕飯を朝に吐き出すこともあり、「虹波のせいで七転八倒した」と語っている。治験後に死亡した入所者の遺骨は青っぽく、「骨に色が付くほど強い薬だったのだろう」とも証言している。 各療養所の園長には当時、らい予防法(旧法)に基づき指示に従わない患者に懲罰を与える「懲戒検束権」が与えられていた。長州さんが服用を指示されたのは宮崎松記園長(当時)の目の前で、辞退することはできなかった。長州さんは取材に対し、「治療のため恵楓園に来たはずなのに、正体不明の薬まで飲まされたのは一番残念なことだ」と話した。
「園長の言うことは絶対で、反対すれば監禁室に送られる時代だった」と振り返るのは入所者自治会長の志村康さん(89)。入所した48年、治験は治療薬「プロミン」にとって代わっていたが、志村さんは恵楓園内で「体中の穴という穴から薬を入れていたらしい」「皮膚に塗ったから死なずに済んだ」といった虹波の話を何度も聞いた。 2004年に恵楓園の倉庫で虹波の研究結果を記した大学ノートを見つけたのは、入所者自治会副会長の太田明さん(79)だった。厚生労働省の調査に合わせて資料を探す中、偶然に出てきた。記していたのは宮崎園長だった。 詳しい資料がなかったため、ハンセン病を巡るこれまでの裁判で虹波の実験が裁かれたことはなかった。志村さんは「物証がないため国の責任を追及できなかった。資料が残っていて良かった」と語り、太田さんは「患者の骨格標本が勝手に作られていた問題と同じように、きちんと検証されるべきだ」と訴えた。(熊本日日新聞・深川杏樹)■菊池恵楓園 全国に13カ所ある国立ハンセン病療養所の一つ。1909年、九州7県連合立九州癩[らい]療養所として、現在の熊本県合志市に開設。11年に九州療養所、41年に国立に移管し、菊池恵楓園と改称した。強制隔離を規定した「らい予防法」に基づき大規模な病床拡張が進められ、50年代後半のピーク時には入所者が1700人を超えた。9月末時点の入所者は国内最多の145人。高齢化が進み、平均年齢は86・5歳となっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8cae294f3409d990b84c8aecc378acfe986a86e
今も昔もやってる事は本質的に同じ。医療ファシズム。(爆wwwwwwwwww
11 件のコメント:
> 虹波
で、でたーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いつものレインボーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ハンセン病って本当は被爆じゃねぇの?
陸軍が熊本で人体実験、「虹波」研究の人脈は京大医学部に 寒地で耐寒機能向上図る?
2022年12月5日 10:00京都新聞
岡本晃明
戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に対し、陸軍が「虹波」(こうは)と名付けた薬剤を投与する人体実験を行い、9人が死亡したことを示す文書群を、同園が初めて開示した。同園での人体実験で死者が出ていたことは知られているが、1次資料の全容が明らかになったのは初めて。
戦後のハンセン病患者隔離政策を主導した菊池恵楓園の宮崎松記園長は京都帝大医学部卒だ。死者9人を出した旧陸軍の「虹波(こうは)」の人体実験で、宮崎園長と同じく第7陸軍技術研究所嘱託だった熊本医科大の波多野輔久教授や、虹波を投与され死亡したハンセン病患者の遺体を解剖した同医科大の鈴江懐(きたす)教授(のち京大医学部教授)も、京都帝大医学部出身だ。虹波研究の人脈は京大医学部に連なっている。
京大医学部は、旧満州で捕虜らにペストなどを感染させるなどの生体実験を行った731部隊に、講師クラスの研究者を送り込んだ。虹波の論文は森茂樹京大教授ら京大医学部病理学教室出身者の研究会が京都で発行した雑誌に戦後も掲載されている。鈴江は熊本時代の虹波研究を「波多野教授とは同学の友人として常に研究発展の模様を聞かされていた」と回顧している。
731部隊創設者の石井四郎軍医中将は京都帝大医学部の清野謙次教授の元で学んだが、鈴江も清野の教え子だ。清野がハンセン病患者研究を鈴江に勧めた。
鈴江が戦前、菊池恵楓園入所者の骨格標本を作製したことを熊本日日新聞が2013年にスクープした。これを受けて翌年、熊本大は鈴江らが1927~29年にハンセン病患者43人の遺体を解剖し、20体の骨格標本を作製
…
七宝焼かよw
治療=実験=拷問、変わってないのはイクラの重要任務だからw
欧州北米医薬業界が
アフリカや黒人に人体実験
日本は
隔離した感染性の難病患者に(苦
ダークな世界だな
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/amp/933253
陸軍の人体実験「虹波」、ハンセン病入所者9人死亡 熊本の療養所が初開示
2022年12月5日 10:00
戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に対し、陸軍が「虹波」(こうは)と名付けた薬剤を投与する人体実験を行い、9人が死亡したことを示す文書群を、同園が初めて開示した。同園での人体実験で死者が出ていたことは知られているが、1次資料の全容が明らかになったのは初めて。死者や重体患者が相次いでも軍嘱託の医学者たちが投与を続けたことが記されており、専門家は「当時の医学倫理に照らしても残酷な人体実験で、文書群を検証すべき」と話している。
京都新聞社と熊本日日新聞社が情報公開請求した。虹波は写真の増感材として開発された感光色素を合成した薬剤。防衛研究所戦史研究センター(東京都)所蔵の旧陸軍資料によると、虹波の研究目的は「戦闘に必要なる人体諸機能の増進」「極寒地作戦における耐寒機能向上」などとされている。実験は機密軍事研究の一環だった。
今回開示された恵楓園の虹波関係簿冊は25点あり、兵器の開発研究に当たっていた第7陸軍技術研究所(7研)に提出された秘密印のある報告書や草稿、投与データ記録などが綴じられた簿冊が複数あった。戦時中に作成された簿冊が20冊、戦後分が5冊あった。
7研の研究嘱託だった宮崎松記園長(京都帝大医学部卒)名で1943年10月10日作成の「効果試験報告(概要)第1報」によると、42年12月から6~67歳の同園入所者370人以上に投与され、死亡9人。効果として「手指の運動機能」「視力」などが列挙してあるが、病原菌に作用しないと明記され、全快例はない。
44年5月の報告では、37歳の男性患者が注射約10時間後に「全身の血管に針の差入した様な」痛みや頭痛を訴え、けいれんを起こした末に意識が混濁し死亡した例を記載。有効数はわずか2%で、副作用発現率は22%だった。草稿には患者を「材料」と呼び「実験は苦痛のため困難」と記載しているものや、逃亡患者2人との記録もあった。
>虹波は写真の増感材として開発された感光色素を合成した薬剤。
>患者を「材料」と呼び
やっぱ頭おかC
その流れをくむ人がいまーすby小〇方
写真 増感材 製造
これ以外にも色々あるみたいですがまだ未読多数あり、取り敢えず
https://www.jstage.jst.go.jp/article/photogrst1964/70/5/70_5_295/_pdf
菌そのものは弱ぇし、死なないし、完治も見込めるのに
これだけのハコ用意するって
>今も昔もやってる事は本質的に同じ。医療ファシズム
ドイツもやってるし、負けへんでぇしてたんだろな
九州だと
中世からの伝統芸 今井道与 島津義久
ミドリ十字 まんまやね
タブセもタナベも終わっとけ ほんま
確か昔に子供用に昆虫に注射するセットとかあったよね
やってる子見てたら平気でバッタの腹に注射針とか突き抜けさせてんだわ
んで平気なんだよね
あれは今でもいるこういうキチ医養成グッズだったのかな
注射してた液体って何だったんだろう?
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