カニエ・ウェストが「白人至上主義」を擁護する理由
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カニエ・ウェストは、“天才”だ。けれども人々は彼を教育しようとする。パリのファッションウィークのイベントで、ウェストは黒人のモデルたちに “ホワイト・ライブス・マター” とバックプリントされたシャツを着せた。
この一件の後、彼はブラック・ライブス・マターの団体に呼ばれ、ブラック・パワーに関する授業をオンラインで受けるように諭された。彼らの言い分は、もしカニエがブラック・パワーの本当の意味を理解していたのならば白人による抑圧を正当化し、黒人の解放を軽視するようなインタビューを行ったり、そのような馬鹿げた行為で注目を集めたりするのではなく、ブラック・パワーを擁護するべき、なのだと。
だが、カニエはブラック・パワーについて深く理解している。活動家から英語教授に転身した母のドンダ・ウェストによって、黒人解放運動のイデオロギーのもとに育てられた。彼は黒人解放運動の伝統に根ざした家庭の産物であり、黒人のプライドと民族自決を促すアイデンティティ、美学、サウンドをベースにした音楽ジャンルのトップに君臨している。 カニエの魅力のひとつは、ブラックパワーのフレーズや主義主張、そして人々のことをビートに乗せて操る能力があるところだ。
彼は、白人至上主義に貢献しながらも、黒人の正当性を手にするために黒人解放運動を象徴するイメージを巧みに取り入れている。 ドンダはアフリカンアートや彫刻、彫像及び何百冊もの本でインテリアを整えた。そして、黒人のエンパワーメントの哲学に根差した子育てを行った。
「アメリカの黒人社会の中で私たちが受け継ぐべきことは、祖先に対する敬意と同時に奴隷所有者への憎しみだ。その歴史を引き継いだ親達は、自分を愛すること、マルコム(・X)の勇気、マーティン(・ルーサー・キングJr)の知恵、マーカス(・ガーヴェイ)の不屈の精神を意識的に子供達に教える使命を担っている」
と、ドンダはその著書、『Raising Kanye 』(“カニエを育てた母の手記”:日本語未発売)の中でこのように書いている。 だが、ラッパーのカニエは黒人のエンパワーメント活動のイロハを他の黒人男性に教えてもらう必要はなかった。母親が身を尽くして活動する姿を目の当たりにしていたのだから。
ドンダはアフリカ系アメリカ人公民権運動の最中に成人を迎えた。「私の両親はこの運動の活動家でしたので、家族全員が運動に関わることになりました」と、ドンダは当時を振り返っている。
その言葉どおり彼女は1955年、6歳のときにオクラホマシティのレストランで人種差別に抗議して白人専用席に座る、シット・インを行なって逮捕されたのだ。シット・インやボイコットがアメリカ国内で本格的に幅広く行われるようになったのはそれから実に6年後だった。
彼女はブラックプライド、自己決定と自立した生活を大切にすることを目指す黒人女性の世代の一員となるべく成長した。彼女たちの中にはブラックパンサー党のような組織の一員に加わり、“民衆に力を”という言葉を実現し、人々に力を与えた人たちもいる。 黒人女性たちは、さまざまな工夫を凝らし、パンサー党に朝食を提供したり、健康管理を行ったり、地域社会のプログラムを考案・運営するなどし、政府の協力がなくても自分達は黒人のコミュニティを助けていくことができることを示した。
芸術や文化が黒人解放運動に一役買うと主張していた人々にもドンダは惹かれていた。博士課程を修了した彼女は、ウェスト教授としてシカゴ州立大学に就職し、シカゴの黒人芸術シーンにおける最大の支援者となった。ブラック・アーツ・ムーブメントに関わる作家たちは、黒人の文化や歴史を探求し、政治的に関与した作品を作った。ウェスト博士はこの伝統を受け継ぎ、カニエをはじめとするキャンパス内の若者たちに、ニッキ・ジョバンニ、マヤ・アンジェロウ、トニ・モリスン、グウェンドリン・ブルックスといったブラックアーツ作家を紹介した。
ドンダはまた、公立学校に黒人中心の教育モデルである「アフリカン・フリースクール」を創設したアミナ・バラカのような思想家や教師を支持した。 彼女は、当時の多くの活動家と同様、黒人が白人の政治的、経済的、文化的価値観を拒否し、黒人を中心とした知識、生活、学習方法を優先するよう呼びかけた。ドンダは、幼少期のカニエをブラックパワーの詩人ハキ・マドゥブティと妻のサフィーシャが運営していたアフリカ系アメリカ人のための学校に入学させ、このビジョンを植え付けた。
カニエが育ってきた環境を考えれば、彼の音楽に黒人解放のイデオロギーを染み込ませる能力があることは不思議なことではない。しかしながら彼は知的かつ活動家の家風を、音楽を通して間接的に攻撃する手法をとっているのだ。ジェイ・Zと共同制作したメガヒットアルバム『Watch the Throne』に収録されている「Murder to Excellence」で彼は、「今こそ立ち止まってブラックパワーを再定義するときだ」と宣言した時、彼のエンパワーメントのビジョンは運動従事者が認識するものではなかった。
カニエは政治的かつ経済的自由のレトリックを使って人々の信頼を得ているのだが、同時に先駆者たちによる本来の理論や伝統の思想を危険なほどに切り離すメッセージを送り続けている。活動のシンボルを誤って使用しているのは、カニエだけではない。けれども、ニーナ・シモンやギル・スコット・ヘロンの曲をサンプリングする一方で、ジョージ・フロイドの殺人事件について根拠のない不正確な発言をする彼は他の誰よりも、自分のルーツ及び音楽的ルーツからどれだけ脇へ逸れているかを理解している。 ファンや批評家は彼から天才という称号を剥奪するのに手間取り、その代わりに、彼の政治的誤解の根源として、母親の急逝をしばしば引き合いに出す。 最近のカニエの評判の悪さの責任はウェスト教授にあったわけではなく、むしろ彼に知識と自信を与え、それを乗り切らせた人たちにある。ウェスト教授は母親としてそのような状況に直面した際に、苦境を乗り越えられる知識と自信を彼に与えた存在なのだ。彼女や他の黒人女性たちの伝統がなければ、カニエはMAGA(メイク・アメリカ・グレート・アゲイン)を推奨したり、奴隷制度は黒人自身が選択したものだと意見したりし続けながらもカニエは大変に評価の高い素晴らしい作品を世に送り出すことはできなかっただろう。 カニエが使う人種差別用語や歴史上の事実の裏に、「カニエが歴史的背景をよく理解していることは本当だ」と、ドンダは『Raising Kanye』で説明している。それはもちろん母のドンダと多くの黒人女性たちが彼に教えてきたからに他ならない。カニエにはブラックパワーに関する授業は必要ない。彼の方が良く理解しているからだ。
アシュリー・D・ファーマー 黒人女性の知性史及び急進的な政治史を研究する歴史家。テキサス大学オースティン校准教授、専門は歴史・アフリカ学・アフリカ人のディアスポラ(離散)に関する研究。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6519f8fe312fcc5bf2f6031b4200e1f911461ccf
奴隷所有者の多くがユダヤ人だったって事をKanyeさんは知ってるんでしょうなあ・・・(爆wwwwwwwww
BLMなんぞ支持してたアフォな大阪なおみは恥を知れ!(爆wwwwww
6 件のコメント:
>奴隷所有者の多くがユダヤ人だった
wwwいっちゃうんだwwwwいいねwwww
site://tokumei10.blogspot.com 奴隷 ユダヤ
トランプも一緒に飯食ってたらしいね
これで次の再選は無くなったかなw
ロリペドジジイが再選したらもっと笑うけどwww
北部の商工に対し、南部の奴隷制綿花栽培と産業経済の違い
南部らしさを継承する側に賛同するなんて人でなししかできないもの
そしてそこはユダヤ人地帯と被りがち
カニエウェストはアイデンティティにあったからこうであっても
BLMなおみ他はないから恥すら持ち合わせてないと思ふ
すっかりダセェジャージは装着しなくなって
ごうつくキムチ嫁に離婚仕掛けられても
財産強奪作戦中ってやつで子持ち女に有利になってしまいがちだけど
なるべく持ってかれないうまいこと清算できたになるとイイネ
無傷はムリね、目覚めるのが遅かったとするほかない
2年後はすっかりさっぱりしてるだろうから
大統領になってるか立派なキーマンになってるだろうから
それまで白人美女と交際してればいいよねw
今カノはさすがに背景しっかりチェックしてるよね?w
それまでに少しスリム化試みてくれないかな
したら心身ともカコイイオジサンになってくれそう
トランプ爺と
くっ付いたり離れたり
ユダヤ案件で妥協点が見出し難い
こんな感じだったんDEATHネ
>ドンダ・ウエスト
70年代後半 アメリカの人種差別撤廃運動が一番生き生きとしていた時ですね
トニ・モリソンなど黒人女性の著作が日本でもシリーズで出されていました
白人女性も自助共助で女性向けの書店経営やティピーを建ててそこで暮らしたりと
旅人がみても自力で人生を作り出そうとしているという感想を持ちましたネ
カニエ・ウエストのRunawayでは、whiteとblack の文化様式ー力関係を逆転させて
そこに火の鳥フェニックスを招くが、”それでは死に至る”ことが察知され飛び立ってしまう
カニエがBLMなどの過激ドグマに従うことなど無理ですよ
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