2022年7月10日日曜日

西隆寺

 

2022年7月10日日曜日




西隆寺(さいりゅうじ)は、奈良県奈良市西大寺東町付近にあった古代寺院尼寺)。跡地の史跡指定はされていない。

概要

奈良盆地北部、西大寺北東の平城京右京一条二坊、現在のならファミリーサンワシティ西大寺付近に位置した。奈良時代後期の770年頃に称徳天皇の意向で創建された尼寺で、創建当時は西大寺に続く格式を有した官寺であったが、その後は衰退し、鎌倉時代までには廃絶して田畑化している[1]

寺域では1971年度(昭和46年度)以降に発掘調査が実施されており、金堂・塔・回廊・厨・東門・南面築地塀などの遺構が検出されているが、未だ全容は詳らかでない。現在までに史跡整備は実施されておらず、一部の遺構のみ標示されている。

歴史

創建

西隆寺の創建については、『続日本紀神護景雲元年(767年)8月29日条に「従四位上伊勢朝臣老人為造西隆寺長官」と見えることから、この年に造営が開始されたと推測される[2]。また『日本三代実録元慶4年(880年)5月19日には「令西大寺摂領西隆寺尼寺、此両寺、是高野天皇創建」と記載されており、西隆寺は尼寺であり、高野天皇(称徳天皇)による創建で西大寺の管理下にあったことが知られる[2]

寺域は平城京右京一条二坊の九・一〇・一五・一六坪の4町を占めるが、発掘調査によれば、西隆寺造営以前には寺地を四等分する形で南北・東西に道路(条坊小路)が通ったことが認められている[3]

古代

神護景雲2年(768年)、藤原仲麻呂越前国旧領・仲麻呂の娘婿である藤原御楯の田地など300町が施入された[2][4]

宝亀2年(771年)には、僧綱印および大安寺など12寺の印が鋳造されて各寺に分配されたと見え、そのうちに西隆寺も含まれている[2][5]。また宝亀9年(778年)には、皇太子の病平癒の祈願のため東大寺・西大寺・西隆寺の3寺が誦経している[2]

長承3年(1134年)の『南寺敷地図帳案』では寺地が記載されている[2]

その後の変遷は不詳。鎌倉時代建長3年(1251年)の『西大寺々領検注帳』では西隆寺寺地が田畠として記されていることから、13世紀前半には廃絶したと推測される[2]。 


 

孝謙天皇(こうけんてんのう)、重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう;稱德天皇、718年養老2年〉- 770年8月28日神護景雲4年8月4日〉)は、日本第46代天皇(在位:749年8月19日天平勝宝元年7月2日〉- 758年9月7日天平宝字2年8月1日〉)および第48代天皇(在位:764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉- 770年8月28日〈神護景雲4年8月4日〉)。

父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。即位前の名は「阿倍内親王」。生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。『続日本紀』では終始「高野天皇」と呼ばれており、ほかに「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。諱は阿倍で、これは阿倍氏に養育されたためであった[1]

史上6人目の女性天皇で、天武系からの最後の天皇である。この称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年 - 1643年)に至るまで850余年、女性天皇が立てられることはなかった。 


 

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年天平5年〉- 765年11月10日天平神護元年10月23日〉)は、日本第47代天皇(在位:758年9月7日天平宝字2年8月1日〉- 764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉)。

漢風諡号は明治時代になってから付けられたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいてい、あわじはいたい)と呼ばれるが、歴代に加えた史書も存在する。大炊(おおい)で、これは大炊氏蘇我氏系の御炊氏、あるいは大炊刑部)が養育したからであると考えられる[1]。 


廃帝漢音:はいてい、呉音:はいたい)は、東アジア世界の王朝において、内部抗争などにより廃位されたため、廟号を持たない皇帝天皇の呼称。

廃帝は諸侯王諸侯に落とされるとその位で呼ばれたり、即位を認められず即位前の元の位で呼ばれる場合が多いが「少帝」や「末帝」「後主」「末主」「廃主」などといった称号を用い、一定の敬意を払うことも少なくない。

また、墓所に関してはと呼ばず、と呼ぶのが通常であった。

1つの王朝で廃帝が複数存在する場合、「前廃帝」「中廃帝」「後廃帝」と呼ばれる場合が多いが、を後に付けて「廃帝某」と呼んで区別することもある。 


 

墓までry・・・(爆wwwwwwww

3 件のコメント:

ミネ さんのコメント...

クリニックシティ西大寺ww

盾と楯の区別はにゃぃ
あべしには楯
どこをとっても文官側ではないのがあべし

ご近所 さんのコメント...

掘ったら何が出てくるかわからんから、やたらと無駄に掘らない
出てきたら、そっ閉じ、もしくは無い無〜い、が奈良の土建屋の常識なので
この付近で地下掘って何も出てこないわけがないんでw

献花台置いてる側でんな、とてもシュールでつw

匿名 さんのコメント...

地図を拡大すると稲荷が艮に出てくる