大阪府大阪市東成区(現在の生野区)生まれ。旧制大阪府立生野中学校の1年生の時に、父の実家のある和田山町(現在の朝来市)に引っ越す。旧制兵庫県立生野中学校に転校。卒業後、旧制姫路高等学校文科甲類(現在の神戸大学文学部)に入学するが、学制改革により翌年新制京都大学に編入。アメリカ・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号として、アメリカ合衆国のシラキュース大学、イェール大学、ソルボンヌ大学(現在のパリ大学)で学ぶ[1]。シラキューズ大学大学院新聞科修了[1]。
1955年から英文毎日の記者を経て、1963年に山陽特殊製鋼へ入社し調査部長となる[1]。しかし、1年後に山陽特殊製鋼を退社し[4]、以後は追手門学院大学英文科助教授[1]、拓殖大学客員教授などを経て、マーシャル・マクルーハンのメディア論の紹介で注目されて文筆活動をはじめる。並行してテレビ・ラジオにも出演[要出典]。
1980年(昭和55年)頃、講演やテレビ番組などで「仕事ができない奴=資料を持ち過ぎの奴」との持論を展開し、自身は1冊の手帳に情報を集約して使っていることを紹介した[要出典]。自らの監修によりオリジナルの手帳「これだけ手帳」を発刊し、その後30年にわたって発行され続けたが、2012年度版をもって発行を終了した。
1982年(昭和57年)9月、同年夏に出した『もっと売れる商品を創りなさい』が月刊誌『アクロス』同年2月号の記事から盗用していることが発覚。記者会見で盗用の事実を認めて謝罪し、回収することになった。全文コピーが7ヶ所で87行、文意盗用が10ヶ所で67行というもの[5][6][7][8]。
1985年(昭和60年)より、ニューヨークマンハッタンのモット・ストリートとプリンス・ストリートの交差点付近にあるビルの壁面に、竹村の肖像壁画が描かれている[9][10]。アデランスのCM撮影用に描かれたものであるが、絵を消すには1200万円の費用がかかることや、街路樹との位置関係でビルの壁面が広告スペースとしては適さなかったため広告会社が手をつけなかったこと、ビルの所有者も気にいっていること、地元の人たちの評判も良いことなどの理由から、2012年(平成24年)現在もそのままになっている[要出典]。
先述の「これだけ手帳」発売終了以後、メディア出演や著書発表などの活動を行うことはなかった。
2019年(令和元年)7月8日、多臓器不全のため、死去[11]。89歳没。
思想・論調
論調は基本的に保守的・親米的で、ハイテク、情報産業を重視する傾向が強い。リゾートとリサーチの「二つのR」が日本の未来を決する、と繰り返し強調。原子力発電の旗振り役もしている。友人・知人にも保守派の論客が多く、日本共産党や公明党とは主張が異なるものの、政党傾向や人物に偏らず、良いと思えるところは率直に評価すると自認する[12]。竹村は著述業を通じて精力的にマーシャル・マクルーハンの思想を紹介した[13]。
人物
執筆スタイルは、口述筆記で喋ったことをテープに録音してそれを原稿起こししたり、新聞の切り抜き記事を編集者にリライトさせると言われており、1981年には36冊を出版するという量産ぶりで、1冊あたり最低3万部を売っていた[14]。広い見識を持ち、テレビなどでも度々『英国エコノミスト』、『フィナンシャル・タイムズ』など、日本の新聞では紹介されにくい紙面からの情報も幅広く紹介する。自身のブログでは、日本のマスメディアに出てこない重要なニュースや記事を定期的に発表していた。
趣味はテニス、麻雀、スキー、スキューバダイビングなど[1]。また、実業家として太陽企画出版・善光寺温泉ホテル(現在は廃業)を経営[1]。2006年からは『AICJ中学校・高等学校』を運営する学校法人AICJ鴎州学園の理事長も務め、その母体である鴎州コーポレーションの取締役相談役も務めている。
パイプを銜えた独特な風貌、「大体やね」「ブッシュさんはね」(日本国外の政治家を「さん」付けで呼ぶことは稀)など、独特の口調や語の強調による特徴的かつ辛辣なトークによる評論を行う。この言葉が生まれたきっかけはTBSラジオ『ミッドナイトプレスクラブ』で外国人特派員らと議論を交わした時に出て来たとしている[15]。このため物真似芸として、タモリが芸能活動初期の持ちネタとしており、「だいたいやねぇ」という口癖を使用した[16]。本人がバラエティ番組に出演することもあった。
日本全国均一の航空運賃の発案者である。[要出典]
批判
ベストセラーとなった著書『マクルーハンの世界』で竹村はテレビはラジオと異なり大衆を扇動しない「クールなメディア」だと説明したが、この点がマーシャル・マクルーハンの思想と全く異なるとして竹村は佐藤毅に批判された[13]。竹村は同書はマクルーハンの紹介ではなく「一種の創作みたいなもの」だったと弁明した[13]。交遊録
- 中曽根康弘(元首相)
- 首相になる前からの付き合いで敬愛しているという。
- 渡部昇一(上智大学名誉教授)・堺屋太一(元経済企画庁長官、作家)
- 竹村を含めた3人で三ピン(一)と渾名され、共著書を出したり合同で講演会を催したりする。
- 石原慎太郎(元東京都知事、作家)
- シャイで毒舌な海の男として著書に度々紹介されている人物。
- 盛田昭夫(ソニー創業者の一人)
- 生前テニス、スキーを共に楽しみ、家族ぐるみの付き合いをしており親友と呼んでいた仲。
- 渡邉恒雄(読売新聞グループ本社会長)
- 年齢が近いことから時に意見交換をすることがある。本人の弁によると、その場合大抵は、中曽根が仲介しているとされる。
- 大前研一(経営コンサルタント)
- 大前の著書の中で、スキューバダイビングを共にしている写真が紹介されている。
家族
竹村家の父祖は兵庫県朝来市生野町黒川の出身[17]。今上天皇がまだ皇太子だった頃から既にキムチ派だったという事実の ...
tokumei10.blogspot.com/2019/03/confirmation.html
2019/03/31 - 【ソウル共同】韓国外務省は31日、1988年までの外交文書を公開した。88年9月に村田良平外務事務次官(故人、肩書 ... マスコミを相手にした証言やドキュメンタリーなどを中心にしたテレビ出演、自身の体験を語る講演活動(竹村健一・竹村 ...
、、、(爆wwwwwww
5 件のコメント:
だいたいやねぇ
こういうのを
Walking disxxxxxxx
いうんや
竹村健一が最初に「アラビア語研究家」小池百合子をTV番組アシスタントとして起用した
竹村健一・小池百合子対談 煙の記憶 01(竹村健一資料館)
https://www.youtube.com/watch?v=WedhhPmupyA
松本人志の「エビアン汲んできて~」とか
アムステルダムで大麻吸いまくってきた中島らもとか
関西系っておフランス方面に闇深いの?
安治川口の旧居留地跡に
立派な教会あるでぇ
そりゃあもう、某歌劇のアメリカ舞台の某人気作品で
数の数え方がアンドゥトワですから・・・w
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