大阪芸術大学の純丘曜彰教授「京アニは偽の夢を売って弱者や敗者を搾取…麻薬の売人以下」 放火事件めぐるコラムで
7月24日(水)19時46分 BIGLOBEニュース編集部
放火事件に見舞われた京都アニメーションを「麻薬の売人以下」などと表現したコラム「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」に批判の声が相次いでいる。ビジネスメディア「INSIGHT NOW!」に掲載されたこのコラムは24日、非公開にされた。取材に対して運営会社は、内容に「一部不適切な発言があった」とコメントした。
このコラムは、大阪芸術大学の純丘曜彰教授が「INSIGHT NOW!」に寄稿し、21日に掲載されたもの。1970年代からのアニメ業界の歩みやトレンドを解説し、京都アニメーションの前身が「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」に携わったことが、同社の後の方向性を決定づけたとしている。その後の京都アニメーションの作品については、「一貫して主力作品は学園物」で、「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」など、「似たり寄ったりの繰り返し」とのこと。また、学園物は「中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすが」だと考察している。
そして、こうした人たちをファンにすると、「いつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなもの」とのこと。最後には、京都アニメーションを「偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身も中毒に染まるというのは、麻薬の売人以下だ」と断じた。
このコラムは24日に非公開になった。運営会社は取材に対し、問い合わせが複数寄せられたことから利用規約に照らし合わせて内容を確認したところ、「一部不適切な発言があった」とコメント。また、純丘教授へ危害が加わることも懸念されたことも非公開にした理由の一つとした。「INSIGHT NOW!」では、寄稿された記事の確認は掲載後に行っているという。
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0724/blnews_190724_2479254717.html
純丘 曜彰(すみおか てるあき、Teruaki Georges Sumioka 1962年 - )は、日本の哲学者、メディア文化論・映画学研究者。
1962年東京生まれ。版画家稲田年行の息子。1980年に成城学園高等学校を卒業したのち、ドイツハイデルベルク大学へ留学。 1987年に東京大学文学部を卒業、1990年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程を修了。
玉川大学非常勤講師、九州東海大学専任講師、東海大学准教授、大阪芸術大学客員教授、ヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(マインツ大学)客員教授などを経て、現在は大阪芸術大学芸術学部教授。
2006年、東京芸術大学より「博士(美術)」の学位を授与される。
受賞
作品
小説
- 『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』(三交社, 2009, ISBN 9784879195968)
- 『夢見る幽霊』(瓦塔院出版, 2014, ASIN: B00IPPHWCQ)
- 『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』(瓦塔院出版, 2014, 上:ASIN B00OY64HI2, 下:ASIN B00OY64HC8)
- 『アマテラスの黄金:隣のおねえさんはローカルすっぱい!』(瓦塔院出版, 2017, ASIN: B06XNQPG1X)
主要雑誌記事
で、
戦前に設立された平野英語塾を前身に浪速短期大学(現:大阪芸術大学短期大学部)として再編、1964年(昭和39年)に浪速芸術大学として設置される。設置者は学校法人塚本学院。
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site://tokumei10.blogspot.com 松前重義
site://tokumei10.blogspot.com 塚本 森友
、、、(爆wwwww
こぴぺ
2019.07.21
ライフ・ソーシャル
終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌
純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
これらだけでなく、マンガを原作とした『聲の形』もまた、終わらない中高時代を終わらせようと、もがき苦しむ物語。二人は、終わりなき日常か、さもなくば死か、という極端な選択肢しか見いだせない。大人になる、昨日と明日を切り離して客観視する、という結末に辿り着くまで、紆余曲折、七転八倒で、のたうちまわる。新海の『秒速5センチメートル』の二人が、こともなげに過去と距離を作って大人になっていくのとは対照的だ。
それもこれも、京アニという製作会社自体が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだったからだろう。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物、子供以上大人未満のジュブナイルが当たったのか。なぜそれが日本アニメの主流となってしまったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより「学園祭」体験を求めている。だから熱烈なファンになったのだ。自分自身のアイデンティティ無き「顔無し」は、あたかも自分自身で作ったかのように作品群に心酔し、批判を狂ったように蹴散らす。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、いつか一線を越えて、作り手の領域、作り手の立場にまで、かってに自称で踏み込んでいく。最高に熱烈なファンの自分こそ「学園祭」の一番の主役であるはずだ、と。だが、それを拒否された、否定されたと思い込めば、彼らの凶暴なもう一面が歯を剥いて襲いかかって、破壊に転じる。
(クリント・イーストウッド『恐怖のメロディ』(70)、スティーブン・キング『ミザリー』(87)、ピーター・エイブラハムズ『ザ・ファン』(95)などに描かれてきたように、彼らは関係の距離感が壊れている。いや、自分の手もとにあり、耳元でささやき、リビングに現れる出版やラジオ、テレビというマスメディア、そして、タレントやスター本人が、その距離感の無さ、気さくな親しさ、という幻想をウリにしてきた。自分が接している、というだけで、彼らに、自分だけが接している自分は特別な存在だ、と錯覚させて商売してきた。)
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。彼らは入れてもらえるリアル中高生のようなLineも無く、数十万もの言葉をいまだにtwitterで虚空に叫ぶ。こういう連中に残された最後の希望は、自分もどこかすでにある永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした既製品の夢を見させられ過ぎた。それで、自分で自分自身の夢をゼロから積み上げて創れない。一発逆転も、また他人の出来あいの夢。だから、かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢(絶対に誰も入れない隔絶された世界)を売って弱者や敗者を時間的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。こんなビジネスモデルは、精神的サブプライムローンのようなもので、いつか破綻する。そして、実際、その崩壊が始まった。リアル中高生が食いつかず、市場が高齢化し縮小してきている。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学 などがある。)
https://www.insightnow.jp/article/10539
6 件のコメント:
> その後の京都アニメーションの作品については、「一貫して主力作品は学園物」で、「らき☆すた」や
> 「涼宮ハルヒの憂鬱」など、「似たり寄ったりの繰り返し」とのこと。また、学園物は「中高の共通体験
> 以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つ
> ことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすが」だと考察している。
大学教授()
考察()
良い年したオッサンがこんなその辺の学生でも知ってるようなことを今更になってドヤ顔で識者面wwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アニメだろうが絵画だろうが芸術全般は負け犬の妄想の産物でしょっていうwwwwwwwwwwwwww
こういうのを目糞鼻糞の精神勝利宣言というwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
電気代にうる星やつら@東京ガス@安西 藁
でもやはり”売人”でしょう
「朝まで生テレビ」の仕掛け人なら
ファンだった「知識人、リベラリスト」面したオッサンオバサンの
現状と精神状態を分析してほしいなー
そしてご自身の役割もね。
>でもやはり”売人”でしょう
その売人を退治したり批判することで
生計を立てている奴がいる現実
互いに裏表なのであってどちらが欠けても
存在できない言わばマッチとポンプw
吉本を批判することで株を上げたい加藤浩次
(吉本所属&元相方は未成年淫行で逮捕引退w)
みたいなもんwカトーwwwwwwwwwwwwwwww
あ~この人、死体は血を流さないや悪魔は涙を流さないの作者か…
カトリックマフィアについてなかなかに面白い描写が多かった思い出がw
>聖地巡礼
『聖地巡礼』って、元々『山伏』の仕事ですよねw
オタク産業=『山伏』の宗教ビジネスで正解?
>『聖地巡礼』って、元々『山伏』の仕事ですよねw
>オタク産業=『山伏』の宗教ビジネスで正解?
別にそれは本質じゃないw
山伏に限らずどこの宗教も同じことをやっている
結局の所、金蔓を自分の方へ右往左往させるビジネス
=自分は移動せずに上手い話に他人を乗せて自分の方へ向かわせる
=花の香りで虫を誘って種を運ばせる
=自らは動けない植物の生存戦略
=繊維派w
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