2018年10月31日水曜日

本田、森本、吉田@軍艦島@クロ教

●遊廓<軍艦島>

軍艦島には、大正時代の頃から遊廓があった。遊廓といっても廓で囲まれた一般的な遊廓とは違い、表向きは料亭のようなもので、朝まで客相手をする遊女がいる店だが、元島民はみな遊廓とよんでいた。
昭和に入ると、島の南西部にできた木造商店街の一角に店を構え、戦後もしばらく営業を続けていた。遊廓は、本田、森本、そして吉田の3軒。本田は、県議でもあった本田伊勢松氏が経営する料亭で、戦前の長崎新聞に当時の様子が記されている。「県会議員本田伊勢松氏の経営する料亭本田屋が多情多彩の情緒をもって炭粉にまみれた坑夫たちの荒くれた心身を愛撫してくれるのも炭坑端島のもつ柔らかな一断面である。」軍艦島にとって遊廓がとても重要な存在だったことがうかがえる記事だろう。

吉田は、実は朝鮮人が経営する店で、従業員もお客も朝鮮人だった。吉田を知る元島民の話によると、働いていたお姐さんと島民はとても仲がよく、また朝鮮の子供たちも、日本人と同じ軍艦島の学校へ通っていたという。

逆に、戦後故郷へ帰ることができなかった朝鮮人もいた。戦前から軍艦島へ渡って仕事をしていたため、戦後故郷へ帰ろうとしたものの、嫌日の同胞から締め出され、結局軍艦島へ戻って来て、閉山まで飲食店を営んでいた。

強制連行という言葉とともに語られることの多い徴用工問題。2017年に韓国で公開された映画『軍艦島』では、戦中の軍艦島事情に関して、いささかフィクションが過ぎた表現をされていたようだが、一日も早く国際問題の解決を進めてもらいたいものだと思う。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201806_post_17262/





2018年10月31日水曜日
だけれど韓国人は元大日本帝国国民 同じ沈んだ敗戦国の負け犬さ♪
http://tokumei10.blogspot.com/2018/10/blog-post_49.html





キリシタン専用の霊安所<軍艦島>
 軍艦島になかったものの一つ、それが火葬場だ。土地が狭い軍艦島では建物が密集しているため、葬煙が島内に回るのを避けて、火葬場は軍艦島から北方700mの中ノ島にあった。ただし霊安所は島内にあり、おもに病院で亡くなった方々を安置したのは、病院の裏と護岸に囲まれたひっそりとした場所だった。子供時代を島で過ごした元島民からは、近づいてはいけない場所といわれていたと聞く。
 閉山後に軍艦島の特集を組んだ西日本新聞の記事に、この場所を撮影した写真が掲載された。そこには、通常の霊安所とは別に、大きな十字形の彫り抜きがある構造物が見てとれる。十字形といえば思い当たるのはキリスト教。はたしてこの霊安所は、キリスト教信者のためのものだったのだろうか。
 県民の20人に1人がカトリック信者といわれる長崎県。当然軍艦島にもカトリック信者はいた。ただし島内に教会堂はなく、中心的な信者の部屋に集まってお祈りを捧げていたようだ。くだんの十字マークをくり抜いた霊安所が、カトリック信者専用のものかどうかは、今のところ分かっていない。しかし、カトリックが盛んな長崎ならではのエピソードと言えるだろう。
 ちなみに池島にも教会堂はなかったが、対岸の教会が運営する「愛児園」とよばれた保育園があり、日曜のミサなどはそこで行われていた。また、山田洋次監督の名作『家族』は、長崎県の伊王島にあった伊王島炭鉱を舞台にした映画で、冒頭のシーンに白亜の馬込教会が映し出されていた。潜伏キリシタンの歴史とともに、長崎とカトリックは切っても切れない深い縁で結ばれていることを、あらためて実感する。


、、、(爆wwwwwwww

6 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

はーい先生、三人とも同級生に居まーすwww
つーか、どこでも聞く苗字ニダw

匿名 さんのコメント...

サッカー日本代表かとおもいますた(爆)

匿名 さんのコメント...

> 本田、森本、そして吉田

ぜ、ぜんいん左右対称だー!!(慌)

匿名 さんのコメント...

フランス、特定地域での腕の先天異常発生で全国規模の調査開始
2018年11月1日 14時27分(最終更新 11月1日 14時27分)
https://mainichi.jp/articles/20181101/reu/00m/030/011000c

匿名 さんのコメント...

進撃の巨人 実写版

撮影 軍艦島

匿名 さんのコメント...

本田信哉

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