上川陽子法相の覚悟と決断 「オウム報復」を警戒し首相並みの“特例” 「生涯SP警護」適用へ
オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)と元幹部の計7人に6日、死刑が執行されたが、松本死刑囚らの死刑執行に判を押したのは上川陽子法相(65)だ。
執行後の午後に記者会見し
「鏡を磨いて、磨いて、磨いて、磨ききって、慎重にも慎重を重ねた」
と緊張気味に話した。
公安調査庁は同日、オウム真理教の後継団体に対する調査、監視体制を強化するため特別調査本部を設置。信者らによる報復措置を懸念し、後継団体の関連施設へ一斉に立ち入り検査した。
法曹関係者は
「麻原の刑執行で、最も懸念されているのは、上川氏が信者らからの報復対象となって、身の危険が及ぶことです。刑執行にあたっては今後の身の安全を保障しなくてはいけなかった」
と指摘する。
オウム事件に関連しては1995年、国松孝次警察庁長官(当時)が何者かに狙撃された事件が起きた。
この日の会見には2人のSP(警護官)が伴った。通常、大臣にはSPが警護し、自宅も24時間も警備される。
「大臣を退任した後は通常、SPは外れますが、上川氏は生涯、要警護対象者となって、退任後もSPが付くことになるでしょう。一生SPが付くのは首相経験者だけです。本人からの申し出があれば、警護を断れるが、不測の事態が起きれば警察の責任問題になる。少なくとも数年は警護を外すのは難しいでしょう」(永田町関係者)
また1日で7人執行は98年に法務省が死刑執行の事実と人数の公表を始めて以降、最多となった。残る元幹部6人の執行時期が今後の焦点となる。
「9月の自民党総裁選の前後で内閣改造があるので、それまでに6人の執行も上川氏に委ねたいのが安倍首相の本音でしょう。大役を担った上川氏は改造で退任になるでしょうが、果たして気が休まる時が来るのか」(同関係者)。
上川氏は覚悟を持って勇気ある決断をしたようだ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/1056664/
1963年(昭和38年)12月9日、小和田恆・優美子夫妻の第1子(長女)として東京都港区虎ノ門の虎の門病院にて誕生。父の恆は外務官で、母の優美子は結婚前、エールフランス極東支配人秘書官を務めていた。出生時は一家で世田谷区桜上水の外務省官舎に住んでいた[1]。
父の仕事の関係で1歳数か月からソビエト連邦・スイス連邦で過ごす。2歳の終わりごろからソ連のモスクワ市立ジェツキサートNo.1127保育園に通園した。当初は慣れない言語や集団生活で泣きだすこともあったが、ロシア語もすぐに上達し、妹たちにロシア語で話し掛けたり、寝言もロシア語で言うほどだった[2]。
1968年5月から米国のニューヨーク市ブロンクス区リバーデイルのヘンリーハドソン・パークウェイで過ごした。この頃から区内のコンドミニアムに家族と引っ越し、同年9月から1年間、ニューヨーク市立第81キンダガーデンに通園する。英語を話さない日々が4か月続いたが、“May I go to the bathroom ? ”「お手洗いに行ってもよろしいですか。」と初めて話したという[2]。1969年9月、市立第81パブリックスクール(P.S. 81-Robert J. Christen School)に入学。この頃からピアノを習い始め、このニューヨーク滞在期間中は補習授業校に通っていた[3]。
1971年(昭和46年)3月、一家は日本に帰国。目黒区立原町小学校第1学年に編入し、5月に新宿区立富久小学校第2学年に編入する。[4]1972年(昭和47年)4月、田園調布雙葉学園・田園調布雙葉小学校に編入し卒業する。その後、田園調布雙葉中学校に進学し、ソフトボール部を結成し活動した。[5]同高校に進学。
、、、(爆wwwwwwww
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10 件のコメント:
>98年に法務省が死刑執行の事実と人数の公表を始めて
別に公表せず粛々と執行すればいいだけのはずなのに
平成になってからわざわざ公表するように?
喋っちゃいけないこと、喋らせないようにしたいんですかね。
危険になったら、SPがぬっ頃助。
イエズス会のオームへの口封じ、って事なんでしょうな、多分。
官僚、政治家と影響力絶大ですな。(笑)
結局はそういう連中の間で起こってるゴタゴタなんでしょうけど
面白い構図になってますねw
鏡って、既出の、
隠れ切支丹鏡!??!
オウム死刑囚「7人執行」で法務省は「何を隠した」のか
http://blogos.com/article/309390/
http://blogos.com/article/309390/?p=2
門田隆将
2018年07月06日 19:10
「慎重にも慎重な検討を重ねたうえで(死刑を)命令した」。7月6日午後0時45分、法務省で記者会見した上川陽子法相は、麻原彰晃をはじめとする7人のオウム死刑囚の刑を執行したことに対して、そう述べた。
私にとっては、驚くべきコメントだった。それは、上川法相が「慎重にも慎重な検討を重ねた」とは、とても思えなかったからだ。7人の中には「事実認定がまだ決着がついていない」死刑囚もいたからである。
“アーナンダ”こと井上嘉浩死刑囚(48)である。私は、会見を聞きながら、「あなたは、ただ法務当局が上げてきた書類に判を捺(お)しただけでしょ?」と呟くしかなかった。実に無責任極まりない法務大臣である。
記者会見の冒頭、上川法相は7人の氏名を読み上げ、13におよぶ事件の概要を説明し、「過去に例を見ない、今後二度と起きてはならない凶悪な事件は社会を震撼させ、世界にも衝撃を与えた」「教団は、とめどない暴走を進め、犯行に及んだ」「被害者の苦しみは想像を絶するものがある」と述べた。
おっしゃるとおりである。しかし、その“先”はどうなのか。上川法相は、本当に一人一人に対して「慎重にも慎重な検討を重ねた」というのか。ならば、なぜ「7人」なのか。
井上嘉浩死刑囚は、オウム事件の計「13人」の死刑確定者の中で、一審で「無期懲役」、二審で「死刑」と、唯一、判断が分かれた者である。4年3か月に及んだ一審で、井上弘通裁判長は、彼に「無期懲役」を言い渡している。
井上が、地下鉄サリン事件では「連絡調整役」、あるいは「後方支援」にとどまり、假谷さん拉致事件では「逮捕監禁」にとどまることが一審では認定されていた。
しかし、二審では、新たな証拠も出ないまま、地下鉄サリン事件で井上は「総合調整役」であり、假谷さん拉致事件では「逮捕監禁致死」にあたるとして一審判決を覆し、死刑判決を下したのだ。
一審と二審、果たしてどちらが正しいのか。それはジャーナリズムとしても実に興味深い問題である。私は、一審と二審の判決文を読み比べてみたが、説得力は圧倒的に一審がまさっていた。
最高裁で上告棄却により井上の死刑が確定したあと登場したのが刑事弁護で著名な伊達俊二弁護士(東京第二弁護士会所属)である。伊達弁護士は、裁判員裁判第1号事件を手がけたことでも知られている。
一審と二審の判決文を読み込んだ伊達弁護士は、すぐに二審以降の事実認定がおかしいことに気づいている。そして、井上の弁護人に選任されて、「確定判決の事実認定はおかしい」と再審請求をおこなったのである。
なんということはない。伊達弁護士が気づいたのは、1995年3月1日が「大雪」だったことだ。前日、假谷さんを拉致したオウムは、その日のうちに假谷さんを上九一色村のサティアンに運び込むことに成功する。
井上は、このとき假谷さんを拉致した車に置いてきぼりを食い、遅れて上九一色村に帰ったが、すぐ東京にとって返した。しかし、そこで雪が降り始めるのだ。
検察側の事件の立証は、假谷さんにチオペンタールを打ちつづけた中川智正死刑囚(55)の証言に基づいている。東京にいた井上は、中川から電話を受け、ある信者を上九一色村に連れてくるよう命令されている。
問題は、その電話の時間だ。中川は、「井上に電話をかけにいったのは午前11時前で、その目を離した15分ほどの間に假谷さんが死亡していた」と証言した。假谷さんの偶然の死を強調するために、死亡時間をそう語ったのだ。
しかし、井上の証言は異なる。「中川さんからの電話は午前8時台のもので、だから信者を呼び出して合流し、午後に上九一色村に戻ることができた。ものすごい渋滞だったので中央高速を使わず、東名高速を使って行った」と証言したのだ。もし、午前11時前に電話を受けていたら、とても大雪の中、上九一色村に戻れるはずがなかった。
検察も弁護人も、あの日が「大雪」であり、中央高速道も渋滞で車がほとんど動かなかったことを「見逃して」おり、井上証言のほうが正しかったことが「説得力を持つ可能性」があった。
假谷さん事件は、一貫して午前11時前後の「死亡」であり、それが「中川が井上に電話した時間」をもとに弾き出されていた。しかし、事実については井上の側に分があった。
井上は、サティアンに到着した際、中川から「どうせ(假谷さんを)ポアさせることになると思っていたので、この際、殺害できる薬物の効果を確かめてみようと思った。めったにできることではないので、薬物を打ったら假谷さんが急に光り出して亡くなってしまった」と聞いたことを証言する。一方、中川はこの井上証言を真っ向から否定する。
假谷さんの死は、果たして「逮捕監禁致死」なのか、それとも「殺人」によるものなのか。これは、事件の真相解明のみならず、井上の量刑に大きく影響する問題であり、伊達弁護士は、事実関係を正面から争う再審請求を、当の井上を説得してまで今年3月14日におこなったのである。
この異例の再審請求は、東京高裁を揺り動かした。5月8日には、早くも伊達弁護士が東京高裁に呼び出され、実際に進行協議が始まったのだ。そして、今週の7月3日には二度目の協議がおこなわれた。
二度目の協議では、「ならば、中川と井上との間の交信記録(電話の受発信記録)を今月中に検察に提出させましょう」ということが決まったのである。
この交信記録が証拠提出されれば、これまで中川証言に拠って立っていた假谷さんの「逮捕監禁致死」が、当の中川の「殺人罪」へと変わっていく可能性も出てきたのだ。だが、それが検察にとって“不都合なもの”であることは言うまでもない。
上川法相によって、井上も中川も両方、死刑が執行されるのは、その高裁での協議のわずか「3日後」のことである。
伊達弁護士はこう語る。「今月公開される交信記録とは、假谷さん事件における中川元信者の証言を覆す重要な証拠でした。しかし、その前にいきなり二人の死刑を同時に執行してしまったために、假谷さん事件の真相が解明されなくなりました」
さらにこの判断の問題点をこう指摘した。「再審請求中の死刑確定者に対する死刑執行は、刑の確定者に対する再審請求権を奪うものであり、また本来、死刑にされなくともよい者までも国家が死に至らせることにもなります。今回の死刑執行は、国際的にも非難は免れません。私は、井上嘉浩氏のご遺族と協議し、今後も再審請求をつづける所存です」
伊達弁護士の「本来、死刑にされなくともよい者までも国家が死に至らせる」という意味をどう考えるべきだろうか。刑事裁判とは、細かな事実認定が「命」であることは言うまでもない。これが蔑(ないがし)ろにされれば、司法への「国民の信頼」が成り立つはずがないからだ。
たしかに井上は、オウム犯罪に数多くかかわっていた。しかし、その一方で「殺人」をことごとく「避けて」いたことが一審で明らかになっている。なぜか井上は、直接、手を下す犯罪からは「逃げている」ことを伊達弁護士は指摘する。
オウム犯罪の死刑執行は当然であろうと思う。だが、事実認定に関する主張がまだつづいているその時に、いや、検察にとって極めて不都合な新証拠が開示されるその時に、有無を言わせず「刑を執行する」のは、果たして法治国家として許されることなのだろうか。
先の会見で上川法相は、記者から井上の再審請求中での執行を問われ、一瞬、戸惑った上でこう答えている。「個々の死刑執行の判断に関わることなので、お答えについては差し控えます」。
さらに上川法相は、こう述べている。「私としては、鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて、という心構えで、慎重にも慎重な検討を重ねたうえで死刑執行命令を発しました。判断する上では、さまざまな時代の中のことも、そして、これからのことも、ともに考えながら、慎重の上に慎重に、重ねて申し上げますが、鏡を磨いて、磨いて、磨いて磨き切る気持ちで、判断いたしました」と。
本当に上川法相が「鏡を磨いて、磨いて、磨いて磨き切る気持ち」で死刑執行の判を捺(お)したのなら、この人は法務当局の掌(てのひら)で、ただ“踊るだけの人”なのだろう。
死刑執行が判決から12年もされない法治国家にあるまじき非人道国家日本
http://blogos.com/article/309578/
かさこ
2018年07月07日 22:02
死刑執行は判決確定から半年以内に行われるのが法律だがまるで守られていない非合法国家、違法国家が日本の現状だ。
死刑制度の賛否はともかく現行法では死刑は判決確定から半年以内に行わねばならないというのが法律だ。
にもかかわらず法律を無視され続けたまま死刑の執行がなされている。
これこそが大問題にもかかわらず法律の専門家集団であるはずの日弁連までもがそうしたことには言及せず国際的な潮流だから死刑を廃止しろなどというまるで幼稚な意見しか出せない法律論で死刑を語れない日本の法治国家としてのレベルの低さを表している。
死刑制度がいいか悪いかは別問題として現在の日本の法律は死刑制度がありかつ死刑は半年以内に執行しなければならないというのが法律であり法治国家であればこの法律を守らなければならない。
にもかかわらず死刑執行が半年以内にされることはほとんどない。
オウム真理教の麻原彰晃ら7人の死刑が執行されたことを非人道だのと騒いでいるエセ人権派もいるが死刑判決確定から12年余りの執行されずに死刑を放置してきた現状は法治国家としての体をなしていない法治国家としてあるまじき恐ろしい実態だ。
法律は無視されその時々の政権や法務大臣の心情や気分や政治判断によって恣意的に死刑が執行されたり執行されなかったりする現状こそ非人道であり法治国家として絶対にあってはならないことだ。
たとえばエセ人権派弁護士が法務大臣になったりすると自分じゃ死刑執行の命令をしたくないから死刑執行がされないまま死刑囚が放置されていく。
結果、次の法務大臣にしわ寄せがくる。誰かが決断しなければならない。死刑執行をした法務大臣は法律にのっとった正しい行為をしているにもかかわらず批難され法律を無視した違法な法務大臣が死刑執行しないと賞賛されるというとんでもない状況が起きている。
死刑執行が非人道なのだろうか?非人道なのは死刑判決確定から半年以内に執行するのが法律なのに政治判断によって何年も放置され生きながらにして拘束され続けていることの方がよっぽど非人道ではないか。
法律が実態にあっていないなら死刑執行は判決確定の半年以内という法律を変えればいいのに法律を変えないまま違法行為が続けられている。
政治判断によって死刑執行がされなかったりされたり時期を決められてしまう恐ろしさ。これこそが権力の横暴であり日弁連あたりはそこを批判すべきなのに順法意識がまるでないのか半年以内に死刑執行という法律は無視し国際潮流で死刑を批判する愚かさ。
死刑執行が政治判断によって恣意的に行われてはならない。判決確定から半年なら半年で自動的に死刑執行される仕組みを作らないと死刑制度が政治家に悪用されてしまう。
死刑制度の是非や判決確定から半年以内という期限がよいのかは議論の余地はあるが現行法をまったく守らず死刑執行が違法な運用で行われていることを改善しないことにはこの国の法律は守らなくてもいいでたらめなものに過ぎなくなってしまう。また政治がいいように死刑執行を利用しかねない。
法律が守られているなら11年前に死刑執行されていたはずの人が今になってようやく死刑が執行されたというこの違法で恣意的な運用こそ非人道であり、法治国家にあるまじき行為だと思う。
北半球死滅未遂罪
アタマオカシイなんてもんじゃねぇ
後方支援だろうが残りもサクッと執行しちゃってどうぞ
生涯SP付くのなら尚のこと
これまでの死刑確定未執行分を全て執行しちゃえば効率的
懐かしの
ああ言えば上祐
も殺害現場に居たのに
何故無罪放免?
って話も思い出してあげて下さいw
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