2018年7月7日土曜日

豪雨をストップできない今上天皇、静岡県への私的旅行をストップ

両陛下、静岡県への私的旅行中止…西日本豪雨で
2018年07月07日

西日本を中心にした豪雨被害を受け、宮内庁は7日、天皇、皇后両陛下が9~10日に予定していた静岡県訪問を取りやめられると発表した。今回は私的な旅行で、長年交流のある肢体不自由児療護施設「ねむの木学園」(掛川市)などを訪ねられる予定だった。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180707-OYT1T50050.html


深層レポート「天皇陛下が脳貧血で倒れた夜」に起きたこと
学習院の同窓会の後に…

去る7月2日、「天皇陛下が体調不良を訴え、医師の診察を受けた結果、脳貧血と診断された」との一報が駆け巡った。生前退位を目前に控えての心配なニュースだが、その後、詳細は報じられていない。いったい何が起きていたのか?
猛暑の日に行われた「同窓会」



7月1日、日曜日。東京都心で最高気温が32度に達したこの日、天皇の姿は母校・学習院初等科(新宿区若葉)にあった。14時から開催される同窓会に出席するためである。格式あるその同窓会は「初等科桜友会」という。

正堂(講堂)で総会が行われたあと、約500人の参加者は食堂へ移り、会食となった。昨年まで桜友会総会議長を務め、天皇の学友としても知られる明石元紹氏が、当日の天皇の様子をこう語る。

「みなさんノータイ姿の中、陛下は背広に革靴で来られまして、大変に暑い日でしたから、大丈夫かなと少し心配でした。私は陛下と同学年ですが、この歳になりますと、やはり暑さを感じにくくなりますしね。ただ、今年は天皇陛下として最後の桜友会ということもありましたから、正装されたのかもしれません」

天皇は、学習院の内藤政武院長、常磐会(学習院女子中・高等科同窓会)の近衞甯子(このえ・やすこ)会長、桜友会の東園基政会長らとテーブルにつき、談笑しつつ旧交を温めていた。だが、食事にはあまり手を付けなかったという。

宮内記者が言う。

「このところの急な猛暑続きで、ご体調が万全でなかったようです。加えて、来年に迫った退位、年々減っていく旧友…そうしたことを陛下がお考えだったどうかはわかりませんが、この日はややお酒のピッチが早く、いつもより酒量も多いご様子だった」

天皇にとって学習院、とりわけ初等科の級友たちは、戦時中、ともに疎開し空腹に耐えたという特別な思いがある。どうしても、会っておきたい仲間たちだった。

東園桜友会会長と内藤学習院院長の挨拶が終わると、歓談になった。天皇はテーブルを離れて、同級の仲間、前出の明石氏ほか3人に歩み寄った。

「今年は(同級生が)4人来ましたね」

明石氏が言うと、天皇は顔をほころばせながら応じた。

「もう最近は、テニスもしんどくなってね。外で運動できないから、室内で卓球をやっているんだよ」

1時間半ほどで帰途についた天皇の笑顔は、やや赤らんでいた。ゆっくりではあったが、足取りは矍鑠たる、しっかりとしたものだった。級友たちはその後ろ姿を叩頭して見送った。

貧血と栄養失調

日ごろ、侍医たちは24時間体制で天皇の健康管理にあたっている。その侍医から天皇は、つねづねこんな注意を受けていた。

「夜のお小水のときは、急がずゆっくり起きてください。ゆっくり起きていただかないと、頭に血流が行かず、転倒してお怪我をする心配がございますから」――。

桜友会から帰ったその夜の未明、7月2日午前4時ごろ。天皇は目を覚まし、トイレに立とうとした。その刹那、目の前が真っ暗になり、倒れ込んでしまった。

すぐに侍医が駆けつけたものの、立ち上がることができず、

「皇后を、美智子を…」

とかろうじて言葉を発した。侍医は女嬬(にょじゅ)に「皇后陛下をお呼びしてください」と伝える。急変は直ちに侍医長と宮内庁病院にも通報された。

その場で応急処置が行われた。脈拍と瞳孔、呼吸状態を観察し血圧を測る。5分と経たないうちに天皇の寝室に駆け付けた美智子さまは、「陛下!陛下!」と懸命に声をかけるとともに、侍医に尋ねて状況把握につとめた。

「宮内庁病院へ行くのですか?」

「いま連絡しています。血圧、呼吸などはしっかりしていますので、このまま処置させていただきます。ご心配には及びません」

侍医は、玉体を動かすのは危険と判断したのかもしれない。

その後、天皇の容体が落ち着いてから診断結果の報告を受けた美智子さまは、ショックを隠しきれない様子だったという。

脱水性脳虚血。そして栄養失調――。

「一時は脳梗塞も疑われましたが、倒れられたのは貧血のためだった。ご高齢で最近はお食事の量も減り、ミネラルや鉄分を十分に摂取できていなかったのが原因だったようです。その後、しばらくは吐き気も続いたと聞きます」(宮内庁職員)

2日の高円宮絢子女王と守谷慧さんの婚約内定報告は欠席、3日以降に予定されていた昼食会などの公務も当面中止・延期となった。4日午前の時点でも、御所での静養が続いている(4日午後から、一部公務復帰と報じられた)。

一方で首相官邸には、早い段階で「重篤というわけではないが、天皇の心臓は加齢にともなって弱っていること」、そして「軽い脳梗塞が起こった疑いが拭えないこと」が伝えられた。それを受けて、政府は宮内庁に対し、必要以上の情報開示を慎むよう指示しているという。

事実、詳しい容体に関しては、宮内庁の発表にもとづく「2日午前4時ごろに急な発汗があったため、侍医が診察して脳貧血との診断を下した」「めまいと吐き気、腹痛があるが、熱はない」ということ以外、ほとんど報じられていない。

ご静養は長引かせたくない

「陛下のご症状は、宮内庁の発表よりも重いのではないか」と証言するのは、宮内庁から委嘱される医師だ。

「宮内庁も懸念しているように、心配なのは脳梗塞、つまり脳にごく小さな血栓が詰まった可能性です。精密検査を行ったうえで、しばらくは安静にしていただく必要があります。高齢者の極小脳血栓は珍しいことではありません。50代や60代の若い方でも発症することがありますから、80代となりますとなおさらです。

陛下には抗血栓薬、ビタミン剤、ミネラルなどが点滴で投与されています。もうひとつ、お歳を考えると注意が必要なのは、寝た状態が長引く場合、脚の筋肉が衰えてしまうおそれです」

天皇が自ら希望した「生前退位」の期日は2019年4月末、まる9カ月後に定められている。ある宮内庁幹部は、こんな心配を口にした。

「いま腐心しているのは、陛下のご静養をあまり長引かせないことです。陛下ご自身がもっとも考え抜かれた『象徴天皇』のあり方とは、『退位するその日まで、国民と向き合う姿を保持することが務めである』というもの。退位されるその日も、車椅子ではなく自らの足で歩かなければならないと、陛下はお考えだからです」

平成の終わりは、時代の区切りであるだけでなく、天皇皇后にとって、人生の大きな転換点となる。その日を万全の体調で心安く迎えていただくためにも、いまはただ、快復を願いたい。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56408?page=3

近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26日 - )は、日本の元皇族三笠宮崇仁親王同妃百合子の第一女子。旧名、甯子内親王近衛忠煇日本赤十字社社長)夫人。お印勲等勲一等[1]学位文学士学習院大学)。
聖心女子学院幼稚園(現在は廃園)、学習院初等科学習院女子中等科同高等科を経て、学習院大学文学部イギリス文学科に入学。
在学中の1966年昭和41年)12月18日、当時の皇后良子(香淳皇后)と現在の皇后美智子が名誉総裁を務めている日本赤十字社職員(現・社長)の細川護煇(後の近衛忠煇)と結婚し、民間人となった[2]。結婚にあたり、皇室経済法により、一時金として2743万5000円が国庫一般会計から支給された[3]。その後、大学を卒業した。
甯子自身は、日本赤十字社副総裁であり、学習院女子部の同窓会常磐会の会長でもある[4][5]。また、1998年(平成10年)には長野オリンピック選手村名誉村長を務めた。

実の弟寬仁親王の妃信子内閣総理大臣経験者の麻生太郎の妹であるが、夫の実兄である細川護熙もまた内閣総理大臣経験者である。また、実の妹である千容子裏千家宗家16世千宗室の妻であるが、一方で夫の妹千明子表千家宗家14世千宗左の妻である。


東園 基敬(ひがしその もとゆき、文政3年10月23日1820年11月28日) - 明治16年(1883年5月24日)は幕末から明治時代にかけての公卿従三位右中将参議安政勤王八十八廷臣の1人。父は東園基貞。母は芝山国豊の娘。娘の1人に水無瀬忠輔の妻である富子。その富子の娘は皇族久邇宮多嘉王妻である静子

略歴

文政5年(1822年)に叙爵。文政10年(1827年)に元服。以降累進して嘉永4年(1851年)には左近衛権少将となった。安政2年(1855年)の孝明天皇の行幸の際には舎人1人、随身2人、小舎人童1人、雑色2人を率いて供奉している。安政5年(1858年)には岩倉具視らとともに安政勤王八十八廷臣として行動し、朝廷に列参して日米修好通商条約への勅許に反対した。孝明天皇の支持も得て、幕府による条約勅許の画策を阻止した。しかしこの事が原因で同年に井伊直弼が発動した安政の大獄の際に連座した。その後明治維新が成り、明治元年(1868年)には従三位参議となった。さらに新政府では参与を務める。明治16年(1883年)薨去、享年64。

子の東園基愛東園家を継ぎ、後に子爵位を授爵された。


2018年7月4日水曜日
小室圭さん@クロ教@繊維派@桜ライン@フォーダム大学ロースクール@イエズス会
http://tokumei10.blogspot.com/2018/07/blog-post_61.html


、、、(爆wwwwwwwww

11 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

利休イエズス会

匿名 さんのコメント...

7月7日 20:23 千葉県で震度5弱の地震が発生しました。

昨日、仮住まい修繕8億5千万を、5億にしたと発表しましたが、
まだ減らせる、いやほとんど必要ないかもしれない。
特別などんぶりを使っての、どんぶり勘定は庶民には想像がつきませんが、
被災地のことを考えてほしいです。

豪雨をストップできず、私的旅行が中止になる天皇。皇室内のゴタゴタ。
天皇とは、祭司とはなんでしょうかね。

匿名 さんのコメント...

千利休 堺
昔書いたかな?

匿名 さんのコメント...

なぜか

「絶対に負けられない戦いがあるぅ」

と連呼しつつ、

たいがい負けている

某ナレーターと某チームとを

思い出しました、


クゥーッ!

匿名 さんのコメント...

独り言だけど、

誰か嫌がれよ、抗議しろよって話だよな
ターゲットにされてる本人が最も嫌がっているのに

働き方改革というのは割と誰でも思いつくのだけど、
国内にじゅうぶんな人モノカネが無いから既存のシステムの「間引き」方向に行かざるを得ず、
恨み買いたくないから適当なイケニエ人物に押し付けてやらせて逃げたいよう

って外国人技能研修生問題の精神構造そのままだよな
過酷な負担は逃げ場のない、立場の弱い奴に押し付けたいって

あくまでも独り言ね

wlady7 さんのコメント...

栄養失調?
解せませんね。

匿名 さんのコメント...

> 平成の終わりは、時代の区切りであるだけでなく、天皇皇后にとって、人生の大きな転換点となる。その日を万全の体調で心安く迎えていただくためにも、いまはただ、快復を願いたい。

の後の、gendaiで草wwwwwwwwwwwww

匿名 さんのコメント...

日本酒「獺祭」の蔵が浸水被害 山口の旭酒造、製造を停止
共同通信社
2018/07/07 18:32

 海外でも人気の日本酒「獺祭」を造る旭酒造(山口県岩国市)は7日、豪雨の影響で蔵の一部が浸水するなどの被害を受けたため、獺祭の製造を停止した。復旧作業を急いでいるが、今のところ復旧のめどは立っていないという。

 旭酒造によると、岩国市にある蔵の近くで土砂崩れが発生し、2棟ある蔵のうち1棟に、土砂でせき止められてたまった水が流れ込んだ。また2棟とも大雨の影響で停電しており、冷蔵設備なども動かせないことから、獺祭の製造を全て停止することにした。

匿名 さんのコメント...

胃がん→骨髄転移→貧血

匿名 さんのコメント...

なんだかんだ静岡行ったらしいですね。
キモいmrs.oakley情報ですがw

匿名 さんのコメント...

申し訳ありません。列外派情報でした。
oakleyよりはキモくないのですが、
女特有の(ry