2018年3月5日月曜日

三木駅を含む計3棟延べ約630平方メートルが全焼

 4日午後6時ごろ、兵庫県三木市末広1丁目の神戸電鉄粟生(あお)線の三木駅近くにある木造2階建て民家付近から火が出ている、と119番通報があった。市消防本部や県警によると、北隣にある三木駅平屋建て駅舎と、南隣2階建て民家にも延焼駅舎を含む計3棟延べ約630平方メートルが全焼した。火元近くの民家に住む60代男性と連絡が取れず、安否を確認している。

神戸電鉄によると、三木駅の駅舎が炎上する前後に、上り電車が駅ホームへ到着。乗客11人全員を降ろした後、電車は線路の側線に入って避難したという。

三木駅は無人駅。火事の影響で志染(しじみ)駅―粟生駅間の運行を見合わせ、バスで代行輸送を行った。市消防本部によると、火災は約1時間45分後に鎮圧された。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180304-00000046-asahi-soci

さあマジ大変だ!(爆wwwwwww








旧玉置家住宅とは

この建物は、文政9年(1826年)に、上州館林藩の財政建て直し策を図るため、切手会所(今の銀行)として建てられたことを始まりとしています。


・延享4年(1747年)

・天明時代(1780年代)
・文政6年(1823年)
・文政9年(1826年) 三木町は、上州館林藩(群馬県)の飛び地領となる(天保13年(1842年まで)
三木の金物が勃興期に入る
三木町中町に切手会所が開設される
現「旧玉置家住宅」に切手会所が移転する


旧玉置家の住宅となったのは、明治8年(1875年)のことです。
玉置氏が所有して以後に建築された離れ座敷、渡り廊下には、当時の匠技(たくみわざ)が施されています。

「旧玉置家住宅」は江戸、明治、大正、昭和、そして平成と三木の時代の変遷をみてきました。
そして、これからも人、まち、時代をつなぐ交流の場所として、人々のふれあいやまちの情報発信をしていく観光施設としての役割を担っていくものです。
http://www2.city.miki.lg.jp/miki.nsf/0/71405886CF455EE0492571B40032D763


















フラグの森ですなあ・・・(爆wwwwwww




やっぱ・・・



ですかねえ・・・(爆wwwwwwwwwwwwwww

7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

黄色と赤を混ぜたらオレンジ色になるな、うん

ご近所 さんのコメント...

そういや昔勤めてた会社の社長さんが住んでたなあw

匿名 さんのコメント...

大阪のオレンジの電車も引退してました。

ご近所 さんのコメント...

社長、ヘリコプターの図面書くの得意なんですよねえ、えへ)^o^(

匿名 さんのコメント...

黄色って何だ?

みな さんのコメント...

敷地半分切り売り
森本
http://www.morimoto-real.co.jp/shinchiku/dc-meguro/map_print.html

匿名 さんのコメント...

えろハンドは古井戸の藻が辛味すぎてて
よく見えないまま来てしまったのであった。