2017年9月12日火曜日

Remember チビチリガマ


チビチリガマ荒らされる 沖縄戦で80人以上自決の洞窟
2017年9月12日17時51分
チビチリガマの入り口に供えられていた千羽鶴は、引きちぎられて地面に散乱していた=12日午後4時48分、沖縄県読谷村、上遠野郷撮影

 12日正午過ぎ、沖縄県読谷村にある洞窟「チビチリガマ」が荒らされている、と警察に通報があった。嘉手納署が現場の状況を調べている。

 読谷村役場によると、ガマ入り口の説明版が引き抜かれ、内部では瓶やつぼが割られて散乱していたという。

 母の両親やきょうだい計5人が犠牲となった遺族会会長の与那覇徳雄さん(63)によると、ガマの入り口の看板が引き抜かれ、小さな骨や生活に使っていたビンなどを集めていたガマ内部では、ビンが割れ、入れ歯が動かされていた。遺族会は、ガマは犠牲者の墓でもあるとして立ち入りを禁止していた。「人のお墓に……。ショックと怒り」と憤った。さらに「なぜこんなことが起こったのか。許してはならない。遺族はまた苦しむ。だが、また立ち上がって平和を発信したい。こんなものには負けない」と話した。

 チビチリガマは、沖縄戦の際、避難していた約140人のうち80人以上が集団自決した場所。ガマの入り口前には「世代を結ぶ平和の像」が建てられているが、1987年に右翼団体員によって破壊され、95年に修復された。

     ◇

 〈チビチリガマ〉 読谷村にある自然洞窟(ガマ)。村史によると、沖縄戦の際、住民約140人が避難したが、米軍が沖縄本島に上陸した翌日の1945年4月2日、このうちの83人が「集団自決」した。毛布などに火がつけられ、「地獄絵図さながらの惨状」となったという。遺族は長年口を閉ざし、戦後38年たって真相が明らかになった。87年、遺族らにより入り口に「世代を結ぶ平和の像」が建立されたが、同年、右翼団体員により破壊された。沖縄国体の読谷村の会場で掲揚された日の丸が、村民によって焼き捨てられたことへの報復だったとされる。95年に再建された。
http://www.asahi.com/articles/ASK9D536JK9DTIPE01C.html






チビチリガマ沖縄戦における集団自決#チビチリガマの集団自決」も参照
4月1日、アメリカ兵がチビチリガマへ最初に来た際、ガマの入り口まで降りて「デテコイ」と呼びかけて去っていった。鬼畜米英と教えられていたアメリカ兵が突然目の前に現れたことで、村民は恐怖のあまりパニック状態に陥るが、その時18歳の女性が「アメリカを恐れることはない。竹槍で戦いなさい」と言ったことで落ち着きを取り戻した。チビチリガマやシムクガマに避難した住民は全員竹槍を持ち込んでいたが、アメリカ軍が浜から上陸したことを知らない住民たちは、敵は落下傘で降りて来ただろうから人数も少ないから竹槍で十分戦えると考え、竹槍を手に取り入り口に向かった。村民の一部は、「殺せ」「やっつけろ」「天皇陛下万歳」と口々に叫び、ガマから飛び出して突撃し、2メートルほどの竹槍を、7メートル以上上のガマの崖上に並んでいたアメリカ兵に向かって突き出した。崖の上から機関銃手榴弾の攻撃が降り注ぎ、先頭にいた2人の男が狙撃された。アメリカ兵は救出をあきらめて立ち去り、「安心して出てきなさい」といった内容のビラと一緒にチョコレートや缶詰、タバコを置いていったが誰もビラを信じず、食べ物を口にする者は一人もいなかった。元日本兵を名乗る男が、ガマ内の前と奥をつなぐ場所に持ち込んでいた布団を積み上げて火をかけ、煙により死のうとしたとき、一人の女が炎に飛びかかり山を崩し火を消した。
4月2日時点のガマは、過密状態で風が通らず、酸欠状態になっていた。午前8時頃に再びアメリカ兵が来て、ガマから出るよう呼びかけるが、日本兵の「出て行けば殺される」という言葉を信じ、ガマを出る者はいなかった。その後、娘から「殺して」と頼まれた一人の母親が、娘の首を包丁で刺した後、続いて息子を包丁で刺すと、自決する者が続出し、元日本兵が再び火を付けると、炎と煙がガマ内に充満した。煙で苦しむよりはアメリカ兵に撃たれて楽に死のうと考えた者はガマの外に出たことで助かり、都屋の収容所に移送された。
チビチリガマへは世帯数31、総人口194名のうち139名が入ったが、自決者数は82名、死亡率は60%に上り、その過半数が子どもであった。




まさしく今の日本の反鬼畜英米サマナ!(爆wwwwwwwww

諸悪の根源は頭のオカシイ「18」歳の女性とまるでわかり松クンのようなその元日本兵ですね。(爆wwwwwwwww







、、、(爆wwwwwwwwwww


3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

_人人人人人人人_
> まさに土人脳 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

近代国家気取ってたのは都会周辺だけだったと言うオチ(笑)
現代の日本と何も変わっておりませんな

匿名 さんのコメント...

集団行動の反省例としてよりも、
いささか、美談美学悲劇めいて伝えられていることへの驚き

津波や地震では、こうはならないことが、
なぜ戦争では、こうなってしまうのか

匿名 さんのコメント...

「痛い痛い」暗闇に響く声、毒の注射器に行列… 8歳の少女が目撃したチビチリガマの「集団自決」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/91414

2017年4月2日 21:00

 【読谷】「ここは毒が入った注射を打つための列」「あそこでは、お母さんに背中を包丁で刺された子どもが痛い痛いと泣いていた」-。8歳の時にチビチリガマで「集団自決(強制集団死)」を目の当たりにした上原豊子さん(80)=読谷村。当時のガマの中の状況を語ってくれた。

毒が入った注射を看護婦が打っていたことや、母親が子どもの背中を包丁で刺していた72年前の状況を語る上原豊子さん=1日、読谷村波平・チビチリガマ

 避難していた家族は艦砲射撃で負傷した祖父と母、4人きょうだいの計6人。うち祖父が亡くなった。

 4月2日の朝。上半身裸の米兵が投降の呼び掛けに現れた。水も食料もあると言う。だが、周囲からは「だまされるな」との声が上がった。その後、次々と自ら命を絶つ惨状が始まった。「痛いよ」とうめく子どもの声が今も耳にこびり付く。

 子どもに布団をかぶせて火をつける母親、毒が入った注射器を看護師に打ってもらおうと列をつくる住民…。煙が充満する中で、上原さんの母は子ども4人を引き連れて出口に向かった。「真っ暗な中から家族が出たら、光が素晴らしく感じた」と振り返る。

 ガマの中に設けられた祭壇に、丁寧に手を合わせた上原さん。「天国にいる魂が慰められるよう、平和な世の中になるよう願いました」と話した。