2017年8月10日木曜日

御影高杉@本高砂屋

2017.8.2 08:11更新
惜しまれて…神戸スイーツの名店「御影高杉」9月末までに閉店

神戸スイーツを代表する洋菓子店「御影高杉」が9月末までに全3店舗を閉じることが1日、運営する菓子製造販売「本高砂屋」(神戸市東灘区)への取材で分かった。御影本店(同)は今月31日で営業を終える予定。

御影高杉は平成8年9月、阪急御影駅前に本店をオープン。どこから食べても生クリームとフルーツ、スポンジが均等に味わえる正方形のショートケーキが人気を集めた。最盛期には東京・丸の内や大阪・梅田など全国に6店舗を展開。神戸を代表する洋菓子店として、スイーツブームを牽引(けんいん)した。

しかし、人手不足などにより閉店が続き、高杉良和シェフの後継者選びも課題となって全店を閉じることが決まった。現在営業している3店舗のうち、そごう神戸店(同市中央区)は9月18日、西宮阪急店(兵庫県西宮市)は同30日に閉店するという。
http://www.sankei.com/west/news/170802/wst1708020017-n1.html






きんつば(金鍔)は、きんつば焼きの略称で、和菓子のひとつである。
概要現在よく見られるのは、寒天を用いて粒餡を四角く固めたものの各面に、小麦粉を水でゆるく溶いた生地を付けながら、熱した銅板上で一面ずつ焼いてつくる「角きんつば」であるが、本来のきんつばは、小麦粉を水でこねて薄く伸ばした生地で餡を包み、その名の通り日本刀つばのように円く平らな円型に形を整え、油を引いた平鍋で両面と側面を焼い
サツマイモでつくった芋餡を包んだもの、もしくは、四角く切った芋ようかんの各面に生地を付けて焼いたものは「薩摩きんつば」「芋きんつば」と呼ばれるものになる。
歴史もともとは江戸時代中期に京都で考案された菓子であり、上新粉(米粉)で作った生地で餡を包んで同様に焼いたものであった。当時は、その形状と色から「ぎんつば(銀鍔)」と呼ばれていた。製法が京都から江戸に伝わると、生地の材料が上新粉から小麦粉になり、また、「よりものほうが景気が良い」との理由から、名前が「きんつば」に変わったとされている。
現在の「角きんつば」は、神戸元町花堂(現在の本高砂屋)の創業者である杉田太吉により明治時代に考案されたものである。
富山県高岡市戸出地区などでは現在も円型でつばの文様を付けたきんつばが残っている。








、、、(爆wwwwwwwwww


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

菅直人の好きな高杉晋作は高麗産の杉だったのですね><

匿名 さんのコメント...

広島 原爆 像

土人すぎてさっさと撤去しろ案件

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