2017年8月10日木曜日

河野裕@サクラダリセット



河野 裕(こうの ゆたか、1984年 - )は、日本小説家ゲームデザイナー徳島県徳島市伊賀町出身、兵庫県西宮市在住。男性。
徳島県出身。徳島市立高等学校大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒業。
グループSNEに所属し、小説の執筆の傍ら、ゲームの制作も手掛けている。
2009年、「サクラダリセット CAT, GHOST and REVOLUTION SUNDAY」で角川スニーカー文庫角川書店)より小説デビュー。同年、TRPG『ゲヘナ〜アナスタシス〜』のリプレイ「ミラージュオーシャン・ログブック―Replay:ゲヘナ〜アナスタシス〜」で、integralジャイブ)より、リプレイ作家としてもデビューを果たす。
影響を受けた作家として秋田禎信乙一村上春樹西尾維新などを挙げている[1]
2009年、夏バテのためにパピコを多食した結果糖尿病を患い、夏から初秋にかけて入院した。
2015年、『いなくなれ、群青』で第8回大学読書人大賞受賞。







伊賀町(いがちょう)は、徳島徳島市町名。西富田地区に属している。伊賀町一丁目から伊賀町四丁目まで存在する。郵便番号は〒770-0926。
  • 人口:460人(2010年11月。徳島市の調査より)
  • 世帯数:223世帯(同上)
徳島市の東部、市街地の南西部、眉山東山麓に位置する。東は弓町の住宅街と接し、西は眉山麓に続く。北から眉山麓に沿って一丁目から四丁目に比較的整然と区画される住宅街。
江戸時代には山麓一帯に多くの神社・仏閣が存在したが、現在完存するものは少ない。
三丁目には大正2年から昭和4年まで、ポルトガル人で元神戸総領事の文豪・ヴェンセスラウ・デ・モラエスが居住し、海外に日本を広く紹介した。現在彼の旧居跡には碑がたてられ、南北に延びる通りはモラエス通りと別称される。

一丁目に徳島藩主を祭祀した国瑞彦神社、市文化財の随臣門を設けた八幡神社、徳島県神社庁、二丁目に平成調理師専門学校伊賀本校、三丁目に徳島逓信病院、四丁目に光仙寺などがある。

元は徳島市富田浦町の一部で、昭和15年より現在の町名となる。町名は、徳島藩士で伊賀忍者伊賀士が居住したことにちなむ
江戸期には伊賀士丁・馬場筋と呼ばれた。神社には国瑞彦神社八幡神社光仙寺がある。国瑞彦神社は文化3年に創建され、歴代の徳島藩主を祀った神社で、明治4年同藩の有効の士92人を合祀。


ヴェンセスラウ・デ・モラエス (ジュゼ・ジ・ソウザ・ジ・モライシュ)Wenceslau José de Sousa de Moraes, 1854年5月30日 - 1929年7月1日)は、ポルトガル軍人外交官、文筆家。

略歴

1854年にポルトガルの首都リスボンに生まれ、海軍学校を卒業後、ポルトガル海軍士官として奉職。1889年に初来日。マカオ港務局副司令を経て、外交官となる。1899年日本に初めてポルトガル領事館が開設されると在神戸副領事として赴任、のち総領事となり、1913年まで勤めた。
モラエスは1902年から1913年まで、ポルト市の著名な新聞「コメルシオ・ド・ポルト(ポルト商業新聞)」に当時の日本の政治外交から文芸まで細かく紹介しており、それらを集録した書籍『Cartas do Japão(日本通信)』全6冊が刊行された。

神戸在勤中に芸者おヨネ(本名は福本ヨネ)と出会い、ともに暮らすようになる。1912年にヨネが死没すると、翌1913年に職を辞し引退。ヨネの故郷である徳島市に移住した。ヨネのである斎藤コハルと暮らすが、コハルにも先立たれる。徳島での生活は必ずしも楽ではなく、スパイの嫌疑をかけられたり、「西洋乞食」とさげすまれることもあったという。1929年、徳島市で孤独の内に没した。









、、、(爆wwwwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

MacGuffin
http://10kom.blogspot.jp/2017/08/macguffin.html

…さすが菫さん(違

コメントを投稿