2017年8月9日水曜日

黒煙@杉並区今川@8・8



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今川(いまがわ)は、東京都杉並区の地名。現行行政地名は今川一丁目から今川四丁目。住居表示実施済み区域である。
杉並区北部に位置する。北辺は早稲田通りを境に上井草に、西辺は青梅街道を境に善福寺に、南部は桃井に、東辺は環八通りを境に清水に、それぞれ接している(地名はいずれも杉並区)。東西に長い長方形状の区域で、東から順に一丁目から四丁目までが並んでいる。

町域内は主に住宅地として利用されている。また、今川には中央大学杉並高等学校都立農芸高等学校が置かれている。

歴史

江戸時代

江戸時代武蔵国多摩郡上井草村の一部にあたる。
1645年正保2年)、今川直房今川義元の曾孫)に対し、多摩郡井草村(江戸時代初期、上井草村・下井草村に分割)・上鷺宮村(現・中野区上鷺宮一帯)および豊島郡中村(現・練馬区中村一帯)が知行地として与えられた。以後、この地域は幕末まで今川氏の所領であった。今川氏の菩提寺として庇護を受けた観泉寺は、その知行地支配の拠点でもあった。観泉寺境内には今川氏歴代当主の墓所(都旧跡)がある。

近代

1889年明治22年)の町村制施行により、東多摩郡井荻村の一部となった。1896年(明治29年)に東多摩郡は豊多摩郡1926年大正15年)7月1日に井荻村は町制施行して井荻町となる。1932年昭和7年)、豊多摩郡井荻町は東京市に編入され、杉並区の一部となったが、この際、観泉寺周辺に今川町という町名が生まれている。この「今川町」の一部は現在上井草に編入されている。

現代

1964年(昭和39年)9月1日住居表示実施に伴い、現在の今川一丁目から四丁目が編成された。旧地名では、沓掛町・中通町・神戸町・柿ノ木町・四宮町・今川町・三谷町・新町の各一部にあたる。

地名の由来

二丁目にある観泉寺は、江戸時代に当地を治めた高家旗本今川氏ゆかりの寺院で、本堂(1764年明和元年)再建)は杉並区最古の木造建築である。「今川」の地名はこれに因んでいる。




観泉寺(かんせんじ)は、東京杉並区今川にある曹洞宗寺院。山号は珠山
戦国大名の末裔である今川氏菩提寺である。境内にある今川氏累代の墓は、東京都の旧跡に指定されている。
ほかに枝垂などの名所としても知られている。


今川氏と観泉寺

今川氏は、室町時代戦国時代駿河国(現静岡県)などを治めた一大大名であったが、桶狭間の戦い今川義元織田信長に敗れたのち没落した。義元の子今川氏真徳川家康の庇護を受けてなどで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没した。氏真の嫡孫今川直房高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられた。以後、当地は幕末まで今川家一円知行の所領として続くことになる。
江戸時代の観泉寺は、今川氏の知行地支配の拠点でもあり、領民からの年貢の取立てや裁判なども寺の門前で行われていた。

今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっている。











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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

> 黒煙

THE REFLECTIONかな?wwwwww