2017年4月5日水曜日

小斉喜弘さん@BellWood Record死去


加川 良(かがわ りょう、本名:小斉 喜弘1947年11月21日 - 2017年4月5日[1])は、日本のフォークシンガー
芸名は、加山雄三の「加」、長谷川一夫の「川」、池部良の「良」を組み合わせたものと言われる。長男はミュージシャンのgnkosai(本名・小斎元希)[1]

滋賀県彦根市出身。1970年代、アート音楽出版(URCの版権管理会社)に入社する。高田渡岩井宏岡林信康高石ともやらの影響でフォーク・ソングを唄い始め、1970年の第2回中津川フォークジャンボリーでは飛び入りで「教訓I」を発表し、一躍人気者に(後に、「教訓II」なぎらけんいちや、「教訓110番」三上寛などパロディー作品も発表された)。アルバム『教訓』(1971年)でURCからデビュー。「こがらし・えれじい」「偶成」を含む『親愛なるQに捧ぐ』(1972年)、中川イサトとのライヴアルバム『やぁ。』(1973年)をたて続けに発表。また1972年よしだたくろうの代表作『元気です。』に「加川良の手紙」(作詞・加川良、作曲・吉田拓郎)という曲が収録された。
1974年ベルウッドから名作『アウト・オブ・マインド』を発表。1975年中川イサト神戸市長田区でのオムニバスライヴ『鼻歌とお月さん』のレコーディングに、いとうたかお大塚まさじ金森幸介シバ西岡恭蔵長田タコヤキ和承と参加。その後も石田長生らをバックに従えた『南行きハイウェイ』(1976年レイジー・ヒップとの『駒沢あたりで』(1978年オレンジレコード)を発表。1990年代『ONE』、『2』を発表。
岡林信康が一線から退いたのち、吉田拓郎と並んで“どちらがBIGになるのか”といわれた時期があったが、拓郎ほどの一般的名声を得ることはなかった。現在では前述の拓郎の曲「加川良の手紙」で歌われた人物として知られている。拓郎がポップに変わっていくのとは正反対に、ストイックに自らの音楽に忠実に、お金にならない歌を歌い続けたのが理由ともいわれている[2]
「教訓I」の歌詞は大阪梅田地下街で手売りされていたガリ版刷りの文集を参考に作られたという[3]。歌詞の内容は発表から40年以上を経て発生した福島第一原子力発電所事故(2011年)や集団的自衛権の行使問題(2014年)に対してもあてはまると加川は考えており、そのため「歌うたんびに新曲だと思えるんです」とも語っている[3]
2016年12月14日に入院し、翌15日に急性骨髄性白血病と診断され闘病中とフェイスブックで公表[4]

2017年4月5日午前9時39分、都内の病院で死去。69歳没[1]


小斎(しょうさい、ラテン語:abstinentia)は、カトリック教会および聖公会用語
摂取できる食品の制限のことで、獣の肉や卵、乳製品の摂取を避ける教会の規定。1966年以降は獣の肉のみが対象となった。ただし、獣の肉とは恒温動物の肉のことを指す。また、動物脂肪を原料とする調味料としての使用は許されている。

1966年以前は、7歳以上を対象として、四旬節中の灰の水曜日、金曜日と土曜日、聖人の祝日の前日に大斎と合わせて適用された。 1966年以降は、教皇パウロ6世により、14歳以上を対象とし、大斎と合わせて灰の水曜日と聖金曜日に適用される。また、日本のカトリック教会では、四旬節以外も含めた年間の金曜日に各自の判断で適用することが司教団により勧められている。小斎を行う代わりに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行に代えることもできるとしている。


、、、(爆wwwwwww

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ベルウッド=鈴木w

日本でも多い苗字と言われる鈴木さんの頭にはフラグが翻ってますなぁ(笑)

匿名 さんのコメント...

大"瀧"詠一deathよねw

匿名 さんのコメント...

棕櫚の十字架、懐かしい。