イスラム法上では、棄教者は原則として死刑とされている。ただしハナフィー派とシーア派では女性の棄教者は死刑ではなく終身禁固に処するべきという意見が主流である[1]。改革派のムスリムはこのような刑罰に反対し信教の自由を擁護しているが[2]、現在のイスラム法学では保守派の見解が主流である。またイスラム法学においては特別な場合に限り偽装棄教(タキーヤ)を認める学派も存在しているため、時にこれらが棄教の隠れ蓑として用いられることもある。棄教に対する保守派ムスリムの態度は多くの非ムスリムから厳しい非難を受けている。
現実の棄教
総じて棄教者に対するイスラム共同体の態度は、イスラム法の影響力の多寡によっているといえる。イスラム法の力が抑えられている場合棄教者への処罰は稀だが、多くのイスラム教国では今なおその状態まで至っていない。イスラム法の影響力が弱い地域
ムスリムが多数派を占めていない地域、もしくは旧ソビエトに属した中央アジア諸国や世俗主義を徹底したトルコ、アルバニアのようにムスリムが多数派を占めていてもイスラム法の影響力が極度に低下した地域では、イスラムから他宗教への改宗も死刑となることはないか、あるいは極めて稀である。実際に改宗者もそれなりに存在している。これらの地域ではイスラム法の適用による処罰が禁止されており、公的には何ら処罰を受けないことが多い。とはいえ保守的ムスリムの多い地域では、家族や隣人の手によって私刑としての処罰が行われることがあり、問題となっている。ヨーロッパではこれらの棄教者たちを保護する必要があるとして、人権団体による運動が展開されている
日本においてはムスリム自体が少ないため、現在までのところイスラム教からの改宗者の取り扱いに関して大きな問題は発生していない。ただし日本のモスクで配布されるパンフレットでも「イスラム教徒は原則改宗はできない」と明記されている。ここでは信教の自由については、「共同体に影響を与えないこと」を条件として、心の内面でイスラムの信仰から離れることは可能であるとしている。文面から推測するに、他宗教に改宗しても、それが表面的に分からないレベルであれば許されるが、公に他の宗教の信仰を告白することは不可能だともとれる。以下はその原文である。
近年日本にも多くのムスリムが出稼ぎなどでやってきており、その中には日本人と結婚し定住するものも出てきている。またこれらのムスリムは多くパキスタンなどの保守的イスラムの強い国から来日しているため、将来的に日本で生まれた二世以降の世代(片親がムスリムであれば、生まれた時点でムスリムとされる)がイスラムを棄教してそれ以外の宗教を選択する場合、彼等の信教の自由が脅かされる可能性があるという意見もある。もしかしたら、『イスラームをやめる自由』はないのでは?という質問がされるかもしれません。確かに、イスラームの決まりでは、ムスリムがイスラームをやめることはできません。しかし、心の自由はあります。イスラームでは、ムスリム同士でも他人の内面の信仰をとやかく言うことを禁じています。ですから、イスラームを信じなくなった人がいても、それが心の信条である限りは問題はありません。ただ、そのことを広言することは、他の人にイスラームを捨てるよう求めることと同じですから、それは禁止しています。それを、内部での争いを呼ぶ行為と考えているのです。 — 『イスラームという生き方-その50の魅力-』イスラーム文化センター、2007年4月20日、P.17「心の自由」
日本国憲法では信教の自由が完全な形で保障されているため、改宗の禁止と妨害は憲法に違反するとの意見もあるが、憲法違反とは国が棄教や改宗に関与して命令してはならないと言うことであり、親子や個人間の宗教問題には憲法は関与しない。日本の裁判所が棄教や改宗について命令することが憲法違反であるというだけで、個人間の宗教議論は言論と信仰の自由の問題なので司法は不介入である。 イスラム教国のように身分証明書や公的書類に宗教欄を持たない日本の行政では役所などに宗教の変更を届け出る必要もなければ、棄教や改宗について裁判で争ったり、裁判所が棄教や改宗について命令を出すこともなければ、司法が棄教や改宗を処罰したり取り締まったりすることもないと言うだけに過ぎない。 日本でムスリムの棄教や改宗が法的問題になるとすれば、ムスリムの父親が未成年の子供への宗教の強要が児童虐待になる可能性があるか、成人同士であれば宗教の強要が迷惑行為、強要罪であるとして裁判所に強要の停止命令を訴える、あるいは慰謝料や損害賠償などを請求するぐらいしか手段がないが、イスラムからの改宗ないし棄教についても法的に制約されることはなく、仮にイスラム教徒からの棄教等に対する妨害行為等が有った場合には、当該行為自体が違法行為であり、処罰の対象となる(仮に、棄教者を殺した場合には、当然、殺人罪として起訴される。)。
イスラム教国
中東を中心としたイスラム教国(単にムスリムが多数派であるのみならず、イスラム法の影響力が極めて強い国々)におけるイスラムから他宗教への改宗は極めて危険なこととされている。棄教者は親兄弟や恋人にすらそのことを明かそうとしないため、その実態も正確に把握することはできない。これらの国々においては棄教者は死刑と明確に定めている所が多く、とりわけイラン、サウジアラビア、アフガニスタン、イラクなどではイスラム原理主義の影響で過酷な弾圧が行われているとされている[3]。非ムスリムからのイスラム法批判
非ムスリムの学者達の間では、棄教に関するイスラム法の規定を反民主主義的であり信教の自由を脅かすものであるとして批判している。ただし現実にムスリムの改宗者は少なからず存在しており、それに対するムスリム共同体の立場も一概に排斥・迫害の立場となるわけではないこと、現代では法学上も棄教を自由化しようという動きが存在していることから、ステレオタイプに基づく批判はかえってムスリムの態度を硬化させ、原理主義を招くだけだという意見もある[要出典]。要するにイスラム教がマジョリティ―になった時点でその国はイスラム教の国となりイスラム法の名のもとに棄教者は原則ポアされてしまうわけですよ。本質的にムスリムにとって異教徒は全員ポア対象なんですよ。(爆wwwwww
根本的問題は過激派イスラムではなくイスラム教そのものなんですね。
・・・とはいえ中東のイスラム諸国内の秩序維持のためにイスラム教は必要なわけで、中東諸国内では好きにさせてイスラム諸国内のムスリムにキリスト教や他教の価値観をおしつけるべきではないといふのがおいらのスタンスですな。(爆wwwwwww
でもイスラム諸国外の欧州のムスリムには当然その国の価値観、キリスト教の国ならキリスト教の価値観を強制的にでも受け入れさせるべきで、それを拒否するムスリムはイスラム諸国に強制的に送還させるべきですな。だから日本もハラールなんて徹底無視でOK。(爆wwwwwwww
静岡文化芸術大主催の多文化子ども教育フォーラムが4日、浜松市中区の同大で開かれ、静岡県多文化共生審議会委員で、インドネシア出身のエフィ・グスティ・ワフユニさん(39)が講演した。県内のイスラム教徒(ムスリム)への調査を基に、ムスリムの子どもたちが学校生活で給食や礼拝などに苦慮している現状を報告。「ムスリムを取り巻く問題改善のきっかけになれば」と訴えた。
調査は昨年11月、県内在住の同国人ら26家族を対象に、学校生活や職場で困っていること、対応策などを尋ね、実態を初めて公表。「ハラール対応」ではない学校給食に多くの保護者が
悩んでいる様子が浮かび上がった。大半が毎日弁当持参か、豚肉使用のメニュー時におかずを持参する対応を取っていて、「給食は食べるが豚肉は残す」ように子どもに指示している家庭もあった。
学校や職場で、お祈りや断食、女性が頭にかぶる「ヒジャブ」を禁止された例や、侮蔑の言葉を投げ掛けられた体験談も示された。 エフィさんは、ハラール対応の給食を出す福岡県内の私立保育園や金曜日の礼拝を例外的に認める浜松市内の学校などを紹介し、「ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」と理解を求めた。
静岡新聞
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/326523.html
10 件のコメント:
棄教を認めないなら
根絶やしにするしかない
ってことになり兼ねない
現状だと団長さんのおっしゃるスタンスが『自称平和主義者』よりもよっぽど平和的なんですよねw
halal method of slaughter
$20 Billion Hit in America
インスタントヒジャブ
石油を中東以外から調達するようにして、
『助けない、教えない、関わらない』の非韓三原則をそのまま非“韓・イスラム”三原則に昇格…が平和への道
日本人てルールに厳格だから知らないんだろうけどイスラム教ってかなりいい加減なんすよねw
信仰自体が本人任せだから他国に行ったら別に断食もハラールも礼拝もやらなくても
別に悪いわけじゃないんすよねw
真面目にやる奴はどこでもやるしやらない奴は里帰りした時ぐらいしかやらない
故に無理に日本が制度を気にしてやる必要もない訳ですが金儲けのネタだとでも思ってんでしょうなw
そもそも異教徒と戦う事を聖戦(ジハード)としている訳ですから八百万に取り込もうとか
サービスして仲良くしようなんてのがそもそも無理なんですけどね(笑)
ムラ社会の外に出たら旅の恥は掻き捨て、日本も日本以外の国も似たようなもんです。
だから郷に入れば郷に従え、団長はそのシンプルな考えを述べてるだけで。
トンカツ齧ってビールで流し込む国に自ら来ておいて純粋なムスリムとかワケ分からないですねw
ほんと、お互い相容れないんだから、別々に暮らしましょう、が一番平和。
そもそもが恐怖政治を宗教にすり替えてるだけでしょうが。
>イスラム教ってかなりいい加減
例えば(相手が異教徒で教義をよく知らず)招かれて訪問した先で豚肉出されても歓待されたのなら食べなければかえって失礼に当たる・・・
ということがコーランに書かれているのを逆手にとって
臣下を試して(お前はコーランを読んでない!とか言って)いびり倒したカリフだかスルタンが過去にいた筈です
なんで日本人に豚肉出されても黙って食べるのはいいんです
なのにヒジャブかぶらない女を徹底的に打ちのめす文化ww←単に自分に甘く他者に厳しいナイーブ男の集団でしょ
妻を持たない男を見下しながら男娼文化もしっかりあるし
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