元共同通信社社長・酒井新二さん死去
2016年12月26日23時20分
酒井新二さん(さかい・しんじ=元共同通信社社長)が18日、肺炎で死去、96歳。葬儀ミサは近親者で行った。来年1月16日午前9時30分から東京都千代田区麴町6の5の1のカトリック麴町聖イグナチオ教会主聖堂で酒井家と共同通信社の合同の追悼ミサを行う。喪主は妻陽子さん。
http://www.asahi.com/articles/ASJDV5JR0JDVUTIL02Z.html
酒井 新二(さかい しんじ、1920年1月4日 - 2016年12月18日[1])は、日本のジャーナリスト。
東京都千代田区神田須田町に自転車屋を営む家の7人兄弟の次男として生まれる。東京帝国大学法学部政治学科(南原繁研究室所属)卒業後、海軍経理学校に学士入学し、1942年9月、短現9期主計科士官として太平洋戦争に参加。ラバウルをはじめ南方海域を転戦し、8月6日の広島原爆を呉にて、9日の長崎原爆を大村にて体験。終戦時は松山海軍航空隊勤務。
戦後、三井物産に就職するも財閥解体に伴い、1947年共同通信社に入社。政治部長、パリ支局長を経て編集局長、専務理事を歴任後1985年社長に就任(1991年まで)。相談役を経て1994年より同社顧問。1978年から1981年まで日本記者クラブ理事長。1986年フランス政府より国家功労勲章「オフィシエ」章受章。1992年勲一等瑞宝章受章。国語審議会委員、日本舞台芸術振興会委員、カトリック社会問題研究所幹事などを歴任。
2016年12月18日、肺炎のため死去。
- 日本の進路(ワンツーマガジン社、2002年、ISBN 9784901579179)
- カトリシズムと現代(誠文堂新光社、1997年、ISBN 9784416897607)
- カトリックが拓く日本の道(徳間書店、1998年、ISBN 9784198607982)
共同通信社
歴代社長
- 渡辺孟次:1978年~1985年
- 酒井新二:1985年~1991年(1947年入社)
- 犬養康彦:1991年~1998年(1953年入社)
- 斎田一路:1998年~2002年(1960年入社)
- 山内豊彦:2002年~2005年
- 石川聡:2005年~2013年
- 福山正喜:2013年~
犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年4月1日 - 2015年7月12日)は、共同通信社の社長(1991年 - 1998年)。
東京に犬養健、仲子(後藤象二郎の孫娘)の長男として生まれる。学習院大学文政学部卒業後、共同通信社に入社した。人事部長、総務部長、社会部長、論説主幹などを歴任した後、1991年に社長に就任した。社長退任後は相談役に就任した。学習院時代の登山仲間に顔恵民がいる。
2015年7月12日、虚血性心疾患のため死去[1]。87歳没。
家族・親族
- 祖父 - 犬養毅(政治家・首相)、長与称吉(医師)
- 父 - 健(政治家)
- 母 - 仲子(長崎県、医師長与称吉娘)
- 姉 - 道子
- 異母妹 - 安藤和津(奥田瑛二夫人)
- 先妻 - 智子(波多野氏娘)
- 後妻 - 麗子(岡山県、実業家大原総一郎長女。テレビ演出家)
- 従姉の娘 - 緒方貞子(国連難民高等弁務官)
とこれまた皇室へ、、、(爆wwwwwwwwwwwww
1 件のコメント:
"御成婚の際は教会広場で奉祝歌"
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