2016年12月4日日曜日

ブレーキとアクセルの区別させできない日本のジジババ死ね!



中島洋さん85歳=太平洋学会理事長
毎日新聞2016年12月2日 19時03分(最終更新 12月2日 19時03分)

中島洋さん85歳(なかじま・ひろし=太平洋学会理事長)11月29日、肺がんのため死去。通夜は6日午後6時、葬儀は7日午前10時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。喪主は長女町島由美子(まちしま・ゆみこ)さん。同会専務理事などを務め、太平洋島しょ諸国の文化や日本との関わりなどの研究で知られた。
http://mainichi.jp/articles/20161203/k00/00m/060/032000c#csidx525e645d5956ec4a9489d5899e82bae





太平洋学会(たいへいようがっかい)は、1978年9月12日に設立。 設立趣旨は、 太平洋地域の文化の研究と保存に努め、その知識の交流を促進し、太平洋地域の友好と発展に寄与すること[1]
本部を東京都港区三田4-1-32クレール三田403に、関西支部事務局を大阪府吹田市岸部南2-36-1大阪学院大学島岡宏教授研究室に置いている。
初代会長は五島昇、二代目は赤沢章一、三代目は大島襄二関西学院大学名誉教授)、現在の会長は新井喜美夫(元(株)東急エージェンシー社長)。 会員は国内外のおり、太平洋学会誌を英和文で刊行。
太平洋諸島に関する世界初の百科事典『太平洋諸島百科事典』を1989年に刊行し、「第6回大平正芳記念賞」を受賞した。
太平洋学会には、会員有志により組織・運営されている下記の研究部会があり、不定期に研究セッションが開催されている。戦史研究部会は1980年代に活発に活動し、存命だった将兵や自衛隊・米軍の幹部などを招いて討論なども実施していた。


■  創立年月日    1978年9月12日

 ■  会員数(1998年3月末現在) 
    通常会員261名、維持会員21社、特別維持会員8社、
    海外会員  40名、準会員84名。

 ■  所在地
    〒108-0073 東京都港区三田4-15-29-3F
    電 話: (03)5442-2706 
    FAX: (03)5442-2716
    e-mail: pacsoc2@ceres.ocn.ne.jp

 ■  役員
    会 長  赤澤 璋一 (世界平和研究所副会長)
    副会長  千  宗室 (茶道裏千家家元)
     〃   横田 次郎 (東京急行電鉄取締役相談役)
    理事長  横田 次郎 (     〃      )
    専務理事 中島  洋
    常務理事 松永 秀夫 (日本海事史学会監事)
    理 事  青木 国夫 (国立科学博物館名誉会員)
     〃   平間 洋一 (防衛大学校教授)
     〃   新野 幸次郎(神戸都市問題研究所所長)
     〃   大島 襄二 (関西学院大学名誉教授)
     〃   大八木秀二郎(東京急行電鉄嘱託・太平洋学会事務局長)
     〃   友田 好文 (日本学院会員・東京大学名誉教授)
    監 事  新井喜美夫 (東急エージェンシー社長)
     〃   江口雄次郎 (経済評論家)
http://www.geocities.jp/dkg98/pacific/pacific-society3.html


赤澤 璋一(あかざわ しょういち、1919年11月25日 - 2002年9月29日)は、日本通産官僚日本貿易振興会(ジェトロ)第6代理事長。戦後初の国産旅客機YS-11の生みの親と言われる。1969年通商産業省重工業局長を退官後、1973年富士通入社、同社専務、1976年同社副社長、1981年同社副会長を歴任。1989年同社を退任。1983年9月~1989年12月の期間に日本貿易振興会(ジェトロ)理事長を務める。学位法学士[法 1][1]称号米国コロラド州名誉州民[2]


赤澤(赤沢)史朗(あかざわ しろう、1948年-)は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。立命館大学名誉教授[1]文学博士(早稲田大学、1986年)。
父は通商産業省重工業局長、富士通副会長、日本貿易振興会理事長を歴任し、戦後初の国産旅客機YS-11の生みの親と言われる赤澤璋一九条の会の賛同者である[2]

  • 1972年3月 - 早稲田大学第一政治経済学部経済学科 卒業



  • 公益財団法人世界平和研究所(せかいへいわけんきゅうじょ)は、安全保障を中心とする調査研究や、国際交流等を目的とする公益財団法人。以前は防衛省所管(厳密には総理府外務省財務省、防衛省、経済企画庁経済産業省主務)の財団法人だったが、公益法人制度改革に伴い、2011年4月1日より公益財団法人に移行。


    佐藤 謙(さとう けん、1943年11月17日 - )は、日本大蔵防衛官僚。第24代防衛事務次官公益財団法人世界平和研究所(IIPS)理事長[1]、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役[2]イオン株式会社社外取締役[3]

















    で、ロシアが南下・・・(爆wwwwwwwwwwwww


    1 件のコメント:

    匿名 さんのコメント...

    さらば増毛駅、町民とファンお別れ 最終列車シカと衝突

     北海道北西部の日本海沿いを走るJR留萌(るもい)線の留萌―増毛(ましけ)間(16・7キロ)が4日、最終運行を終え、95年の歴史に幕を下ろした。

     故高倉健さんの映画「駅 STATION」(1981年)の舞台で知られる終点増毛駅(増毛町)ではお別れの催しが開かれた。午後8時すぎ、町民や鉄道ファンら約300人が「蛍の光」の演奏に合わせ、ペンライトを振りながら最終列車を見送った。

     増毛町は戦後までニシン漁で栄えたが、過疎化などで乗客はこの40年で約20分の1に激減し、同区間の廃線が決まった。町は駅舎を保存し観光に生かす方針。地元の酒蔵「国稀(くにまれ)酒造」創業家4代目の本間櫻さん(56)は「増毛の歴史を支えた鉄道を失って寂しい」と話した。

     JR北海道は全路線の半分にあたる13区間を「自社だけでは維持できない」と公表している。留萌線の残り区間の深川―留萌間(50・1キロ)など3区間も廃止を検討している。

        ◇

     増毛発の最終列車(2両編成)は午後9時10分ごろ、廃止区間より先の幌糠(ほろぬか)―峠下(とうげした)間(留萌市)でシカと衝突。JR北によると、乗客にけがはなく約8分後に運転を再開した。当初の遅れも合わせて約40分遅れの午後9時50分ごろ、終点の深川駅に到着した。