2016年12月7日水曜日

藤城裕士@81プロデュース 11月26日に死去

 声優の藤城裕士(ふじしろ・ゆうじ)さんが特発性間質性肺炎のため11月26日に死去していたことが7日、分かった。所属事務所の公式サイトで発表された。76歳。

アニメ「機動戦士Vガンダム」のムバラクスターン将軍役、劇場アニメ「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」のティアンム提督役や
「名探偵コナン 時計じかけの摩天楼」の楠総合指令長役などで知られた。洋画の吹き替えも数多く担当した。

声優の神谷明(70)はブログで「新人の頃から大変お世話になった先輩です。お芝居が大好きで、演技を大切にしていた方でした。教えていただいたこと、これからも活かしていきたいと思っています。また、日本工学院の講師としても長年ご活躍されました。今まで本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします」と悼んだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161207-00000169-spnannex-ent

要するに世界連邦軍大敗北のお知らせですな。(爆wwwwwwww





黒田 孝高(くろだ よしたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。
(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といった[注釈 1]が、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)[注釈 4]、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された[1]










ムバラク・スターン(Mubarac Starn)
声 - 藤城裕士地球連邦宇宙軍の提督。階級は大将。容姿・性格ともに『機動戦士ガンダム』のレビル将軍を髣髴させる人物。
統制と指揮能力も弱体化した当時の地球連邦軍の中では有能な人物で、地球連邦軍主力艦隊の一つであるムバラク艦隊を旗艦のラー・カイラム級機動戦艦ジャンヌ・ダルクで指揮をとる。ザンスカール戦争の終期、ハンゲルグ・エヴィンの要求を受け、リガ・ミリティアに合流。以降、リガ・ミリティア艦隊の総司令官となる。彼の指揮するムバラク艦隊は兵器系統こそ旧世代だが、精強な実力を持つ艦隊であり、エンジェル・ハイロゥ会戦においては優れた指揮能力を発揮、善戦する。帝国第一陣であるピピニーデンのラステオ艦隊、エンジェル・ハイロゥから離脱したタシロ艦隊を全滅させ、ザンスカール最強のズガン艦隊とも互角以上の戦闘を演じた。最後はジャンヌ・ダルクによる特攻を敢行するため、乗員の退艦作業を行っているさなかリグ・コンティオにブリッジを破壊され、死亡する。しかしジャンヌ・ダルクは戦場を突き進み、ザンスカールの総旗艦スクィード級ダルマシアンを巻き込んで轟沈した。
漫画版ではジン・ジャナハムとしてリガ・ミリティアを率いるためにウッソに対して父親として接してやれないハンゲルグを諭す人物として描かれている。後にハンゲルグがジャンヌ・ダルクでザンネックの攻撃からV2ガンダムを庇ってしまった時も、それを父親として当然の行動と受け入れていた。最後はハンゲルグが再びジャンヌ・ダルクでV2ガンダムを庇い、クロノクルのドッゴーラ改の攻撃を受けて撃沈されそうになったため、ハンゲルグと共に脱出しようとしたが、邪魔された事に激怒したクロノクルによってジャンヌ・ダルクを破壊され、死亡した。
小説版ではウッソに祖父のように接し、ウッソもハンゲルグよりムバラクに好意を寄せている節がある。エンジェル・ハイロゥ宙域での最終決戦に臨む前には、木星公団を探ろうとするハンゲルグの意図に気づき、ハンゲルグのジャンヌ・ダルク退艦を許可するなど、アニメ版以上にハンゲルグとの接点も描かれた。最後は、ザンスカール艦隊の主力に特攻し、壮絶な戦死を遂げた。




(写真左)
1977年5月、エジプトのサダト大統領と会談した世界連邦日本宗教委員会の使節団一行。廣瀬靜水人類愛善会会長(左から4人目)、その右にサダト大統領、葉上照澄比叡山延暦寺長藹、ムバラク首相(肩書きは当時)



シナイ山合同礼拝を再び

世界連邦日本宗教委員会が呼びかけ

宗教者による世界平和の組織作りめざす
/ 『中道』が中東和平実現のカギ

photo (写真左)イスラエルと国境を接するエジプトのシナイ半島の南部に、ユダヤ教の始祖モーゼが、神から「十戒」を授かったとされるシナイ山がある。写真は1984年3月に開かれた、第2回シナイ合同礼拝式典「人類の和解と世界の平和」



世界連邦日本宗教委員会(世連日宗委)の主催による 「第28回世界連邦平和促進全国宗教者東京大会」が、昨年11月29日、「人類に平和を―新世紀における諸宗教の対話と 行動」をテーマに、國學院大學百周年記念館で開催された。

今大会は、2001年の9・11米国同時多発テロ事件以降、宗教・民族の対立という根深い問題が、 あらためて問われていることを強く意識。また、40年近い活動の中で、積み上げてきた中東和平実現への取り組みを 再確認。

大会宣言で、「設立当初の目的の一つでもある、ユダヤ、キリスト、イスラムの相互理解と和解をめざして、三教共通の発祥の聖山シナイ山における共同礼拝をあらためて世界の宗教者に呼びかけ、今後の目標と課題について対話、協力、連帯をさらに深め、世界の宗教代表者が集う『世界宗教連盟』を近未来に実現し、恒久平和実現の理想をめざす」と表明した。


世連日宗委と中東問題

超宗教・宗派で構成する世連日宗委は、「世界連邦運動」を宗教者の立場から推進することを目的に、昭和42年に創立。世界の諸宗教の和解と協力が世界平和の実現に欠かせないとして、諸宗教の和解と協力を促す活動を海外でも積極的に展開してきた。

1977(昭和52)年5月には、エジプトのイスラム最高審議会の招きで、世連日宗委の使節団が同国を訪問 してサダト大統領(当時)と会見。それがきっかけとなり、同大統領は同年11月、長く敵対関係にあった隣国のイスラエルを訪問。同国のペギン首相(当時)と会見した。

その翌年の78年3月、エジプトはアラブ諸国で初めてイスラエルと平和条約を締結。 イスラエルは第3次中東戦争(1967)以来占領していたシナイ半島を、エジプトに返還した。

両国の決断は、中東和平に道を開く画期的な出来事として高く評価され、サダト大統領とペギン首相は、78年のノーベル平和賞を受賞した。

1979(昭和54)年5月には、世連日宗委の呼び掛けで、ユダヤ教の始祖モーゼが神から「十戒」を授かった という聖山シナイ山で、世界平和を祈る式典が、ユダヤ教、キリスト教、イスラムの合同礼拝式として行われた。

しかし、昭和56年10月、エジプトのサダト大統領は、イスラム原理主義者の凶弾に倒れた。 その3年後の昭和59年3月、第2回のシナイ山合同礼拝式「人類の和解と世界の平和」が、サダト大統領への追悼の意味も込めて開かれた。

世連日宗委はカトリックの総本山バチカンもたびたび訪問。その活動は、キリスト教カトリックが 「バチカン第2公会議」(1962)以来進めていた「キリスト教世界の一致と他宗教との対話」(エキュメニカル運動) とも合流。昭和61年10月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はイタリア・アッシジにおける「第1回世界平和祈祷集会」 を開催した。さらに翌87年8月には、その流れを汲んで「比叡山宗教サミット」が開催された。

しかし、サダト大統領暗殺から13年後の1995年11月、今度はイスラエルのラビン首相が、 ユダヤ教原理主義者によって暗殺された。同首相は前年、国際的な仲介による「和平プロセス」に同意したパレスチナのアラファト議長と共に、ノーベル平和賞を受賞していた。


『中道』という新たな方向

中東和平は原理主義の壁に阻まれて、なかなか進展して来なかった。これに対し、原理主義者も歩み寄れる新たな土俵づくりとして、パレスチナで「イスラムワサティア党」の立ち上げを進めているのが、ヨルダン出身のパレスチナ人で、エルサレムにあるアルクドゥス大学のムンサル・ダジャーニ教授だ。

博士は、コーランにある、「正義と道の中央」を意味する「ワサティア」という教えを重視。コーランを元に排他的な原理主義に走るのではなく、同じコーランの示す、協調して調和する在り方に帰ることを促している。

東京大会では、ダジャーニ教授が基調講演。パレスチナ解放運動に加わった青年時代以降、欧米で学ぶ中で異なる価値観を理解し、現在の自分の考え方があることなどを紹介。イスラエル、パレスチナの双方が、自分たちだけの国の樹立しか認めないという排他的姿勢を捨てるべきであると力説した。

歴史的に西洋の一神教は互いに争い、長く他の宗教に門戸を閉ざしてきた。そこに新しい交流の門を開く上 で、日本の宗教界が果たしてきた役割は大きい。今回の大会では、その実績を踏まえ、対話からさらに進んで、 近未来の「世界宗教連盟」の設立を視野に、3回目となる「シナイ山共同礼拝」を呼びかけ、諸宗教による具体的な活動の開始を呈示した。

宗教の動向が世界平和の行方を左右する今日、世連日宗委の取り組みの今後が注目される。




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おまけ
ティアンムTianem声 - 永井一郎 / 藤城裕士(劇場版III)
地球連邦軍の軍人で階級は中将。一年戦争開戦時、コロニー落としを阻止するべく艦隊を率いて出撃、ジオン軍と交戦。しかし敵の新型兵器「モビルスーツ」の性能、機動力の前に艦隊は苦戦し、コロニーのジャブロー直撃だけは免れたものの大損害を被ってしまう。その直後のルウム戦役の時は予備の戦力と共に後方で待機していた。この二つの戦いでほぼ壊滅状態となった連邦軍宇宙艦隊を建て直すため、ビンソン計画を立案しその実現に努力した。この戦力強化が後に、オデッサ作戦・ジャブロー防衛戦後の迅速な反攻と早期のジオン本土防衛線陥落へ繋がる伏線となる。

株式会社81プロデュース(エイティワン・プロデュース)は、日本声優事務所
ミュージカル飛べ!京浜ドラキュラ』などの声優が出演する演劇制作を中心のプロダクションとしてスタートしたが[2]1983年より俳優部門を備え声優事務所としての活動を開始する[3]1981年2月、南沢道義などのぷろだくしょんバオバブの企画制作部門のスタッフが独立して設立[1]。社名は設立年に由来する。

川久保潔白坂道子関根信昭八木光生東京放送劇団出身のベテランが複数所属している。学校放送番組等のNHKエデュケーショナル制作の番組に所属声優が出演することが多く[注 1]、実写で出演した学校放送番組もある[注 2]。また、関連会社である音響制作会社のHALF H・P STUDIONHKで放送されるアニメを数多く担当しているが、一話5分~10分程度の作品では81プロデュースの所属声優を中心にキャスティングすることが多い[注 3]。そのほか、小学館集英社プロダクション製作のアニメでも大半の作品でキャスティング協力を手がけている。青二プロダクションほどではないものの、東映アニメーションとの結び付きも強い。エイベックス・グループとの結び付きも強く、協業活動をしている[注 4][4]







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