2016年11月19日土曜日

今上天皇@テニス派













昭和天皇と平成天皇は別ラインなんですよ。(爆wwwwwww


昭和天皇が大好きなゴルフをやめたのは「敗戦」がきっかけ?
(更新 2013/11/12 07:00)


天皇家のスポーツといえば、テニスが有名だが、実はゴルフとも縁がある。昭和天皇は戦前、無類のゴルフ好きとして知られていた。当時の「東京朝日新聞」の記事からもその熱中ぶりが伝わってくる。

初めてゴルフの記事があるのは、大正6(1917)年8月19日付朝刊。

「東宮殿下には十八日午前八時宮の下御用邸御出門腕車にて箱根仙石原村なるゴルフ、コートに行啓御学友をお対手にゴルフの御遊戯あり午後四時御機嫌麗しく御帰邸成りたり」

当時16歳だった昭和天皇は、宮ノ下御用邸(現在の富士屋ホテル別館菊華荘)から仙石原のゴルフコースへ行き、「コースデビュー」を果たした。

このゴルフデビューについて、同年9月11日付に「ゴルフと三皇子/高尚なる欧米の遊戯近く我が皇室遊戯に選定されん」との続報がある。

ここでは、昭和天皇と弟の秩父宮、高松宮の3人の皇子が同年春からゴルフを始めたことが紹介されている。宮内庁式部官だった西園寺八郎氏の指導のもと、新宿御苑と赤坂御所にコースをつくり練習を開始。新宿御苑には芝生に150~300ヤードのコースがつくられたという。

西園寺氏は、3皇子が将来欧米を訪問し、各地の王族と交際するのに、もっとも適した遊戯だ、とコメント。野球やサッカーのような危険を伴わず、敵を倒すというような勝負とは違って、自分の技術を練習し、心胆を落ち着け物に動じない精神を涵養(かんよう)する点でも、皇室の御遊戯に適している、とも述べている。

大正7(1918)年2月17日付の記事では、宮内省(当時)が静岡県に約1万5千坪を有するゴルフ施設「田子の浦砂山運動場」を新設、昭和天皇が初プレーをしたと報じている。大正10(1921)年に訪欧した際には、往復の軍艦のデッキで連日「デッキゴルフ」に興じていたという。

朝日新聞に最後に昭和天皇のゴルフの記述があるのは昭和5(1930)年10月3日付。

「最近はハンディキャップ凡(およそ)二十位と承る(中略)日頃は吹上御苑(皇居)内に設けられた六ホールのリンクスで遊ばれている(中略)皇后陛下にも数年前からゴルフをお始めになられたが陛下と御相手でゲームを遊ばれる事などもある」

宮内庁関係者は言う。

「その後、戦況が悪化。ゴルフリンクスもあった吹上御苑には、防空壕(ぼうくうごう)がつくられ、そこで御前会議が開かれました。戦後、二度と陛下はゴルフをせず、周辺を武蔵野の野に戻すことを望まれました。バンカーなどがあった辺りも、今は草が生い茂っています」

現在の皇室でゴルフがお好きなのは、昭和天皇の次男の常陸宮ご夫婦だ。昭和天皇も訪れた東京ゴルフ倶楽部などでプレーする。

「特に旧華族の津軽家出身の華子妃は練習熱心で、とてもお上手です」(同)

※週刊朝日  2013年11月15日号
https://dot.asahi.com/wa/2013110800031.html



、、、(爆wwwwwwwwwwwww

3 件のコメント:

GABRIEL さんのコメント...

テニス
鑑みれば
戦後からテニス
アゲアゲしていた
日本の各メディア媒体

ゴルフ
扱っていたけど
皇室絡みは滅多に見ない

匿名 さんのコメント...

テニスと言えばニコ動その他でやたら持ち上げられる熱い男(=体育会系脳)松岡修造
あと明石家さんま(笑)

匿名 さんのコメント...

石黒賢「すごいおやじだった」父修さんをしのぶ

 日本テニス界の戦後初のプロ選手として活躍し、9日に腎盂(う)がんのため死去した石黒修さん(享年80)の通夜が13日、東京・渋谷区の聖ドミニコ・カトリック渋谷教会でしめやかに営まれ、息子の俳優石黒賢(50)が亡き父をしのんだ。

【写真】1963年10月、全日本テニス選手権で優勝した石黒修さん

 8日に兄実さんと見舞い、「明日も来るからね」と病院を後にした後、修さんの容体が急変した。「午前5時前に(病院から)連絡をいただいたんですけど、残念ながら私も兄も死に目には会えなかった。突然だった。覚悟はしていたけど、もうちょっと頑張ってくれるかなと思っていた」と、最期を看取れなかった無念さを募らせた。

 石黒によると、修さんは13年ごろにがんが見つかった。腎臓の摘出手術を受けて回復したが、今春に再発。肺、肝臓、脳に転移していることが分かり、「長くないかもしれないという話だった」(石黒)という。それでも、家族に苦しむところを見せたことはなかったといい、「痛みに苦しむとか、つらいとかは(なかった)。我慢強かったのかな。家族の前では言わなかった」と、3年間の闘病生活の労をねぎらった。

 父にならい、学生時代からテニスをしていた石黒が、83年にTBS系ドラマ「青が散る」で俳優デビューするきっかけをつくったのは修さんだったという。大学のテニス部が舞台で、修さんが知り合いの制作陣から相談を持ちかけられていた。石黒は「(修さんに)『読んでみろ』と原作の本を渡され、『これがドラマにするらしいけど、出てみる気はあるか?』と言われた。俳優になるなんて思ったこともなかった。その後、プロデューサーさん、ディレクターさんにお会いして、ドラマに出たのがきっかけでした」。試合に向け、周到な準備をしていた修さんの背中を見て、「役者も準備をして臨むんだと、経験を重ねていくと、テニスと相通ずるものがあると思った」と感謝した。

 この日は元プロテニス選手のスポーツキャスター松岡修造ら、600人が参列した。「亡くなって初めて、メディアの方が書いてくださって、テレビでも取り上げてくださって…すごいおやじだったなと思います」と、目に涙を浮かべて話した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161114-01738226-nksports-ent