2016年9月21日水曜日

美濃部亮吉からパヨクのラスボスまで芋づる式に

小池百合子都知事、朝鮮大学校認可取り消し視野 美濃部亮吉氏が政府無視、強引に認可

9月2日、都知事の小池百合子は執務室に籠もり、拉致問題に関する政策を幹部から聴取中に突然、こう言い放った。

「拉致問題はしっかりやる。どうしたらよいか考えてほしい」

小池の言動に押された幹部の説明がほころびを見せ始める。
議論の過程で朝鮮大学校を含めた朝鮮学校が朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の強い影響下にあると結論づけた平成25年の都調査報告書が、ホームページ(HP)からいつの間にか削除されていたことが明らかになったのだ。
気色ばんだ小池が再掲載を指示。すぐに朝鮮学校の問題点を含めた報告書がHPにアップされた。即断即決だった。

小池がこの問題に強い関心を抱くのは、国会議員時代に拉致議連副会長を務めて知見があったからだけではない。自身が冒頭解散をちらつかせた都議会との対決構図を浮き彫りにできる論点になると踏んだからだ。

小池は知事就任にあたり、24年に都議会で都による朝大認可の見直しを求めて名を売った元都議、野田数(かずさ)を真っ先に最側近の特別秘書に据えた。
野田はかつて産経新聞の取材に「朝鮮学校問題を議会で取り上げる際に自民党幹部から『こんな質問をするな』とものすごいけんまくで取り下げを求められた」と証言している。認可見直しが小池の視野にあるのは間違いない。

昭和43年、朝鮮大学校を各種学校として認可したのは、当時都知事だった美濃部亮吉だった。朝大は以降、固定資産税などが免除され、税制上の優遇措置を既得権益として享受し続けている。

各種学校は学習指導要領に従う義務はなく、偏向教育を行うことも可能だ。

そもそも文部省(当時)は40年に朝大など朝鮮学校について「各種学校として認可すべきでない」との事務次官通達を出していた。

産経新聞が都に情報公開請求をしたところ、美濃部が認可を決める文書を決裁する際、職員が明記した文部省の通達部分のくだりを自らペンを走らせて消していたことが判明。起案した職員は戸惑いからか、「知事みずから抹消した」と注意書きまで添えていた。

こうした事実からは、美濃部が政府の意向を無視し、強引に朝大の認可に踏み切ったことが浮かび上がってくる。認可に至った都の検討過程はつまびらかにされておらず、そこに切り込む検証作業が知事の小池百合子に求められる。

美濃部が朝大を各種学校として認可した頃、朝大の寄宿舎1号館1階101号室に朝鮮総連幹部を輩出してきた政治経済学部の朝青(在日本朝鮮青年同盟)朝大委員会支部があった。

部屋の主の男性は現在、次期総連議長の呼び声も高い大幹部だ。同学部を卒業した男性は、そのまま朝青朝大委副委員長に就任。
朝青は在校生全員が参加させられる総連傘下の政治団体で、規約には核・ミサイルで軍事的挑発を繰り返す北朝鮮の政策を「謹んで承る」と書かれている。

男性は101号室を根城に班長(クラス委員)など指導的立場の在校生や教員を徹底的につるし上げた。

「お前は反党・反革命分子だ」「忠誠心を見せろ」

殴る蹴るの鉄拳制裁も辞さない。来る日も来る日も自己批判を強いられ、恐れおののき1カ月も授業を休んだ班長もいる。

同時期に北朝鮮では、初代権力者である金日成(キムイルソン)の思想のみを絶対化する主体思想の浸透が急ピッチで進む一方、総連内でも激しい権力闘争が始まっていた。
第1副議長だった金炳植(キムビョンシク)は「金日成首領様への絶対忠誠」を掲げてライバルを容赦なく排除、議長の韓徳銖(ハンドクス)の追い落としまで図った。男性は、そんな金炳植の先兵を務めていた。

金炳植は在校生らによる非公然の私兵部隊(通称 ふくろう部隊)を組織化。政敵の尾行や監視、密告もさせた。最大の被害者は“まともな学問”を教えていた教員だ。教え子からの指弾で追い詰められ、学校を去った者も数知れない。

この権力闘争を境に朝大は荒廃に向かう。あらゆる科目が荒唐無稽な主体思想や革命歴史と結びつけられていったのだ。在校生は教員への尊敬の念を失い、規律は緩み、在校生の脱走も相次ぐようになる。

「卒業ができそうもない在校生は親を説得し、北朝鮮への帰国を勧めた。帰国後の消息は分からない。脱落者を出さないことが班長に課せられた最大の使命だった」。当時の文学部で班長を務めた卒業生は申し訳なさそうに語った。  (敬称略)



http://www.sankei.com/world/news/160920/wor1609200012-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/160920/wor1609200012-n2.html
http://www.sankei.com/world/news/160920/wor1609200012-n3.html
http://www.sankei.com/world/news/160920/wor1609200012-n4.html




美濃部 亮吉(みのべ りょうきち、1904年明治37年〉2月5日 - 1984年昭和59年〉12月24日)は、日本経済学者政治家東京都知事(第6・7・8代)、参議院議員全国区)を歴任した。

美濃部達吉・多美子夫妻の長男として東京府に生まれた。父・達吉は天皇機関説で知られる憲法学者である。母・多美子は、数学者教育者・政治家として活躍した菊池大麓の長女であり、亮吉は箕作阮甫の玄孫にあたる。
東京高師附属小(現・筑波大附属小)、同附属中(現・筑波大附属中・高)を卒業する。附属中学の同級生には、正田英三郎日清製粉名誉会長、今上天皇妃の岳父)、岸本英夫東京大学名誉教授)、芳賀檀ドイツ文学者)、諸井三郎(作曲家)などがいる。

旧制二高(現・東北大学)を経て、東京帝国大学に進む。


天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルグ・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、天皇主権穂積八束上杉慎吉らが主張)などと対立する。


















、、、(爆wwwwwwwwwwwww

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

おお、1960年代の「革新首長ブーム」の中核、美濃部都政の負の遺産にまで手を付けますか、マダム寿司。度胸がありますねえ(笑)
まあ、公営ギャンブル廃止したのも美濃部でしたし、カジノを排除しない小池百合子とは真逆かもしれません。
あの当時、日共は社会党と一緒になって美濃部亮吉を支える与党会派であったわけですが、実は裏では自民党も社会党と「握っていた」わけでして、掘り返すといろいろ不都合もあるかも。
自民党で北朝鮮関係となれば、金日成と直接面識があり同時にパイプを持つAA研の宇都宮徳馬なども知られていましたし、朝鮮大学校の認可の件が果たして美濃部「だけ」の独断だったのかはよくわかりません。
確かに、既に都知事であった美濃部が、わざわざ平壌に渡り金日成とサシで会談する、などどう考えても異常な行動であったわけですが。

GABRIEL さんのコメント...

表向き革新
でも出自や
人脈背景は
華麗なる御方(笑)

こうして見ると
一般でウヨサヨ
参加してる者も
一般人も知らない
日本のウヨサヨが
上層部では表裏一体
だと良く分かります