大統領退任後
積極的な外交活動
- 1994年、核開発疑惑により北朝鮮とアメリカとの間で一触即発の危機に陥った折、アメリカ大統領経験者として初めて訪朝し、北朝鮮の核開発凍結と査察受け入れで合意、同年の米朝枠組み合意とつながっていった。しかしその後も北朝鮮は核兵器・弾道弾の開発を極秘裏に継続し、ついにはアメリカ本土を対象とした核攻撃計画まで表明するに至った[4]。
- 2002年5月、キューバを訪れ、同国指導者のフィデル・カストロと会談。1959年の革命とその後の関係悪化以来、初めてキューバを訪問したアメリカ大統領職経験者となった。
- 2010年8月26日、再び朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、同国への不法入国罪で服役していたアメリカ人男性のアイジャロン・ゴメスを釈放するよう交渉を行い、特赦。ゴメスと共に出国した[5]。
- 2011年南部スーダン独立住民投票の監視に参加した[6]。
イスラエル批判の本を出版
2006年11月、"Palestine peace not apartheid"(日本語版:『カーター、パレスチナを語る―アパルトヘイトではなく平和を』)を出版した。ユダヤ・ロビーといわれる圧力団体が大きな力をもって存在し、政治、経済などを主としてあらゆる分野の主要ポストに多数ユダヤ系が見られたり、アメリカの全人口のたった2%にすぎないが、イスラエル在 住のユダヤ人を少し上回る数のユダヤ人が居住するアメリカにおいて、政治家によるイスラエル批判というのはタブーに等しく、発売後かなりの大反響を巻き起 こし、ベストセラーとなった。カーターはその大統領就任の経緯からしても、他の歴代大統領たちと比較してイスラエルやユダヤ人社会に過剰に配慮しなくては ならない理由はなかったが、さすがに任期中は公然とパレスチナの味方をすることはとてもできず、この出版で真実を吐露することとなった。この本においてカーターは「ハマースなどパレスチナ側にも非があるが、問題発生から60年、ここまで問題をこじらせたのはイスラエルである」と言い切る。イスラエル建国60周年にあたる2008年に日本でも出版された。慈善活動
貧困層への住宅建設とコミュニティ設立を中心に活動しているNGO「ハビタット・フォー・ヒューマニティ」の活動を支援しており、同NGOが行っているボランティア活動に同行したり、テレビCMに出演している[7]。USSジミー・カーター
潜水艦の乗組員として勤務した経験のあるただ1人の大統領として、海軍は潜水艦にカーターの名を命名した。ジミー・カーター (USS Jimmy Carter, SSN-23) は、命名時にまだ生存している人名を付けられた少数のアメリカ海軍艦船のうちの一隻として、1998年4月27日に命名された。癌の公表
- 2015年8月12日、肝臓癌で転移していることを発表した。以後はジョージア州の病院で治療を受けるという[8]。
- 2015年8月21日、カーター自らが記者会見を行い、脳に癌が転移していることを発表した。以後は定期的に放射線治療を受けるという。
自伝
- Jimmy Carter 1976 Why not the best? (Bantam books) = 1979 酒向克郎訳 『なぜベストをつくさないのか : ピーナッツ農夫から大統領への道』 英潮社.
、、、(爆wwwwwwww
3 件のコメント:
ピーナッツ
スヌーピーを連想
https://ja.wikipedia.org/wiki/
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E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%84_
(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
スラングだと
取るに足らない
困った人
まだまだ有るみたいでw
孫崎ってヒトがスヌーピー好きな(笑)
https://news.google.com/newspapers?nid=1309&dat=19760224&id=IUo1AAAAIBAJ&sjid=3X0FAAAAIBAJ&pg=2598,7293826&hl=ja
記憶
存じておりません
THE LOCKHEED SCANDAL AND JAPAN'S ASW DECISION
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