2016年4月4日、福岡県久留米市東櫛原町の中央公園には、同市の友好都市である中国・安徽省合肥市が贈った石像が20体展示されているが、その一部が壊されていたことが分かり、中国でも話題となっている。
獅子を象った石像は、久留米市と合肥市の友好都市締結20周年を記念し、合肥市から赴いた石工が日本現地の石材を使い2000年に作ったもの。壊されたのは2体で、2月26日に清掃員が発見。石像は根元から折れていた。警察が捜査を進めており、久留米市は「速やかに復旧したい」としている。
これに対し中国のネットでは、
「日本が中国と友好を語るのは中国に力がない時だけ。中国が台頭すると日本は反中に様変わりする」
「友好を象徴するものを破壊することは、友好関係を破壊すると同じことだ」
「これが宿敵と友好を築こうとした結果だ」
「日中友好は偽りに満ちている」
と否定的な声が大半を占めた。
このほか、少数ながら
「まだどんな人物が破壊したのか分かっていない」
と冷静になるよう求める声や、
「両国は文化や民族的にお互い最も近しい存在なのだが、わだかまりがここまで発展していることに心が痛む」
と嘆息する声も聞かれた。
(翻訳・編集/内山)
レコードチャイナ 2016年4月4日(月) 19時0分
http://www.recordchina.co.jp/a132515.html
ケンタ君・・・(爆wwwwwwwwwwwwwww
鳥類と言えばアレなわけで・・・(爆wwwwwww
やっぱ中朝は決裂っぽいですな。(爆wwwwww
三本松公園
三本松公園は、君津市大戸見字三本松にあります。
「三本松」という地名は、壬申の乱(672年)に敗れた大友皇子が上総の国にのがれたとき、「松は千年の年を保つものなり」として「小松三本植うべし」と命じたことから呼ばれるようになったと伝えられています。
この三本松を含む松丘・亀山地区一帯は、延宝7年(1679年)に久留里藩主土屋氏が領地を没収されると、前橋藩主酒井氏の領地となり、その後酒井氏転封により寛延2年(1749年)川越藩主松平氏の領地となりました。
この上総分領を支配するため酒井氏以来、向郷に陣屋が置かれていましたが、文政10年(1827年)に三本松に移され、以後明治維新まで、ここが分領支配の拠点となりました。
その後、明治22年(1889年)には松丘村役場が置かれ行政の中心になりました。公園が完成したのは大正12年(1923年)のことで、開園式には千葉県知事も参席し盛大に開催されました。
公園の中心部には陣屋跡の大きな石碑があり、南面の高さ100m近い崖からの眺望は素晴らしいものがあります。
また、北側にある稲荷神社の神楽殿(かぐらでん)では、毎年8月3日に県指定無形民俗文化財の「大戸見の神楽」が奉納されます。
ヤマトとムサシ@Cadenzaは両方とも・・・(爆wwwwwwwww
土屋 利直(つちや としなお)は、江戸時代前期の大名。上総久留里藩の2代藩主。弟に常陸土浦藩主土屋数直。にともない家督を継いで藩主となった。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣にも加わったが、幼少のため家臣を代理として参陣させ、相模小田原城と箱根関所の警備を務めた。
、、、(爆wwwwwwwww
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