日本人戦犯に恩赦与えたキリノ元大統領の遺体、英雄墓地に埋葬
太平洋戦争終結後に死刑や終身刑判決を受けた日本人戦犯100人以上を恩赦したことで知られる故キリノ元大統領(1890?1956)の遺体が29日午前、首都圏タギッグ市の英雄墓地に埋葬された。
埋葬式はアキノ大統領が指揮し、キリノ家の親族約100人が見守った。
首都圏マカティ市の南部墓地に埋葬されていた元大統領の遺体は前日までに掘り起こされ、火葬された。
元大統領の没後60周年に当たるこの日、南部墓地には午前9時半ごろから周辺の学校に通う生徒、児童や一般住民が集まり、元大統領の遺骨が納められた棺が出棺されるのを見送った。
約2時間かけて英雄墓地に運ばれる間、車列の通過する幹線道には警察官や消防署員などの公務員のほか、多くの市民が並び、国旗を振って元大統領に敬意を表した。
午前11時半ごろ、遺骨は英雄墓地に到着。アキノ大統領や元国軍参謀総長のラモス元大統領、国家歴史委員会(NHC)のジョクノ委員長ら政府関係者やキリノ家の親族らが見守る中、埋葬された。
元大統領の孫娘で、非政府組織(NGO)キリノ財団を運営するルビー・キリノさんによると、元大統領の英雄墓地埋葬は昨年末に決定していた。2015年10月ごろ、ラモス元大統領が埋葬をキリノ家に進言。
キリノ家ではそれまで、元大統領の娘、故ビクトリア・キリノさん(1931?2006)の意向で、元大統領の遺体を故郷の南イロコス州に埋葬する方針だったが、「大統領は国民と共にあるべき」と考え方を変え、今回の英雄墓地埋葬を決めたという。
「15年に生誕125周年を迎え、今年は没後60周年に当たる。この時期の埋葬は完璧なタイミングだった」とルビーさん。「若い世代に、過去にこのような偉大なリーダーがいたと伝えることができる」と喜びを表現した。
キリノ元大統領は夫人や子どもたちを旧日本兵に殺害された経験がありながら、1953年7月、首都圏モンテンルパ市のニュービリビッド刑務所に収容されていた日本人戦犯を恩赦した。
元大統領の許しの精神について、ルビーさんは「彼は国のために素晴らしい手本を見せた」と述べ、「私たちが経験した過去を忘れなければ、同じ過ちは繰り返されない。二度と戦争が起きないよう、互いに手を取り合わなければならない」と強調した。
式典には当時、日本人戦犯の助命嘆願を続けた日本人洋画家・加納莞蕾(かんらい、本名・辰夫、1904?77年)の娘、佳世子さんらキリノ家と関わりを持つ8人も日本から招待された。
莞蕾の遺影を持って参加した佳世子さんは「父はよくキリノ大統領は偉大な方だと話していた。今回、比の皆さまのお気持ちと一致したと感じました」と感無量の様子だった。
デラサール大で比現代史を教えるマイケル・チュア准教授は、キリノ元大統領について「比では汚職など悪い点がよく指摘されているが、中国や白ロシアからの亡命者を受け入れるなど、友愛の精神という美しい側面がある」と評価。
日本人戦犯などについて研究している広島市立大の永井均准教授は「元大統領は当時まだ仇敵(きゅうてき)だった日本との関係改善という面で、国家の指導者としてどうすべきかを身をもって示した。
これは、平和を生み出すためにはどうすべきかを現代にも鋭く問い掛けている。今まであまり知られていなかった部分にようやく光が当たった点に今回の英雄墓地埋葬の意義がある」と話した。(加藤昌平)
http://www.manila-shimbun.com/category/society/news222053.html
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加納莞蕾 世界連邦
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