宇井 稔氏(うい・みのる=元千葉地検検事正)昨年7月9日、筋萎縮側索硬化症(ALS)のため横浜市内の病院で死去、62歳。東京都出身。葬儀は既に済ませた。喪主は長男一貴(かずたか)氏。
福島、仙台両地検の次席検事、最高検検事、青森、岡山、札幌、千葉各地検の検事正などを歴任。東京地検刑事部に所属していた90年代には、オウム真理教元代表麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の取り調べや、厚生省(現厚生労働省)事務次官の汚職事件を担当した。ネパール人男性の無罪が確定した東京電力女性社員殺害事件の捜査にも携わった。(2016/01/03-23:26)
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2016010300177
オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から、20日で20年。教祖・松本智津夫死刑囚は一連の事件について口を閉ざしたままだが、逮捕から約5か月後、一度だけ犯行を認めたことがあった。私たちは、その自供を引き出した元検事を取材。当時の状況を、初めてカメラの前で語った。
事件の現場となった東京・霞ケ関駅。あの日から20年。設置された献花台に遺族らが花を手向けた。
地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん「まさにここで命がなくなったわけですから。会いに来たという感じですね」
死者13人、負傷者6000人をこえた未曽有のテロ。事件を指示した教祖・麻原彰晃こと、松本智津夫死刑囚が逮捕されたのは、その2か月後だった。かつて“尊師”とあがめられた男。連日、取り調べが行われたが、事件については口を閉ざし続けた。
実は、松本死刑囚が一度だけ自らの犯行を認めたことがある。
「今まで一切を黙秘して参りましたが、本日、真実をお話しする決意をしました(松本死刑囚の供述調書より 1995年10月1日付)」
「いずれは自供するなという印象は持ってたね」
こう話したのは、松本死刑囚と対峙(たいじ)した東京地検の元検事・宇井稔さん(62)。松本死刑囚を唯一“落とした”検事だ。今回、初めてカメラの前で当時の状況を語った。
宇井さん「(松本死刑囚は)よくしゃべったやつだね。トントンたたいてたよ壁を『ここ(壁)を通り抜ける』って。(Q:結局通り抜けられないですよね)そうそうそう。ここ(壁)を通り抜けられないことを『お恥ずかしい』って言ってたよ」
取調室では、はだしで座禅。雑談にはよく応じたという松本死刑囚。事件について語ったのは逮捕から約5か月後のことだった。
宇井さん「(Q:話し始めるきっかけは?)破防法(破壊活動防止法)だよね。『破防法で教団が潰れるぞ』と言ったら、『教団は潰さないでください』って」
松本死刑囚は、「自分が罪を認めれば、教団を守り存続させることができる」、そう考えたとみられる。
そして―。
「私が指示をして坂本弁護士一家殺害を行わせたのです(松本死刑囚の供述調書より1995年10月1日付)」
一連の事件の原点とも言える1989年の坂本弁護士一家殺害事件を指示したと認めたのだ。
しかし、事件の責任については―。
宇井さん「(弟子に)なすりつけてたね。『私は目が見えませんから』と。『優秀な弟子ですから、それぞれが考えてやったことでしょう』って。(Q:死刑を恐れていた感じは?)あるね。『国家権力の手による死刑は雷が鳴るよ』って言ってたね」
“自分は死刑になるのか?”繰り返し、こう聞いてきたという。
だが、この自供後、松本死刑囚は「話をした事は間違いでした」と切り出し、再び自分の殻に閉じこもった。
裁判でも真相を語らないまま死刑が確定。あの日から20年、独居房の中で今、何を思うのだろうか。
http://image.news.livedoor.com/newsimage/0/f/0f4ca_1110_20150321_0001.jpg
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9913893/
、、、(爆wwwwwwwwwwwww
1 件のコメント:
>筋萎縮側索硬化症(ALS)
アイスバケツ&徳州会なご病気とは奇遇ですな(笑
コメントを投稿