天皇、皇后両陛下は18日、今月26~30日のフィリピン公式訪問を前に、同国で戦死した日本兵の遺族2人と皇居・御所で懇談された。
2人は、いずれも日本遺族会常務理事で、三重県桑名市の伊藤早苗さん(75)と秋田県大館市の仲沢誠也さん(71)。
懇談は非公開で、伊藤さんによると、海軍に所属していた父が激戦地コレヒドール島で戦死した話をすると、天皇陛下は「あなたがいくつの時でしたか」などと尋ねられたという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160118-OYT1T50079.html
一般財団法人日本遺族会(にっぽんいぞくかい)は、英霊の顕彰と慰霊に関する事業、戦没者遺族の相互扶助、生活相談に関する事業などを実施している法人。元厚生労働省所管。
1947年に、「日本遺族厚生連盟」として設立された。1953年3月11日に財団法人として認可され、「財団法人日本遺族会」となった。
1961年9月から1962年1月まで、安井誠一郎が第3代会長を務めた。1962年の安井の死後、賀屋興宣が第4代会長に就任し、1977年4月に亡くなるまで会長を務めた。1977年10月から、村上勇が第5代会長を務めた。2002年2月から2012年2月まで、古賀誠が会長を務めた。東日本大震災の九段会館で仕立て天井崩落による死亡事故を受けて、2012年2月に古賀が辞職したのちは会長は空席となり、森田次夫副会長が会長代行となった。同年9月1日から2015年6月まで尾辻秀久が会長を務めた。2015年6月8日、水落敏栄が新会長に就任した。
目的
当初の会則では「遺族の救済と相互扶助、以って戦争を防止し、世界の恒久平和を確立し、全人類の福祉の為に貢献」を目的とした。初代理事長(1948年から「会長」に改称)は貴族院議員・長島銀蔵。大谷藤之助(海軍中佐、元大本営参謀 靖国神社事務総長)の推薦を受けて就任。当時の本部は神奈川県厚生連盟内で、靖国内に連絡所が置かれた。1953年の財団法人への改組と共に、その目的は「英霊の顕彰、戦没者遺族の福祉の増進、慰藉救済の道を開くとともに、道義の昂揚、品性の涵養に努め、平和日本の建設に貢献することを目的とする」と変更された。
マニラ湾口に位置し、おたまじゃくしのような形をしたコレヒドール島はマニラの西48 kmの地点にある。マニラ湾の入り口という位置から、スペイン人の到来以来、わずかに南にあるカバヨ島と共にマニラを海から守る戦略上の拠点として利用されてきた。島の広さは9平方キロ。行政上はカヴィテ州に属している。
スペイン統治時代、コレヒドール島には検問所がおかれ、マニラ湾に入る船の検査が行われていた(コレヒドールという名前はスペイン語の「厳重に検査する」に由来する)。米西戦争によってフィリピンの統治者がアメリカ合衆国に変わると、コレヒドールには1902年にフォート・ミルズ基地がおかれ、戦略上の要衝となった。アメリカ軍は大量のコンクリートを使用し、巨大な大砲を設置してコレヒドール島を鉄壁の海上要塞とした。
、、、(爆wwwwwwwwwwwwww
0 件のコメント:
コメントを投稿