2015年11月5日木曜日

「SEALDsのパラドックス」









モーリー・ロバートソン(Morley Robertson、1963年1月12日 - )は、日本を中心に活動している米国籍のDJラジオパーソナリティーミュージシャンジャーナリスト。妻は女優の池田有希子

アメリカ合衆国ニューヨーク[1][2]スコットランド系アメリカ人の父親と、毎日新聞社記者である日本人の母親のロバートソン黎子の間で出生。生後2か月から、幼稚園に通う頃まではサンフランシスコに在住していたが、1968年に、父の仕事の転勤で広島県広島市比治山近くに移住[2][3]父は比治山上の原爆傷害調査委員会、通称:ABCC(現・放射線影響研究所)に勤務し原爆患者の研究にあたった医師[2][4][5]。広島市の幼稚園を経て、小学校5年生まで広島市のインターナショナルスクールで過ごす[6]1973年、小5の2学期から五日市町の公立小学校に転校。1975年広島学院中学校の入試に失敗して修道中学校に入学するも、父の転勤で2年1学期末に同校を中退し、米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居[2][7]。同年9月、チャペルヒルの公立校に入学したが同校の教育に不信感を持ち、1ヶ月足らずでデューラム市の私立校に転校。ここで1年飛び級したが1977年夏、父の転勤でサンフランシスコへ転居。同年9月、現地の公立高校に入学。のち留学生として高校から修道に戻るも、友人の自転車に対する器物損壊事件を起こして[8]同校から自主退学を勧告された。
修道高等学校を自主退学した後、カリフォルニア州の予算削減をめぐるストライキで学校が一時閉鎖状態に陥っていたため復学が困難になった上、折あしく両親が別居生活に入ったため1977年の実家がある富山県高岡市に母や弟と移住[2][9]。当初、高岡高校は転入に難色を示し、聴講生の扱いでしばらく通学。その後に編入を認められた。
1981年3月、富山県立高岡高等学校卒業。同年4月、東京大学理科一類に入学、日本語で受験した初のアメリカ人東大生となる[5]。同時にハーバードマサチューセッツ工科スタンフォードイェールバークレープリンストンの各大学にも合格[5]。しかし、東京大学は同年7月に中退する。

CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)から酒井政利のプロデュースで自作自演のパンクロックのアルバムを発表[5]。前後して週刊誌に取り上げられたりテレビ番組にも出演。落ちこぼれなのに東大に入学、という意味が当時の大人には理解されづらく、出演した『ルックルックこんにちは』ではバンド、ストイックスと生演奏を繰り広げ、スタジオで暴れながら歌い、沢田亜矢子竹村健一ら 出演者たちの失笑を買っていた。上京していきなり夢が叶えられる一方で、芸能界の現実をも目のあたりにする。子供の頃からテレビで見聞きしていた芸能人が プロダクション経営者になっていて、裏社会につながったような発言を連発する光景に遭遇し、ショックを受ける。ソニー社内でも売り上げ一辺倒の会議にもま れ、消耗品のような立場に置かれていることに不純さを感じる。その後、当初は憧れていた日本の音楽業界に嫌気がさしたために、渡米(つまり、もう一度アメ リカへ戻ること)を決意し、1981年9月にハーバード大学へ入学する。入学当初は電子工学を専攻する予定だったが、1982年から電子音楽を研究した。イワン・チェレプニン教授に師事し、特殊なアナログシンセサイザーであるSerge Modular Music Systemを修得した。1983年秋から大学を休学し、1986年に復学。視覚環境学を専攻し、電子音楽とビジュアルを組み合わせたアニメーション制作によって、1988年、美術学部を卒業する。







ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - )は富山県出身の国際ジャーナリスト。旧姓、蒲田(がまだ)。

来歴・人物

高岡市能町生まれ。生家は古くからの地主であり、農地改革前は「三歩あるけば一歩は蒲田はんの地面」と言われるほどの土地を所有していた[1]富山県立高岡高等学校の同期に後の高岡法科大学学長吉原節夫がいた。東京外国語大学英語学科を経て1957年早稲田大学第一政治経済学部卒業。岩波書店NHKの採用試験にも合格したが[2]1957年毎日新聞東京本社に入社。1年間の仙台支局勤務を経て、女性初の外信部記者となる。フルブライト奨学金を獲得し、1958年8月から日本人女性として初めてヴァージニア大学国際関係論修士課程)に留学していた時、同大学医科大学院在学中のトマス・ロバートソンと知り合う。1959年10月、日本に帰国。『毎日新聞日曜夕刊一面にインタビュー記事「十字路」を連載。1961年に毎日新聞社を退職して聖路加病院でトマスと結婚しロバートソン姓となって渡米。同年12月、七曜社から刊行した『もしもしハロー─私は第一線婦人記者』には小田実三島由紀夫が序文を寄せている。トマスとの間に2男を儲けた。長男のモーリー・ロバートソンは後にジャーナリスト、ミュージシャン、ラジオパーソナリティとなった。黎子の旧姓が蒲田であるため、モーリーは高校時代、予備校の夏期講習に「蒲田杜夫」という偽名で登録したことがある[3]
米国ではPTA委員や地域政策アドバイザー、日本語放送テレビのアナウンサーなどを務める。日米両国で子育てをしながら『文藝春秋』『諸君!』『婦人公論』などの雑誌に評論やコラムを執筆。また、TBSブロードキャスター』や日本テレビ系『ウェークアップ!』などのテレビ番組にコメンテーターとして出演。アメリカ映画を通しての比較文化論などを研究。

1998年から東京在住。





、、、(爆wwwwwwwwww


3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ロバートソンの団体と昔会話したことあるけど、モルモン系の方と
仲いいよねえ。でも昔、右派の活動家の野村議員をダブテにして
バカにしていたときもある。(※野村は尖閣諸島関連の団体のメンバ―)

徒にかくクリスチャンが左翼と右翼を操っている構図だけは
これで判明したなwe!

この人、サタン崇拝者とも交友あるしwww
https://www.youtube.com/watch?v=Q5yM8dwTKCY

聖路加病院の屋根裏で、戦時中堂々と東京大空襲の青写真を作っていた
事実とかばらされると、こいつらも左右からたたかれそうだな。笑

GABRIEL さんのコメント...

ヨガ好きでサタニスト~~
なかなか面白い事囀ずるけど

この記事で紹介されてる囀り
彼は志位るずが躍起になると
有権者が安倍支持になるって
その論拠わざと出してないよね

あれだけ考察してるなら
その点も言える筈なのに
変DEATHネ

TBSの土曜夜に福留がやってた番組
母親はコメンテーターやってましたね

ミネ さんのコメント...

ん?富山ライン、、またの名をスコッチラインと呼んでええですか?