2015.8.27 12:32更新
朝の京阪踏切で人身事故、男性死亡…一時運転見合わせ 大阪・枚方
27日午前9時40分ごろ、大阪府枚方市伊加賀栄町の京阪本線の踏切で、淀屋橋発出町柳行き普通電車に男性がはねられ、死亡した。乗客約130人にけがはなかった。大阪府警枚方署は身元の確認を急ぐとともに事故の状況を調べている。
同署によると、運転士が遮断棒をくぐって踏切内に進入する人影を目撃し、非常ブレーキをかけたが間に合わなかったという。
京阪電鉄によると、京阪本線は事故の影響で一時全線で運転を見合わせた。
http://www.sankei.com/west/news/150827/wst1508270047-n1.html
→理研ビタミン
ひらかたパークは、京阪電気鉄道の子会社である京阪レジャーサービスが運営する遊園地。大阪府枚方市枚方公園町に位置する。最寄り駅は京阪本線・枚方公園駅。通称は「ひらパー」。
毎年コンスタントに120万人前後の入園者数があり、その数はユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に次いで、大阪府下第2位を誇る。
現在営業している日本の遊園地の中では最も古い歴史を持つ。日本最古としては浅草花やしきがあるが、花やしきは1942年(昭和17年)に太平洋戦争下の強制疎開に伴って取り壊された後、1947年(昭和22年)に復活した経緯があるため、断絶のない歴史としてはひらかたパークが最も古い遊園地となる。
前身は寝屋川市にあった「香里遊園地」。1910年(明治43年)、京阪電車の開通に合わせ香里駅(現・香里園駅)近くの北河内郡友呂岐村大字郡(こおり)に十二万坪で開園した。当時繁栄していた遊園地であり、地名の響きも似ていた香櫨園(こうろえん)(兵庫県西宮市)にあやかり、名づけられたという。香里遊園地では第一回(1910年(明治43年))、第二回(1911年(明治44年))の菊人形展が開催されたが、周辺を住宅地として開発するために移転される事になり、枚方駅(現・枚方公園駅)付近に約1万m2の用地を買収、1912年(大正元年)10月6日〜11月25日第三回菊人形展が枚方で開催された。これが『ひらかたパーク』開業の起源となった。
その後、菊人形展は1919年(大正8年)〜1922年(大正11年)に宇治で開かれていたが、1923年(大正12年)以降は枚方での開催が定着した。1926年(大正15年)に「枚方遊園組合」を設立して実質京阪電鉄の経営に一本化され、本館・余興館・ボート池・滑り台・ブランコなどを設置された。
菊人形展は第二次世界大戦中も「戦力増強決戦菊人形」と呼称されて1943年(昭和18年)まで続けられた。が、その後建物は軍需工場として、グランドは食糧増産のために畑に耕された。
1948年(昭和23年)ごろまで千里山遊園でも菊人形展を開催していた記録が残っているため、戦中、あるいは戦後直後までは枚方以外でも菊人形展が開催されていた事になる。なお、1948年(昭和23年)以降は枚方での開催のみとなっており、そのことが千里山遊園の閉鎖の一因とも言われる。しかし、戦中戦後に渡って菊人形が千里山遊園で開催されていた時期は京阪と阪急が合併していた時期と符合しており、1949年(昭和24年)に両者が分離して以降は熾烈なライバル関係になったため、阪急が運営する千里山遊園で菊人形を開催する事を嫌ったとする説もある。
1951年(昭和26年)溝口健二監督 田中絹代主演の映画『西鶴一代女』(児井英生プロ+新東宝)が園内及び周辺で撮影された。
毎年秋季に開催されていた「ひらかた大菊人形展」は、主にNHK大河ドラマで放送される作品等を題材に展示していた(一部例外あり)。しかし、後継者不足などを理由として2005年(平成17年)で大規模なものは終了となった。その後、翌2006年(平成18年)には小規模な回顧展が開催された後、2010年(平成22年)には京阪電鉄の創業100周年記念企画として、限定復活開催されることになった。
要するに元々は山田浩二こと渡利浩二のマンション界隈にあったわけで・・・
香櫨園 - Wikipedia via kwout
西宮市大谷記念美術館(にしのみやしおおたにきねんびじゅつかん)は兵庫県西宮市にある美術館である。1972年、実業家の大谷竹次郎(大谷米太郎弟)から寄贈されたフランスおよび日本の近代絵画を中心とするコレクションと邸宅を展示室として開館した。1977年に新館とアトリエが完成、1991年には大規模な増改築がなされ、現在の近代的な美術館になった。玄関正面の広いロビー一面の窓から日本庭園を眺めることができ、旧邸宅のエッセンスを残している。
毎年開催される「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」の会場としても知られる。ひょうごっ子ココロンカードの対象施設になっている。
菊池貝類館(きくちかいるいかん)は兵庫県西宮市にあった貝類専門の博物館。1984年に開設され、2010年はじめに休館(事実上閉館)した。
医師で西宮回生病院の 院長でもあった菊池典男(1915~2013)は貝類の研究家としても著名であったが、菊池が医業の傍ら世界各地を探検し収集した約8,000種の貝類資 料を収蔵し、そのうち2,000種を常設展示していた。初代館長も菊池が務めた。また、菊池典男は米軍統治下で本土復帰前で、沖縄と異なり米軍基地もなかったために、産業や医療体制が前近代状態にまで後退してしまった奄美諸島の医療に尽くした事でも知られている。彼は、この恩義により奄美諸島住民から膨大な数の奄美諸島産貝類標本の寄付を受け、これが菊池コレクションの中で大きな割合を占めていた。
この貝類館では展示ケースにガラスが張られておらず、200kgもあるフィリピン産の大シャコガイや世界最大の巻き貝アラフラオオニシからオウムガイ、サザエ、蛤まで、本物の貝を手にとって触ることができ、いろんな角度からの表情や重さや質感などを確認することができた。
菊池の死後、「コレクションは生まれ育った西宮市へ」という彼の意思を受けた遺族によって、展示収蔵されていた貝類コレクション約1万8千点が西宮市貝類館に寄贈されることになった。[1] 西宮市貝類館は、この寄贈を記念して「菊池典男コレクション展 西宮に生まれ、貝を追い求めた生涯」を2015年3月19日~4月14日まで開催した。今後、同館はコレクションの学術的分類・保管を進めていく予定である。[2]
大谷、辰馬、菊池・・・
全部、戦後没落したおいらの実家と繋がってたりしたわけですよ。(爆wwwwwwwww
1 件のコメント:
iPhone6SでずっとLINEやってましたよw
帰りは必死にオイラを撒こうとしてたしwww
昨日は又々偶然が沢山重なりましたねえ^^
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