2015年7月22日水曜日

奥様がイラン人の西田厚聰@早稲田大学閥@東芝


と言えば・・・















西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年12月29日 - )は、日本実業家学位法学修士東京大学1970年)。学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事
株式会社東芝取締役代表執行役社長、株式会社東芝取締役会長などを歴任した。

東芝ヨーロッパの上級副社長や東芝アメリカ情報システム社の社長を経て、東芝のパソコン事業部の部長に就任し、東芝のパーソナルコンピューター事業を興した功績者の一人と目されるようになった。その後は取締役となり、常務、上席常務、執行専務を経て、2005年に社長に就任した。社長在任中、出身母体であるパソコン事業に圧力をかけた結果、同事業の利益は50億円水増しされることになった。これ以降、東芝では利益の水増しが常態化することとなった。2009年、代表権のない会長に退くが、後任の社長である佐々木則夫と度々対立した。2014年には相談役に退くが、社長在任中の利益水増し問題が発覚し、引責辞任した。

経歴

生い立ち


三重県出身。1968年3月 早稲田大学にて第一政治経済学部を卒業し、1970年3月に東京大学大学院にて法学政治学研究科修士課程を修了した[1]。大学院では、福田歓一の指導の下、西洋政治思想史を研究した[2]。学生時代に、日本政治史の研究で来日したイラン出身の女性と出会い、結婚。イランに渡り、東京芝浦電気(現・東芝)と現地資本の合弁会社に入社、1975年5月に東京芝浦電気に入社する[3]

1984年3月から1992年4月にかけて東芝ヨーロッパの上級副社長を務め[3]、パソコン事業の創始に携わる。1992年4月に東芝アメリカ情報システム社の[[社長に就任すると[3]、業績不振に陥ったアメリカのパソコン事業を1年で立て直す。1995年6月に東芝のパソコン事業部の部長に就任すると、1997年6月まで双方を兼任した[3]。1997年6月に取締役となり、1998年6月から2000年6月まで常務、2000年6月から2003年6月まで上席常務を務めた[3]。2003年6月には取締役執行専務に就任した[3]。パソコン事業を興した功績者として、社長候補の本命となる。2003年度にパソコン事業が赤字に転落すると、西田が手腕を発揮。2003年度第3四半期に142億円の赤字であった決算を、2004年同期に84億円の黒字に転換し、驚異的な回復を果たす。これが決め手となり、2005年6月岡村正に代わり東芝の社長に就任した。なお、岡村は会長に就任した。
2009年3月、サブプライムローンを発端とした世界金融危機により、2009年3月期決算で2800億円の赤字に転落した結果、2009年6月の株主総会後に社長職の退任と会長への就任が発表された。なお、東芝が設置した第三者委員会の調査により、社長在任時に出身母体であるパソコン事業幹部に対し圧力をかけた結果、2008年に50億円の利益水増しが行われたことが明らかになっている[4]。後任の社長には佐々木則夫が就任したが、西田と佐々木と度々対立した[4]。2013年の役員報酬は1億2700万円[5]2014年6月25日に、会長から相談役に退いた[6]

また、東芝での役職以外にも、いくつかの公職を務めている。2013年3月には、第2次安倍内閣が発足させた日本経済再生本部において、産業競争力会議の代表幹事に就任した[7]。また、2014年10月には、沖縄科学技術大学院大学学園法に基づく特殊法人である沖縄科学技術大学院大学学園において、理事に選任された[7]。この特殊法人は、国が運営資金を提供する特別な私立大学と位置づけられる沖縄科学技術大学院大学を設置、運営する法人である。


で、


佐々木 則夫(ささき のりお 1949年6月1日- )は、日本の実業家株式会社東芝元副会長、日本経済団体連合会副会長。

1949年6月1日、東京都に生まれる。1972年3月、早稲田大学理工学部機械工学科卒業。1972年東京芝浦電気株式会社に入社する。原子力発電事業のエキスパートとして活動、原子力関連事業を東芝の主力事業に押し上げたキーパーソンと言われる。東芝電力システム社社長時代にアメリカ合衆国の総合電機メーカーであったウェスティングハウス・エレクトリックの買収事案に携わる。2008年代表取締役副社長執行役員に就任。

2009年6月に、西田厚聰の後任として株式会社東芝社長に就任。2013年1月から、経済財政諮問会議民間議員に就任(~現在)。2013年6月より、株式会社東芝副会長、日本経済団体連合会副会長に就任する。2012年東芝から1億1500万円の役員報酬を、2013年には1億400万円の役員報酬を受けた[1]
次期経団連会長候補にも目されていたが、2015年に発覚した不適切会計問題をめぐって佐々木も業績改善を社内に要請していたと報じられ、副会長を引責辞任する意向と7月上旬に伝えられた[2]。また、不適切会計をめぐる報道の中で、前任社長である西田と佐々木に確執があり、それが業績改善の圧力につながったという指摘もなされている[3]。7月21日、前任社長の西田、後任社長の田中久雄ら他の取締役7人とともに辞任が発表された[4]

エピソード

  • 2011年3月の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故について、菅直人首 相から「行政がやれることはすべてやるので、しっかりと対応してほしい」との要請を受けた。これに対して佐々木は「やれることはすべてやる」と応え、東芝 が全面協力することを約束した。すぐさま750名の専門家チームを結成し対応に当たった。必要に応じて現場にも技術者を派遣している。

だからあれほど早稲田は日本一ダメダメな大学だと・・・(爆wwwwwwww

7 件のコメント:

コピペde学位 さんのコメント...

>日本一ダメダメな大学だと・・・

世界一ダメダメな大学だが、世界一快適な保育園・・・

匿名 さんのコメント...

東芝 チャレンジ(ちょうせん)

匿名 さんのコメント...

こういうのってご本人わかってて関わっちゃってるんでしょうか?

ミネ さんのコメント...

3者の中で一人だけ喪服だったものねw一際だったゎ

>チャレンジ
芝という土地柄わかってやってつかーさぃ

匿名 さんのコメント...

>こういうのってご本人わかってて関わっちゃってるんでしょうか?

そっち系の一族出身だとそうでしょうけど、日本wの一般的な技術職って
自分の専門外の事からっきしで欲望にのみ従順&コスト意識ゼロ&先の事
考えない人多いんで分かってないんじゃないですかねー(笑

匿名 さんのコメント...

 縁故資本主義だから

こういう無能が なぜか評価されてしまう


ガラパゴス

匿名 さんのコメント...

やはり上へとりたてる人間もアレなわけで
知ってか知らずか、こういうのに組み込まれる怖さ
同じ大学でも凡人でヨカッタ