2015年7月9日木曜日

英彦山「豊前坊」の高住神社 宮司と氏子が対立

英彦山「豊前坊」の高住神社 宮司と氏子が対立 [福岡県]
2015年07月09日 00時18分

日本三大修験道場として栄えた添田町の英彦山の中腹にあり「豊前坊(ぶぜんぼう)」として知られる高住神社の運営をめぐり、宇都宮正幸宮司と氏子が対立を深めている。施設の建て替えをめぐるトラブルをきっかけに、氏子が宮司へ辞任を要求。宮司は英彦山外から新たな氏子総代を選んで運営を続ける方針だが、氏子側は別の総代を選出して対抗する異例の事態となっている。両者の溝は深まるばかりで、9月の神幸祭への影響を懸念する声も出ている。

高住神社の氏子は英彦山区の63世帯で、総代(定数8人)は地区ごとに選んでいた。宮司も以前は地元の神職が務めたが、2006年12月に一部の氏子と対立して辞めた後は英彦山外の神職が就任。09年10月から、田川市の風治八幡宮の神職が兼務し、13年4月から風治八幡宮禰宜(ねぎ)の宇都宮氏が務めている。

 対立の発端は、高住神社の信者や氏子が集会や寝泊まりに使う斎館の建て替え。工事費約2500万円の融資を受けられず建て替えを見送ろうとしたところ、氏子でもある地元の宮大工から昨年7月、「既に木材を調達し切り込みを入れた」として材料費や人件費計約1千万円の支払いを要求され、神社が蓄えていた約750万円を払った。

資金が底をつき、建て替え中止を決めた宇都宮宮司に対し、氏子側は宮司が寄付を募るか、宮司や神職に支払われている月40万円の人件費を減らして工事費に充てるよう要求。「高額の寄付集めは難しい」と宮司が拒むと辞任を求めた。

宇都宮宮司は、先月辞表を出した総代3人の代わりに、風治八幡宮川渡り神幸祭のみこしを担ぐ有志団体代表や県神社庁幹部らを選び、月内にも総代会を開く予定だ。取材に対し「斎館建設問題は、一部の氏子が契約も交わしていない工事を勝手に進めたために起きた。これまでも氏子との対立で宮司が辞めており、私が辞めたら悪い因習が残る。九州一円に信仰圏がある高住神社は氏子だけのものではない」と語る。

一方、氏子側は「斎館建設には当初、宮司も合意していた。英彦山では氏子から総代を選ぶのが慣習だが、宮司は氏子を切り捨て、私物化しようとしている。英彦山の長い歴史と伝統に反する」と主張。6月27日に区民集会を開き、英彦山内の氏子から新たな総代8人を選んだ上で「宮司が選ぶ総代は受け入れられない」と宮司に通知した。


神幸祭は例年、氏子が中心となって運営するが、今年は宮司側と氏子側がそれぞれ準備を進める方針で、混乱しかねない状況だ。

=2015/07/09付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_chikuhou/article/180806




豊前坊 高住神社
(ぶぜんぼう たかすみじんじゃ)
福岡県田川郡添田町英彦山
高住神社の主祭神は豊日別命といい、豊前と豊後の国を人格化させた神であるとされる。五穀豊穣、牛馬安全などの国造りの基盤となる農耕の神の一面を持つ。また一説では豊日別命は猿田彦神と同一神であるともされている。しかしこの主祭神以上に有名なのは、日本八大天狗の一人であり、九州の天狗の頭目とされる豊前坊天狗であり、この神社に祭神の一柱として祀られている。神社のある英彦山は九州随一の修験道の修行場であり、その関連から天狗の住まう聖地とされたと考えられる。
豊前坊は配下の天狗を使って、欲深い者に対しては子供を攫ったり家に火を付けたりして罰を与え、心正しき者には願い事を聞き届けたり身辺を守護したりするとされている。
<用語解説>
八大天狗
愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、鞍馬山僧正坊、飯綱三郎、大峰山前鬼坊、大山伯耆坊、白峰相模坊、英彦山豊前坊とされる。










英彦山は羽黒山山形県)・熊野大峰山奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられ、山伏の坊舎跡など往時をしのぶ史跡が残る。山伏の修験道場として古くから武芸の鍛錬に力を入れ、最盛期には数千名の僧兵を擁し、大名に匹敵する兵力を保持していたという。
この山を根拠とする豊前佐々木氏が領主であり、一族からは英彦山幸有僧という役職も出していたとの記録がある。英彦山はその後、秋月種実と軍事同盟を結んだため、天正9年(1581年10月、敵対する大友義統の軍勢による焼き討ちを受け、1ヶ月あまり続いた戦闘によって多くの坊舎が焼け落ち、多数の死者を出して大きく勢力を失った。大友氏の衰退後は、新領主として豊前に入った細川忠興が強力な領国経営を推し進めたため、佐々木氏とともにさらにその勢力は衰退したという。

なお、豊前佐々木氏は添田の岩石城を居城としていた。豊臣秀吉による九州征伐の際には秋月氏方として香春岳城に続いて攻撃され、一日で攻め落とされたが滅ぼされず、細々と生きのこっている。巌流島の決闘で有名な佐々木小次郎はこの豊前佐々木氏の出身であり、またその流派・巌流は英彦山山伏の武芸の流れをくむとする説がある。[4][5][6]その説によれば、巌流島の決闘自体が、宮本武蔵を利用して当主である小次郎を殺害させることによる、細川氏の豊前佐々木氏弱体化工作であったという。


彦山豊前坊という天狗が住むという伝承がある。豊前坊大天狗は九州の天狗の頭領であり、信仰心篤い者を助け、不心得者には罰を下すと言われている。英彦山北東に建てられている高住神社には御神木・天狗杉が祀られている。また古くからの修験道の霊地で、全盛期には多くの山伏が修行に明け暮れた。 1945年11月12日、武装解除の一環として占領軍が行った火薬処理の焼却に失敗し、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人、負傷者149人を出した。 2014年6月30日、遠足登山中の柳川高等学校女子生徒計26人が集団パニックに陥いり、油木ダム周辺で心霊に取り付かれたのではないかとの噂がネットで流れた[7]





、、、(爆wwwwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

盗まれた仏像 添田町の寺に戻る
08月03日 20時31分

添田町で4年前に盗まれた江戸時代の作品とみられる町指定の文化財の木像3体がこのほど見つかり、3日、元の薬師堂に戻りました。

添田町中元寺にある薬師堂では、4年前の平成25年、「中元寺薬師如来十二神将」と呼ばれる12体の木像のうち3体が盗まれる被害を受けました。
盗まれた木像はいずれも高さ1メートル30センチあまりで、えとの酉、戌、亥がそれぞれ彫り込まれた江戸時代初期の作品とみられ、町指定の文化財となっています。
町は、警察に被害届を出したうえでチラシを配るなどして情報提供を呼びかけていましたが、先月、大阪の弁護士から連絡があり、町の職員が盗まれた木像と確認したということです。
木像は京都の寺で保管されていて、修復の依頼を受けた仏師が盗まれた木像と気づき、弁護士に連絡したということです。
薬師堂を管理している上中元寺観光協会の山本文一会長は「4年間、帰ってくるのを待ち続けていましたのでとてもうれしいです」と話しています。
kitakyushu/5025760421.html